学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

さようなら、さくら野百貨店

2017-02-28 21:22:27 | その他
昨日、仙台のさくら野百貨店の運営会社が倒産したとの報道を目にしました。私の世代だと、さくら野百貨店、というよりもダックシティやビブレといった名前のほうがしっくりきます。

子供のころ、ダックシティの名前を聞くと憂鬱になったものでした。というのは、ダックシティで付き合わされる母の買い物が長かったから(笑)さくら野百貨店は仙台駅前の十字路の角地にありますが、かつて同じ角地には東宝、日の出と両映画館がそろっており、そこで映画を見た後にダックシティで買いもの、そしてエスパルのおもちゃ屋、最後になぜか仙台駅の地下街で納豆巻を必ず買って帰るのが我が家の仙台定番コースでした。いつの間にか、映画館もエスパルのおもちゃ屋も納豆巻のお店もなくなって、最後に残っていたのがダックシティ、今のさくら野百貨店だったので、残念でなりません。

私は仙台へ帰省するたびにさくら野百貨店のブックオフを目当てに足を運んでいましたが、やはり建物自体に古さを感じましたし、パルコやエスパル2と新型のショッピングセンターが乱立していくなかでは、厳しかったのかもしれません。仙台駅前では、仙台ホテルも数年前になくなってしまいましたし、仙台は景気のいいイメージがありましたが、なかなかどうして難しい時勢なのでしょう。

さくら野百貨店、長い間どうもありがとうございました。

春は出会いと別れの季節

2017-02-26 21:05:24 | その他
2月も半ばを過ぎ、街のなかの軒先の梅も小さな花びらをつけるようになると、春の足音が静かに聞こえてくるような心地がします。春になると暖かくなって過ごしやすい日々が続き、寒いのが苦手な私にとってはこのうえもない喜びなのですが、春は出会いと別れの季節。私にとっては複雑な心境になるのです。というのは、私は「別れ」が、からっきし苦手なのです。

今年も別れがありました。それは長年住み続けたアパートとの別れ(つまり引っ越し)。私が今の街へやってきてから、ずっと住み続けていたので、それはそれは長い年月を暮していました。最後の掃除をしていると、アパートの部屋との思い出がどんどん湧き出てくる。

はじめて、アパートの部屋に来たときのこと。何もなくてがらんどうだった。でも、夢はいっぱい詰まっていた。

やってきて最初の夜。さすがに心細かったけれど、部屋の壁をさすっていると私はなぜか落ち着くことができた。

仕事を始めたばかりのとき、私にはまだこの街に友達はいなくて、仕事で失敗しても愚痴を聞いてくれる人はいなかった。毎晩部屋で独り、お酒を飲みながら、つまらない愚痴をいう私の言葉を、黙って延々と聞いてくれたのも、この部屋。

出張や旅行で長期不在にして帰ってきても、飲んだくれてへべれけになって帰ってきても、東日本大震災のような激しい災害に見舞われても、いつも暖かく迎え入れてくれた。

いつかは別れるときが来ると思っていたのだけれど、それが今年になってしまった。私にとって、ただの部屋ではない。いつの間にか、苦楽を共にした長年の友人のような存在になっていたのです。

私はセンチメンタルな性格ではないと思っていたのだけれど、部屋での最後の夜、私はシャワーを浴びながら不覚にも号泣してしまった。どうもありがとう、と心から感謝の気持ちを伝えて、私は部屋を後にしたのです。もういい歳になったのに、私は子供みたいな性格で仕方がありませんね。

思い出のアパートから巣立ち、今は新居でこのブログを更新しています。別れは悲しいけれど、前を向いて歩かなくては!春ですものね!

茨城県陶芸美術館「現在の茶陶」展

2017-02-20 19:39:30 | 展覧会感想
絵を観ることが好きな人ならば、誰しもお気に入りの美術館があるのではないでしょうか。私の場合、茨城県笠間市にある茨城県陶芸美術館がお気に入りの美術館のひとつです。

笠間市は昔から陶器「笠間焼」の産地として知られているところです。同美術館は見晴らしのよい小高い丘のうえに建っていて、その隣には笠間焼や地元の特産品を販売する複合施設もあります。美術館の常設展は、茨城県ゆかりの陶芸家板谷波山や松井康成、隣の栃木県益子町の濱田庄司らの作品を展示しています。企画展がまた秀逸で、テーマとして国内の陶芸作品はもちろん、過去にはロシア・アヴァンギャルドや1950年代のアメリカ陶芸を紹介するなど、世界に目を向けた広い視点のある展覧会を開催しています。私はこの美術館の企画展を観るたびに、テーマ、作品、解説、展示会場の雰囲気にいつも満足させられて心地よい気持ちになるのです。

今回の展覧会は「現在の茶陶」で、副題の「利休にみせたいッ!」はインパクトのある言葉ですね。展覧会は、伝統的な楽焼、美濃焼、備前焼などを再発掘した石黒宗麿や荒川豊蔵らから始まり、しだいに産地や窯元などの背景を持たない現代作家の作品へと移行していく構成です。どの作家の作品も素晴らしいのですが、水元かよこさんの《うさみみPOP》は特に印象に残りました。茶陶の形状の左右に細長いウサギの耳がキリッと立体的に伸びているのです。利休の生きた戦国時代の武将が好んだ「変わり兜」を彷彿とさせるもので、言うならば「変わり茶碗」といったところ。装飾的ななかに遊び心を感じさせ、日本の伝統的な美を踏まえた前衛的な作品でした。このほか、林恭助さんの《曜変》は器のなかに小宇宙を観るようでしたし、《黄瀬戸茶碗》はとても暖かくて優しい黄に満ちていて素晴らしい作品です。

こうして、今回もとても見応えのある展覧会でした。そして最後に…私がこの美術館が素晴らしいと感じることは、ミュージアムショップで出品作家(一部)の作品をリーズナブルな価格で販売していることです。これは来館者にとっても嬉しいことですし、作家にとってはなおさら嬉しいことなのではないでしょうか。作家はもちろん慈善事業でやっているわけでないですし、経済的な部分でのサポートは重要です。海外の美術館では作家を育てるために、こうした取り組みをやっていると聞いたことがありますが、日本ではまだまだのよう。美術館が作家の育成に貢献する、理想的な関係がここの美術館で築かれているようです。

群馬県立館林美術館「清宮質文と版画の魅力」展

2017-02-13 22:37:04 | 展覧会感想
府中市美術館のガラス絵展で、清宮質文(1917~1991)の作品を観ましたが、ちょうど群馬県立館林美術館で清宮の展覧会を開催していることを知ったので早速行ってみました。

清宮は木版画の作家です。大正生まれの清宮が木版画を始めたのは、昭和20年代後半と云われています。この頃の版画を概観して観るに、1951年(昭和26)第1回サンパウロ・ビエンナーレで駒井哲郎と斎藤清が日本人賞、翌年の第2回ルガノ国際版画ビエンナーレで棟方志功と駒井哲郎が優秀賞を受賞するなど、日本の版画が海外に高い評価を受け始めた時期にあたります。特に木版画は作品の大型化が進み、インパクトの強い作品が増えつつあったようです。そうした時代に木版画を始めたのなら、世の潮流に乗りそうなものなのですが、清宮はひたすら我が道を歩みました。(日本版画協会にも日本板画院にも入っていなかったようで、春陽会も途中で辞めて作家としては無所属で作品を発表していたようです)

展示室に入って壁面を眺めると、清宮の作品がずらりと並びますが、作品はいずれも小ぶり(あくまでイメージとしては印刷用紙でいえばA4ほど)で色彩も暗色の印象が強し。けれど、作品の前に立って向き合うと、小さな窓を通して広い景色を観るかのような奥の深さを感じます。清宮はムンクやルドンの影響を受けたようですが、戦前にムンクの影響を受けた永瀬義郎が雑誌『假面』でみせた絶望感や不安感(絶望感風といったら良いのかな)といった要素はほとんどありません。というのは、テーマ自体はそうしたものであったとしても、蝋燭の優しくて淡い光や貝殻のような羽をもつ蝶々のモチーフが希望の象徴のように描かれていて、観る人を苦しくさせないのです。どんな人生にでも希望はある、と云ったところでしょうか。

会場の後半には作品の版木も展示されていました。意外と彫りが浅いな、と思って観ていると、気になっていた作品の版木も展示してあることに気づきました。その作品名は《幼きもの》。子供の顔を描いた作品なのですが、最初に観たときに線の調子が銅版画風だなあと感じたのです。実際に版木を観ると、子供の顔の線が不規則な線で彫られている(というより引っかかれている)のでした。どうもガラスの破片のようなもので傷をつけていったような感じ。銅版画風の作品にしたのは、友人の駒井哲郎との関係があってなのかな、と考えてみました。

展覧会では、このほかに清宮のガラス絵、水彩、手帳なども展示されているほか、清宮が影響を受けたとされるルドンやムンクの作品も観ることができます。とても見ごたえのある展覧会ですので、ぜひ興味のある方はご覧になって観てはいかがでしょうか。


府中市美術館「ガラス絵 幻惑の200年史」展

2017-02-05 20:38:47 | 展覧会感想
そうして、私は小出の著作で予習したあと、府中市美術館の「ガラス絵 幻惑の200年史」展を観に行きました。

簡単に展示構成を述べると、まずガラス絵の制作方法を各段階ごとに実物の資料を使って紹介(制作方法はこれですっきりわかる)。次にヨーロッパ、東南アジア、中国、日本とガラス絵の伝播を辿ります。そして、作家が制作したガラス絵の初期の例として小出楢重、長谷川利行にスポットが当てられ、その後の芹沢銈介、川上澄生、藤田嗣治らの多彩な表現が花開く、といった内容となります。

最も初めに展示されているのは十七世紀ドイツで制作された《寓意画》ですが、その解説にガラス絵は版の制作方法からヒントを得た云々と書いてあります。確かに描いた面が反転したり、ひっかいて線を出したりするところは版の制作と似ているところがある。そういえば、展覧会で展示されている作家に川上澄生、畦地梅太郎、前田藤四郎、清宮質文、深沢幸雄ら版画家の名前が揃っています。とすると、版を扱う作家は、割合ガラス絵に違和感なく入ってゆけたのかもしれません。「版」の視点で観ていくと、なかなか面白いですね。

さて、私はこのあいだのブログで芹沢銈介の作風は明るくてはなやかであると書きました。展示されている芹沢が制作したガラス絵は、おそらく自身のコレクションがモチーフとなっているのでしょうが、《スペインの椅子》、《洋書》、《古玩具群》などの静物が取り上げられています。これらの作品を眺めていくと感じるのは、芹沢のガラス絵には「明るくてはなやか」な要素はほとんど無くて、どうも哲学的というのか、寓意的というのか、型絵染の芹沢作品とは別な世界がそこにはあるようでした。芹沢のガラス絵には詳しくありませんので、これ以上は追えないのですが、気になるところです。

展覧会はなんとガラス絵のみで126点が展示されています。見応え十分で、企画を担当された学芸員の方の努力に敬服します。展覧会は2月26日まで府中市美術館で開催されていますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。



小出楢重の「ガラス絵の話」

2017-02-03 19:25:44 | 読書感想
現在、東京の府中市美術館で「ガラス絵 幻惑の200年史」展を開催しています。ガラス絵とは、ガラスの表面に油絵具や水溶性絵具で絵を描き、描いた面の逆側から鑑賞するという仕組みです。描く順番を間違えるとまずいことになるわけで、例えば背景を一色でベタッと先に塗ってしまうともう何も描けなくなってしまいます。これまで、芹沢銈介や川上澄生のガラス絵を少し観たことがありますが、ガラス絵のみを一同に展示した展覧会はなかなかありませんので、ぜひ行ってみたいと思っていました。

と、その前にガラス絵の予習をしておきたいと思い、『小出楢重随筆集』(芳賀徹編、岩波書店、1987年)収録「楢重雑筆」の「ガラス絵の話」を読むことにしました。書棚から本を取り出して、ページを観るとびっくり。扉がシミだらけになっていました。それほど邪険に扱っていたわけではないのだけれど…。思えば、この本を購入したのは私が大学生のときで、それ以来の付き合いとなれば、まあ私も本も年を重ねたもので仕方がありませんね。

肝心の文字を読むことに関しては支障はなし。「ガラス絵の話」は洋画家小出楢重(1887~1931)がガラス絵の種類、歴史、技法、額縁などについて述べたものです。結論として、府中市美術館でガラス絵の展覧会を観るのなら、ぜひとも事前に読んでおくことをオススメします。なぜなら、まずガラス絵のことが概略としてよく分かるし、図版になっている小出のガラス絵も展覧会に展示されています。もっと深いところでは、『小出楢重随筆集』収録「めでたき風景」の「西洋館漫歩」で述べている小出の好きな風景のひとつである旧大阪府庁舎を描いたガラス絵も観ることができます。このほか、「表現法として真とに思い切った不精なやり方」であるガラス面に芸者の写真を貼り付けた作品もあり、展覧会をより楽しめること間違いなしです。

残念なことに『小出楢重随筆集』は現在絶版のようですが、手に入らなければ図書館で借りられますし、ウェブサイトの「青空文庫」で読むこともできます。時間のある方はぜひ一読してから、府中市美術館へ出掛けてみてはいかがでしょうか。

文化と生活

2017-02-02 20:24:29 | その他
最近の私は「民藝」に心を奪われていて、観に行く展覧会も、夜中に布団の中で読む本も「民藝」がテーマになっています。

昨夜、柳宗悦の『民藝四十年』(岩波書店、1984年)の「日本民藝館案内」を読んでいて、ふと気になる一節がありました。それはこのような文言です。


「国家は少数の異常な人々を挙げて、その名誉を誇るかも知れない。しかし一国の文化程度の現実は、普通の民衆がどれだけの生活を持っているかで判断すべきであろう。」


文化の尺度はどれだけ我々の生活に根付いているかで示されるものである、と解釈できるでしょう。と、ここで柳と似たようなことを誰かが書いていた気がすると思ったのですが、肝心の名前が出てきません。寝たがる頭脳に対抗して、しばらく悶々としていると、英文学者の吉田健一(1912~1977)の名が浮かびました。たしか、彼は文化とは生活である云々と書いていたはず。吉田の著作がうちにあったな…と横になったまま目だけ本棚の背表紙を追う。けれど、このあいだ本を売ってしまったことをここで思い出し、しかたなくウェブで文言を探すことにしました。便利な時代になったものです。

すると、ありました。


「文化は生活の別名にすぎない」(『英国に就て』吉田健一著、筑摩書房、1994年)


吉田の場合は英国をテーマにしたエッセイで述べているのですが、文化と生活の関係性については近いところがあるのではないでしょうか。今日、「文化」というと壮大でとらえどころのない印象を与えてしまう言葉ですが、柳や吉田の言うとおりの解釈で良いのだとするのならば、これは大きな反省を強いることが私の身近にあって…と考えだしたところで、私は夢のなかに沈んでいったのでした。

芹沢銈介の作品

2017-02-01 20:55:24 | 展覧会感想
現在開催されている日本民藝館の「柳宗悦と民藝運動の作家たち」展では芹沢銈介(1895~1984)の作品を観ることができます。芹沢は型絵染の大成者であり、その明るく華やかな作風は今なお多くの人を魅了します。

芹沢はあらゆるものを模様に変えてしまう、いわば魔法のような力を持ってる作家です。彼の手にかかれば、《沖縄絵図》のように沖縄本島でさえ模様になってしまう。展覧会に展示されていた《伊曽保物語屏風四曲屏風》は、誰でも知っているイソップ物語を題材としたもので、話の一場面ごとに模様化して円状にまとめ、全体として屏風の装飾になるという作品。また、絵本『どんきほうて』はスペインの『ドン・キホーテ』を日本仕立てにしたもので、ドン・キホーテが日本の武者の姿となって旅をする、おそらく江戸時代の丹緑本を意識した手彩色による作品です。どちらも元の物語の舞台は海外なのですが、芹沢の手にかかると、これらは日本で生まれた話だったのではないかと勘違いさせるほど。装幀も見事で、長年に渡り雑誌『工藝』の表紙を型染布表紙で手がけたほか、展示されていたイギリスの詩人、画家のウィリアム・ブレイク(1757~1827)の著作の装幀は斬新であり、過去の作家ブレイクを装幀によって現在によみがえらせたかのような妙があります。

芹沢の作品は、これまで宮城県仙台市の芹沢銈介美術工芸館や静岡市立芹沢銈介美術館などで観たことがありますが、日本民藝館で改めて魅せられた気がしています。いずれまた両美術館へ行ってゆっくりと作品をみたいものです。