人の集合によって街は生まれる。ゆえに街の歴史は人の歴史であるともいえるだろう。
三浦しをんさんの『まほろ駅前番外地』は、街を1冊の本にしたような小説である。「まほろ市」という架空の街が舞台。多田便利屋を営む多田とパートナーの行天(ぎょうてん)を中心に物語が進み、全7章で構成されている。
この小説の面白いところは、彼ら2人が中心ではあるものの、主人公というほど主体的な存在感がないところである。むしろ、主体的であるのは各章のゲストであって、多田と行天はゲストの人生をうまく回すための潤滑油のような役割を担っている。ゲストたちは、みな「まほろ市」に住み、それぞれの人生を歩んでいる。例えば、大人びた小学生や嫉妬にかられた若い女性、危ない橋を渡る若い男性、夫婦倦怠期を迎えた中年の女性などがいて、街というものが、こうした人々の構成によって成り立っていることを気づかせてくれる。しかし、彼らは多かれ少なかれ悩み(というほどの深刻なものでもないが)を抱えていて、ギアの動きが悪くなり始めた時に、多田と行天の存在が潤滑油となってくれるわけである。では、肝心の主人公は一体誰なのか。私はこうした人間模様を織り成す「まほろ市」という街が主人公であるような気がしてならない。
どこかの小説家が、登場人物の性格を魅力的に書けている小説ほど面白いのだ、と言っていた。だとすれば、『まほろ駅前番外地』がまさにそうした小説ではないかと私は思う。そうして、街というものが人の集合によって生まれたものであることを教えてくれる小説でもある。
三浦しをんさんの『まほろ駅前番外地』は、街を1冊の本にしたような小説である。「まほろ市」という架空の街が舞台。多田便利屋を営む多田とパートナーの行天(ぎょうてん)を中心に物語が進み、全7章で構成されている。
この小説の面白いところは、彼ら2人が中心ではあるものの、主人公というほど主体的な存在感がないところである。むしろ、主体的であるのは各章のゲストであって、多田と行天はゲストの人生をうまく回すための潤滑油のような役割を担っている。ゲストたちは、みな「まほろ市」に住み、それぞれの人生を歩んでいる。例えば、大人びた小学生や嫉妬にかられた若い女性、危ない橋を渡る若い男性、夫婦倦怠期を迎えた中年の女性などがいて、街というものが、こうした人々の構成によって成り立っていることを気づかせてくれる。しかし、彼らは多かれ少なかれ悩み(というほどの深刻なものでもないが)を抱えていて、ギアの動きが悪くなり始めた時に、多田と行天の存在が潤滑油となってくれるわけである。では、肝心の主人公は一体誰なのか。私はこうした人間模様を織り成す「まほろ市」という街が主人公であるような気がしてならない。
どこかの小説家が、登場人物の性格を魅力的に書けている小説ほど面白いのだ、と言っていた。だとすれば、『まほろ駅前番外地』がまさにそうした小説ではないかと私は思う。そうして、街というものが人の集合によって生まれたものであることを教えてくれる小説でもある。