学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

飲み会が終わり…

2007-12-08 00:09:21 | Weblog
日付が変わってしまいました。
年末は忘年会シーズン。
私も今日は忘年会へ行ってきました。

中ジョッキ3杯でダウンです。
ぜんぜん飲んでませんね。
でも前ほど飲めなくなってしまい…。

もうふらふらです。
ふらふらなら、早く寝ればいいだろうというお話ですが、
ブログを更新せねばの執念で書いています(苦笑)
酔っているから、きちんと書けないのですけれどね(笑)

明日はまた仕事。
二日酔いにならぬことを祈って、今日は寝ます。
おやすみなさい。

近況報告

2007-10-01 19:09:39 | Weblog
さて、一週間ぶりの更新です。
みなさん、お変わりありませんでしょうか。

私のほうでは、一応パソコンの修理見積りが参りまして、なんと5万円かかるとのこと…。修理にしては高いし、かといって買い換えるほど高くはないし、なんとも言えない値段ですね。修理が終わるまで2週間ほどかかるそうです。しばらくは一週間ごとの更新になりそうですので、どうぞご了承ください。

さて、今日は美術館は休館ですので、本来であれば休みのはずなのですが、展示替えのために出勤しておりました。展示替え点数は30点ほどでしたので、3時ぐらいで終了し、あとは明日の仕事の段取りを組んでいました。明日は一年ぶりの木版画教室です。小学校へ行き、生徒たちにまずは作品鑑賞の方法を楽しく?説明してくる予定です。絵をどういう風に見たら楽しめるか、そして自分が絵を描くときには何を意識すると良いのか、わかりやすくを心がけて頑張ってきます。

いよいよ10月になりました。衣替えで、私もスーツの上を羽織っての出勤です。これからだんだんと寒くなりますね。季節の変わり目ですから、みなさまお風邪などひかれませんよう、お過ごし下さいね。

それでは次回10月8日にお会いしましょう。

しばしの別れ

2007-09-24 18:02:17 | Weblog
自分で言うのもなんですが、最終回のようなタイトルですね(笑)いえ、このブログ、決して今日が最後というわけではありません!実は数日前からパソコンが故障してしまい、まったく動かなくなってしまったのです。本当に困りました。いつ復活するのか見通しが立たないのです。毎日ブログをごらん下さっている皆様、本当に申し訳ありません。

そこでパソコンが修理から帰ってくるまで、しばらくはお休みさせていただきたく思います。そうは申しましても、まったく更新しないわけではありません。毎週月曜日に更新をさせていただきます。(近くにネットカフェがありますので。便利な世の中ですよね)

そんなわけで、いつもご覧下さっている方には、本当に申し訳ありません。次回は10月1日(月)にお会いしましょう。(何かすごいこと?がありましたら、随時更新するかもしれません。あるわけないか!:笑)

カラマーゾフの兄弟

2007-09-18 21:07:37 | Weblog
光文社古典新訳文庫が出版している「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー著 亀山郁夫訳)が好調な売れ行きだそうです。私もテレビや雑誌でも盛んに取り上げられているのを何度か拝見しました。書店に行っても売り切れていて手に入らない時もありました。ブームに押されて、というわけではありませんが、私も以前から少しずつ読み進めており、とうとう4巻まで来ました。ただ、私には世間で言われているような深い感動、感銘はあまり感じられず。どちらかといえば、何かを得てやろうというよりも、教養のために読んでいるのが動機としては大きいようです。

小林秀雄全作品24(新潮社)には、「文学と人生」をテーマに中村光夫と福田恆存、小林の3人が座談をした記録があります。そのなかで、小林はロシア文学について興味深いことを述べています。要約すると、小林は中学生(大正4)頃からロシア文学と出会い、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、ツルゲーネフなどを読み始めたそうです。彼の言葉を借りれば「買えばどうしたってロシアなんだ」とまるでロシア文学しか読みものがなかったかのような口ぶりです。そして、「ロシア文学には、日本人に何か近いものがある」と述べるのです。今、日本でロシア文学が親しまれる理由は、この「何か近いものがある」からなのでしょうか。
(「文学と人生」が掲載されたのは昭和38年8月『新潮』において)

私は、ロシア文学にはどうも馴染めないと随分前にブログで書いた覚えがあります。それは、私が「日本人に何か近いもの」を失ったせいなのでしょうか。あるいはロシア文学で補完されるべき「何か」が、すでに他の文学によって達成されたからなのでしょうか。その「何か」を考えることは、自己分析にもなって、大変に興味深いことなのではありますが、全く姿が見えてきません。ただ、メディアで「カラマーゾフの兄弟」は面白い、と聞かれるたびに、それほど強い刺激を受けない自分を寂しく思うのです。

ベルト・モリゾ

2007-09-17 20:18:28 | Weblog
今日は久し振りに展覧会の感想を書きます。

誰かから「女性の芸術家を知っているだけ挙げて下さい」と問われたとき、あなたはどれだけの名前を挙げることができるでしょうか。日本美術にしろ、西洋美術にしろ、美術史に残るのは男性の割合が圧倒的で、女性の名は大変に少ないものです。そんな女性の芸術家たちにスポットを当てた本に「女性画家列伝」(若桑みどり著 岩波新書)があります。著者は、女性の芸術家が少なかった理由の1つとして「女性が家事労働と生殖とに役割を限定されていた数千年の人類の歴史の中では、絵を描く女たちは、既成社会の原理的構造を逸脱した存在であったと言わなければならない」と述べています。つまりは、社会を「逸脱」する、それだけ特別な道を歩まなくてはならなかったというわけです。

本日、損保ジャパン東郷青児美術館の「ベルト・モリゾ展」を見学しました。ベルト・モリゾは19世紀に活躍した女性の画家で、モネ、ルノワールらとともに印象派の一翼を担いました。数年前に東京都美術館の「パリ・マルモッタン美術館展」でベルト・モリゾの作品が展示されたようですが、これを期にベルト・モリゾの名前が徐々に日本へ浸透してきたように思われます。

展覧会場は、姉エドマ・モリゾが描いたベルト21歳の肖像が迎えてくれます。画面には、真摯な目でキャンバスに向かうモリゾが描かれています。声をかけるのもはばかられるような、真剣な雰囲気です。そして、パレットを持つ左手の薬指には、指輪も。(すでに婚約していたのでしょうか。ベルトは26歳で結婚しています)

ベルト・モリゾは、姉と共にルーブル美術館での模写で絵画を学びます。これだけでも美術館が芸術家の養成に果たしていた役割は大きいものといえるでしょう。若いころ、とりわけ30歳後半から40歳前半の作品は、白を基調とした作品が多いようです。画面全体が、新鮮で優しい感じに仕上がっています。もちろん、あの印象派の画家たちに多く見られる薄い緑、青の調子も見られます。画題もほとんどが愛娘ジュリーを描いたもの。男性が登場するのは、夫の姿だけ。モリゾが残したジュリーを見ていると、私たちはジュリーが成長していくアルバム(ただのアルバムではありません。母親の視点からみたかけがえの無い成長の記録です)を見ているようです。母親の愛が画面からもひしひしと伝わってきます。あの丸くて優しい目は、男性には描けないものです。(展示会場にルノワールの女性像もありましたが、モリゾと比較するとまるで違うものでした)私は、特に《桜の木》の下に居る女性の髪の表現、舟に乗った母子をまるで賞賛するかのように白鳥や鴨が集まった《ブーローニュの森の湖》が好きな作品でした。

彼女は、他の印象派の仲間たちとも大変仲が良く、夫と共に印象派展での出品者の調整役も務めました。モリゾがなくなったあと、マラルメ、モネ、ルノアール、ドガらが彼女の一周忌に回顧展を開催したそうです。彼らが展示計画をたて、自ら展示作業にまであたったというのであるから驚きです。それだけ彼女は多くの作家たちの仲間として慕われていたことを示すものでしょう。

さて、ベルト・モリゾもやはり「特別な道」を歩みました。しかし、苦難が伴うはずの「特別な道」にも関わらず、モリゾにはそうした苦難は全く感じられません。彼女の絵は、とにかく幸せに満ち溢れているのです。(もちろん、生きてゆくうえで、言い知れぬ苦悩はあったでしょうが)モリゾは、家庭と芸術の両立を果たしました。それは夫も同じく画家であり、絵画に理解があったために成り立った部分もあったのでしょう。彼女の生涯は、印象派のように明るいものであったように思われます。

本展覧会は、日本では初のベルト・モリゾ回顧展だそうです。ぜひ、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

盛岡

2007-09-16 21:37:06 | Weblog
果たして盛岡は雨でした。午前中に大分雨が降ったようで、北上川も茶黒く濁り、水量も平常よりも高いようです。盛岡駅から東へ歩くと北上川にかかる開運橋があり、そこを渡ると、盛岡城跡にたどりつきます。私はしとしととまだ雨が降るなか、独り盛岡城を目指して歩きました。

私は、6年ぶりに盛岡を訪ねました。あの頃は、街全体に何だか活気が無くて、随分淋しい気がしましたが、今はなかなかどうして活気のある街になったではありませんか。雨にも関わらず、往来を沢山の人が行き来し、それに伴って、商店街も大変に賑やかなのです。私は色々な街を歩きましたが、かつての華やかし商店街はシャッター通りと化し、「今は昔」の様相を呈していました。盛岡にも、少なからず、そうした印象がありましたので、街の賑わいにはたぶんに驚かされました。

盛岡城三の丸から上がり、城跡を歩いていきます。秋の夕暮れ時、しかも雨の古城ほど、寂しいものはないでしょう。私は中の丸を通り、二の丸へ向かいました。ところどころの水溜りをうまく越えて行きながら。二の丸には、石川啄木の歌碑が建てられています。「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」。かつて学生だった啄木は、授業を抜け出して、ここ二の丸で文学書や哲学書に読みふけっていたそうです。かつてここから岩手山も窺えたとのことですが、今はすっかりビルに囲まれてその姿を見ることはできません。そんな些細なことからも、私は時の流れを感じてしまうのです。

雨が降る盛岡城の散策は、こうして終わりました。散策と申しましても、やはり雨が降っていたために、あまり身動きがとれず、一見して来た程度です。盛岡城へ来た理由は、何も歴史のなかに浸るだけではなく、とある目的があったためであります。それは、ある数枚の古写真に関係するのですが、また明日に御紹介することに致しましょう。


車内

2007-09-15 19:09:45 | Weblog
山形の赤湯温泉へ行ったのち、岩手県の盛岡を目指して出発しました。新幹線に乗車して、仙台、古川を過ぎると、次第にビル街も見当たらなくなり、しだいに奥羽山脈が姿を現します。奥羽山脈に限らず、山は間近で見ると木々の緑であふれているのに、遠くから望むと青白くみえるのです。空気が色をぼかすのでしょうか。薄い青は何やら神秘的な印象を持たせます。

列車は、新花巻駅を通過します。花巻は、宮澤賢治の故郷。車内から見る花巻は、田があり、赤いトタン屋根の家があり、寺があるばかりです。都会にあふれる余計な文物が、この街には一切入り込んでいないように思えます。明治時代、岩手県に鉄道の開通が決まったとき、農家の人々は「美田をつぶすな」と反対したそうです。ここにあるのは、ただの田んぼではないのです。美しい田なのです。秋風にそよぐ黄金色の稲は、大変に美しいもの。農家にとって、田んぼは貴重な収入源であり、家族の歴史が幾重にも積み重なっていると見ることもできるでしょう。また、同時に、田んぼは旅人を優しく迎え入れてくれる風景にもなりうるのです。

花巻を過ぎたころ、私は車内がやけに静かなことに気が付きました。この車両には、私一人しか乗車していないようです。そう言いますのは「お飲み物はいかがですか」と車内販売員の女性が、私の横を通り過ぎると、あとは全くの無言で先の車両まで進んでいってしまうからなのです。静かなのはありがたいことではありますが、静か過ぎるのもまた心細い気がします。殊に一人旅によっては。


赤湯温泉

2007-09-13 21:03:57 | Weblog
無事、旅行から帰ってきました。これから数日かけてブログにて報告をしたいと思います。ちなみに、当初東北を一周する予定でしたが、スケジュールの都合上、岩手県盛岡市をじっくり楽しむことにしました。

いくら万全の計画を立てていても、トラブルは突然に起こるもの。それは仕事に限らず、旅に関してもいえることでしょう。旅の場合には、それが醍醐味に化ける場合もあるのですが、そう感じられるのは後のこと。実は、一日目に岩手県の友人宅へ止まる予定だったのですが、旅行へ発つ前日に友人から「急な仕事が入り、泊めることができなくなった」と連絡がきたのです。さて、どうしたものかと思案していると、親から「赤湯温泉へ一緒に行かないか」と誘われました。偶然、両親も旅行の計画を立てていたのです。岩手県へ行っても宿がないし、何より温泉へ行くことができるのがありがたく、一緒に赤湯温泉へ行くことにしました。

赤湯温泉は、山形県の南に位置する南陽市にあります。900年の歴史を誇るそうです。田山花袋が、日本中の温泉地を描写した『温泉めぐり』(大正7)には「(赤湯温泉は)似たり寄ったりの宿駅的温泉場」と書いてあります。彼にはあまりいい印象ではなかったようで、それどころか「附近に小さな沼があるので、釣魚とか舟遊とかの興味はいくらか味わうことが出来た」と赤湯へ何をしに来たのかわからぬ始末です。それはともかく、田山の言葉を信ずれば、少なくとも90年前は、どこにでもあるような温泉場だったようですね。

私たちが泊まった旅館は、7部屋しかないという、こじんまりとした旅館。部屋に入ると、床の間にススキが生けてあるのが目に入りました。秋の演出ですね。部屋には露天風呂が備えてあり、もちろんいつでも入ることのできる贅沢。露天風呂の近くに来ると、わずかな硫黄の匂いがして、温泉場へ来たことを実感します。早速温泉に入り、肩まで浸かります。なんと幸せなことでしょう。目をつむると、遠くで祭囃子の音がします。それがまた興を添えて、時間が止まったかのような感覚になります(のちほど宿の人に話を伺うと、ちょうど秋祭りのある日であったとのこと)

湯に入った後、旅館に図書室があるというので、出かけて見ました。図書室にあるのは、膨大な量の展覧会カタログ。日本画、陶芸、書の展覧会が主で、それに加えて谷崎潤一郎、川端康成、司馬遼太郎の著作がずらりと揃えてありました。何でも経営者が20年かけて収集した本であるそう。旅館が気品にあふれているのも、経営者の蓄積された知識が「美」となって反映されているからなのかもしれません。仕事から離れた場所にいるはずなのに、「美」について考えてしまうのは、職業の性ですね。

荒れ狂う川に思う

2007-09-07 14:29:40 | Weblog
昨夜、ブログを更新した後に台風警戒配備命令が来て、今まで美術館に待機していました。すさまじい風雨でしたが、館内も外回りも異常なく、台風は過ぎ去りました。

警戒配備中、何度か美術館前の川を監視に行きましたが、普段の穏やかな流れとは打って変わって、川は荒れ狂う姿。高台から見ていたものの、背筋がぞっとしました。足もすくみました。しかし、何より不思議で恐ろしいことは、荒れ狂う川を見ていると、なんだか誘い込まれるような心地にもさせられることです。足もすくむほどの恐怖を感じつつあるのに、なぜ反発しないで、吸い寄せられるような気持ちになるのか。よく台風になると川の様子を見に行き、足を滑らせて濁流に飲まれてしまうニュースを耳にしますが、もしかすると、恐怖に誘い込まれる心理も関係があるのかもしれません。あくまで私見ですけれども。

今は雨も止みましたが、台風の影響でしょうか、風が強く吹きます。いつもの一日が戻ってきたようです。



台風前夜

2007-09-06 20:56:03 | Weblog
蒸し暑い日中、それが午後になるにつれて風が強くなり、雨がぽつりぽつりと。いよいよ台風が近づいてきたようです。職員のなかで、私は美術館から一番近い位置に住んで居るので、何かがあったら真っ先に私が駆けつけなければなりません。引き続き台風情報をしっかり掴んでおかねば!

話は大きく変わるのですが、先日、栃木県の宇都宮美術館へ作品の見学に行きました。同美術館は、「北欧モダン デザイン&クラフト」展を開催しています。私は人で混雑している企画展をあとに、常設展から見ていきました。常設展というと、どんなイメージがあるでしょうか。いつも代わり映えしない展示をしている、というイメージが少なからずあると思います。でも、近頃の美術館は、少しでもそんなイメージを払拭しようと、常設展でも楽しめる展示を企画しています。宇都宮美術館も例に洩れず、開館10周年と銘打って、なかなか面白い作品を展示していました。

なかでも私がハッとしたのは「サントリーローヤルのポスター」でした。正確に言えば、そのキャッチフレーズ。ポスターは、砂漠のなかで火を噴いている男性、小さな子供たちがこちら側を見ている写真です。このポスターは、昭和57年にデザインされたもので、左上に「未来にランボーがいるか」というような内容のフレーズがありました。(鉛筆でメモをとっておくべきでした)20世紀は、ゴッホ、セザンヌ、モーパッサンなど、様々な巨星たちがお互い影響をし合っていた。そんな巨星たちが21世紀も出てくるのかといったようなフレーズ。なんだか体中に稲妻が走るような文章だったのです。とてもウイスキーのフレーズとは思えない・・・。

ちなみにお恥ずかしいことに、ランボーを、スタローンの「ランボー」と勘違いしました。しょうがない人間です。先に出てきた火を噴いている男性の写真が目に飛び込んできたので、そっちの「ランボー」かと思ったのです(映画のランボーにもそんなシーンはありませんが:恥)ランボーは、詩人のランボーですね。非常に難解な詩を読む人で、日本ですと中原中也が影響を受けたとか。企画展そっちのけで、常設展に刺激を受けた私なのでした。

常設展に満足している間に、時間は刻々と過ぎて、結局企画展は流して見るしかありませんでした。何をしているのだ、私は。また宇都宮美術館に来ることになりそうです。

それでは、皆様、台風にはお気をつけ下さい。