学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

水戸・弘道館の梅

2017-03-19 22:32:16 | その他
連休の初日、水戸で梅を見てきました。水戸駅でレンタサイクルを借りて、水戸の大通りから千波湖、偕楽園、そして弘道館というコース。

都会における自転車の機動力はなかなかあなどれない。適度な速さで街を巡ることができるため、気になるお店があればすぐに立ち止まることができるし、そのまま自転車を止めて店のなかに入ってもいい。それに距離も走れるので、私は5キロ程度でほどほどに楽しんできたけれど、体力のある人ならもっと遠くまで行けるでしょう。これが自動車では走馬灯のように景色は過ぎていくし、なにより車の数が多すぎて周りを見る余裕はない。徒歩はゆっくり街を散策できるけれど、移動距離が限られるのが難点。都会の街なかを楽しむなら自転車に限る、が私の持論です。

この時期、水戸は梅が見ごろ。梅といえば偕楽園ですが、今年は一度行っているので弘道館の梅を楽しんできました。



弘道館は水戸藩の藩校として安政4年(1857)に開校しました。9代藩主徳川斉昭の藩政改革の一環であったとされます。正門は国指定重要文化財。藩主の来館などがあった場合にのみ開門されたようです。



正庁「至善堂」の破風付近。徳川家の家紋がしっかりと見え、下部の白い波の文様がなかなかクールです。こちらも国指定重要文化財。弘道館では藩士やその子弟たちは儒学、礼儀、歴史、天文のほか、剣術、槍、武術などを学んだそうです。









梅はかすかに甘く香ります。梅林のなかを散策すると、とても心持ちが良い。最後の黄色い花弁は「山茱萸」(さんしゅゆ)。ふんわりとした優しさがあってとても見事でした。



「至善堂」にかぶさる梅の花。梅に花と香りに包まれて、とても素晴らしいところでした。


梅が見ごろのせいもあったのでしょう、弘道館はお客様で大賑わい。文化財の活用という点で、来客が多いというのはありがたいことですよね。

仮に私がもし弘道館を管理できるのなら…土日に江戸時代の藩士や子弟の衣装をつけたスタッフを弘道館に常駐させて、当時の藩校での講義や生活を再現する演出を凝らす、のも手かなと考えたりします。広場の一角で木刀による剣術の様子を再現してみたり。スタッフはボランティアを募集してなるべく経費をかけずに…。そうすれば水戸藩の歴史が現在によみがえり、弘道館がもっと面白くなるかも…と一人で想像してみました(笑)

連休初日、水戸で幸せな時間を過ごすことができました!

きっかけはどんなことでも

2017-03-15 20:59:02 | その他
先日のブログで、茨城県立歴史館での展覧会のことを書きました。しかし、もうひとつのストーリーがあったのです(笑)

当日、歴史館の入口まで来ると、チケット売り場に人がずらりと列をなしていました。私が知らないうちに世間ではアイヌブームが来ていたのかしらん?と思いつつ、チケット購入まで15分ほど待ちました。さて、チケットを購入し、ようやく展示室へ足を向けると、その手前の一角にたくさんの人だかりができています。それも若い女性たちの群れ。さっき、並んでいた人たちの顔ぶれも見られることから、みんなそこに集まっているようでした。いったい何の集まりだらうと近くに寄ってみると「花丸游印録」なるスタンプラリーのイベントで、みんな台紙にスタンプを押している最中だったのです。

「花丸游印録」は、オンラインゲーム「刀剣乱舞」(日本刀を擬人化したイケメンの男性たちが主人公のゲームらしい)のイベント名で、そのゲームは若い女性たちを中心にとても人気があるのだそう。私も世の中にすっかり疎くなってしまっていて、「刀剣乱舞」のブームは不覚にも全く知りませんでした。私が歴史館へ出かけたとき、ちょうどJR東日本がスタンプラリーの企画を仕掛けていたところだったんですね。ちなみに、展覧会会場には日本刀の虎徹も展示されていて、そちらも負けないほどの人だかりでした。

さて、私もせっかくの機会なので台紙をもらってスタンプを押してきてしまいました(笑)「刀剣乱舞」を通して、本物の日本刀を好きになる女性たちの気持ち、私にもわかるのです。というのは、私自身、歴史を好きになるきっかけがスーパーファミコンで発売されていた「斬2スピリッツ」というソフトでした。戦国時代が舞台のシュミレーションゲームで、友達から借りて何時間もやりこみました。その後、ゲームの世界だけでは満足できなくなり、友達と休日のたびに宮城県の城めぐりを楽しんでいたほど。私もゲームを通して歴史を好きになったという流れは同じなのです。

歴史館を後にし、せっかくなので偕楽園の常盤神社義烈館へ行って2つめのスタンプをゲット。ちょっと楽しくなってきたかも(笑)スタンプラリーは今月の26日まで。機会があれば、また水戸周辺へ行ってみようかな!

茨城県立歴史館「イカラカラ アイヌ刺繍の世界」展

2017-03-13 20:29:12 | 展覧会感想
私が小学生だったとき、家族で北海道に旅行へ出かけたことがありました。おぼろげな記憶ながら、旅先でアイヌに関する資料を展示した博物館へ足を運んだ覚えがあります。アイヌの晴れ着が壁面にずらりと並んでいて、それまで見たこともない直線と曲線の絶妙なバランスで成り立つ独特の文様に目を奪われたのです。こういう服を身にまとっていた人たちはどんな暮らしを送っていたのだろうと想像をめぐらせました。けれど、その想像は長く続かず、というのは、外の出店でサザエのつぼ焼きを売っており、父にねだって食べさせてもらったところ、ほっぺたが落ちそうなほどのおいしさ。私の想像はどこかへ飛んでしまったのです。所詮、私は子供だったのでした(笑)

現在、茨城県立歴史博物館では「イカラカラ アイヌ刺繍の世界」展を開催しています。水戸とアイヌに果たしてどんなつながりがあったのか、興味が湧いたので足を運んでみた次第です。解説によれば、江戸時代、水戸藩は蝦夷地探検に並々ならぬ関心を持っていたそう。特に二代藩主光圀、九代藩主斉昭は蝦夷地の調査を積極的に実施したとのこと。調査の動機には、光圀なら北方警護、交易など、斉昭は蝦夷地経営のためであったそうですが、やはりまだ未開の地であった蝦夷をもっと深く知りたいという知的好奇心があったのは間違いないのでしょう。

展示室で私たちを最初に迎えてくれるのは、水戸藩が蝦夷地探検で持ち帰ってきた現存する最も古いアイヌの衣装。黄土色の地に紺の刺繍が施され、素朴な美しさを今に伝えてくれます。こうしたアイヌの衣装が会場にずらりと並び、表と裏から観賞することができるように展示方法も工夫されています。文様はどこか呪術的な感じを抱かせますが、やはり魔除けの意味が込められているのだそう。ただし、具体的に何を表したものなのかはいまだにわかっていないそうです。これが、本州の着物であれば鶴、梅、桜、宝尽くしなどの縁起物が図案化されるわけですね。

文化の違い、といえばそうなのだけれど、同じ人間同士、自分たちの身辺を飾る意識は同じです。展示室には、アイヌの人たちが身に着けていた首飾り、耳飾り、腕飾りの装飾品のほか、木を刃物で彫りこんだ鞘、糸巻などが展示されています。それらはいずれも素朴で美しく、そして力強く、広大で寒さ厳しい大地に暮らす人々の正直で逞しい魂や生命が吹き込まれているように感じられました。

北海道へ行かない限り、アイヌに関する資料をまとめて見られる機会はそうそうないので、とても大切な時間を過ごすことができました。資料を見ているうちに、子供の時分に行った北海道旅行のことを思い出してみたり。

今の時期なら、茨城県立歴史館を見たあと、梅が満開の偕楽園へ寄れば、きっと二倍楽しめます。おすすめの展覧会です。

東日本大震災から6年目

2017-03-12 10:01:12 | その他
2011年(平成23)3月11日に東日本大震災があって、それから昨日で6年となりました。私の宮城県にある実家は被災したものの、家族は全員無事で、被害といえば家が少々傾いたくらい。近隣の道路は地割れがひどかったものの、今は家も道路も完全に復旧して、いつもの日常を送ることができています。けれど、地震や津波で大切な家族や仲間を失った人、そして沿岸部や原発事故で故郷を離れて暮らさざる得ない人たちのことを思うと心が痛みます。こうした人たちのために私ができることなどほとんどないわけですが、せめてこうした被害があることを忘れないために、本棚のなかへ小説や美術関係の本とともに東日本大震災関連の本を入れています。

震災前と震災後、私のなかでいつの間にか意識するようになったのは年のこと。たとえば、図書館で本を取ったら著者の略歴とともに出版年を確認するのですが、その出版年が震災前なのか震災後のことなのか、無意識のように考えているのです。震災前だから、とか、震災後だからどう、ということはないのにも関わらず。ふだんの生活のなかでは大震災を意識することはほとんどないのですが、私の心のなかでは未だ大震災の数字が絶えず浮んでは消えるようです。それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりませんが、とにもかくにも私のなかでは忘れることのできない出来事であったに相違ありません。

改めて、このたび亡くなられた方々へのご冥福と、被災された方々が一日も早く日常を取り戻せることを祈っています。