学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

『経営者・平清盛の失敗』を読む

2016-10-30 18:56:48 | 読書感想
平安時代に興味が湧いてきたわけでもないのだけれど、今日もたまたま平安時代の本を読みました。『経営者・平清盛の失敗』(山田真哉著 講談社 2011年)です。タイトルからもわかるように、経済、という面から清盛へアプローチをした本となります。

私はそれほど平清盛に詳しくはないのですが、持っているイメージとしてはこんな感じ。平安時代に平家全盛期を築いた人。今に続く厳島神社を整備した人。でも、晩年は息子が先に亡くなるなど不遇であった人。

著書では、なぜ平家が莫大な財産を築くことができたのか、そしてなぜ没落をしてしまったのかについて、日宋貿易や宋銭などを中心に述べられています。要約すると、平清盛(父の忠盛も)は宋から手に入れた陶磁器などの舶来品を天皇に献上したことで、比較的裕福な土地柄の国司に任命され、そこで着々と財をなし、そしてまた舶来品を購入するという方法を取ったとのこと。初めの「献上」というのがキモで、舶来品を売却して利益を上げ続けたわけではないことに意外性を感じました。

さらに、全盛期を誇った平家がなぜ源氏に負けたのか。平清盛は宋銭の普及を図り、それまで米や絹で決済されていたものを貨幣で取引できるようにすることを狙ったそうです。当初、宋銭自体の数が多く普及していないなかで、その価値は高く、これまでの米や絹の価値は下落していく一方となりました。平家は貨幣決済のために貿易とも相まって莫大な利益を得ることになるのですが、その価値観がひっくり返る出来事が起こって…。今日でも資産運用は分散して投資する、が鉄則と言われますが、平清盛ともあろう人がリスクヘッジを考えられなかったのかな…と、彼も人間であったということなのでしょう。

著者は大学で日本史を学び、現在は公認会計士・税理士の方。経済の流れの中で平清盛の動きを探っていく内容はとても面白いものでした。著者もあとがきでおっしゃっているように、「抜け落ちた重要な主題」もあるのでしょうが、平清盛や平安時代後期の経済について学ぶには良い入門書ではないかと思いました。

『殴り合う貴族たち』を読む

2016-10-29 21:17:07 | 読書感想
10月も末。朝と夜の寒暖差が大きくて、体調の管理が難しい時期です。今日も日中は少し汗ばむくらいの陽気でしたが、日が落ちると案の定冷える冷える。寒さに弱い私には、つらい季節の到来です(笑)

今日の午後は自宅でゆっくりと本を読んで過ごしました。読んでいた本のタイトルは『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』(繁田信一著 柏書房 2005年)です。

殴り合うといえば喧嘩ですね。私の子供の頃は…と思い返しても、あまり喧嘩をしたという覚えはありません。どちらかというと、学校のクラスで喧嘩が起きても、それをぼんやりと眺めていることが多かったかも。ましてや、社会人になるとなおさら喧嘩はいたしません。私の場合、わざわざ殴り合いまでしてエネルギーを浪費するのはもったいない、と思っているので、そうそう感情的にはならないのです。それ以外にも喧嘩をしたときのデメリットのほうが大きいですからねえ。

ところが、平安時代の貴族は結構殴り合いをしていたらしい(笑)私の、というより世間一般のイメージとして、平安時代の貴族は牛車でのんびり揺られて、好きな女性の元へ通って、たまに歌を詠んでみたりして、おっとりと暮らしている、というものではないでしょうか。こうしたイメージというのは、著書でも触れられていますが、この時代の文学作品から受けるもの。『源氏物語』に暴れまわる貴族は出てきませんよね。少なからず、そういうイメージを覆してくれるのが、この著書です。

著書は、右大臣藤原実資の日記『小右記』を中心にひもとき、どれだけ貴族が暴れていたのかを紹介しているのですが、まあ貴族の血の気の多いこと。殴り合いの喧嘩はするわ、私刑(リンチ)はあるわ、果ては喧嘩の相手の首を持ち去るわで…暴れ放題。さらに女性も負けずに、取っ組み合う。なかには三条天皇に殴りかかった女性(ただし怨霊に取り憑かれていたとされる)までいます。人間の有り余るエネルギーみたいなものを感じますねえ…。現在の日本人なんて、彼らから比べれば大人しいものなのかもしれません。でも、そんな彼らが人間臭いと思うのは、自分は若い頃にさんざん暴れまわったのに、自分の子供が同じことをやるとひどく落ち込む貴族もいること。そんな貴族たちをどうも憎めません。

平安時代の貴族たちや天皇の一族の名前がたくさん登場してきて、なかなか覚えにくいところもありますが、平安時代のまた別な一面を見ることのできる本でした。

北茨城芸術祭・大子町中心部

2016-10-14 22:05:37 | 展覧会感想
先週まで半袖で仕事をしていたのに、ここに来て急に冷え込むようになりました。この寒暖差のせいか、今週はぞくぞくと寒気がして、心なしか喉も痛く、少し風邪をひいてしまったようです。みなさんも体調にはお気をつけ下さいね。

さて、先日行ってきた北茨城芸術祭の大子町中心部編です。といっても、作品の写真1点付は著作権の関係で掲載できませんので、景観のひとつとしての写真でご紹介します。




大子町の中心部(駅周辺)でも、作品はたくさん展示されています。こちらの写真は、「麗潤館」と呼ばれる木造建築の旧病院で、建物のなかでは7名の作家の作品を見ることができます。主に2階の個室を使って展示されていて、特に私が面白いと思ったのは、ハッカソンチームによる《干渉する浮遊体》。割れやすいシャボン玉を利用した作品で、シャボン玉が地球のように見え、宇宙から地球を眺めているような、そんな感覚を覚えました。




街中の商店街は、東京藝術大学による装飾が施されています。古い建物も、装飾が加わることで生き返って見えますよね。




こちらも東京藝術大学による装飾。建物は明治29年築の町屋で、現在は「大子漆八溝塗 器而庵」として営業しています。黒塀の重厚な建物と可愛らしい装飾のギャップがとても面白く、映画「天空の城ラピュタ」のラピュタ城において不気味な巨神兵と美しい花一輪が組み合わさるギャップのあるシーンを思い出します。…たぶん、そんなことを思い出すのは私だけでしょうけれど(笑)

明日からの2連休を利用して、また北茨城芸術祭へ行ってくる予定です。今度は茨城県に宿泊!とても楽しみです!



絵葉書・仙台城大手門

2016-10-04 20:28:25 | 絵葉書
私は趣味で明治、大正、昭和初期の絵葉書を集めています。絵葉書の魅力は、過去の風景、建物などを通して、歴史と対話できるところにあります。そういう意味では、風景画でも楽しめるのかもしれませんが、作者の目を通して見ることになるので、いくらかのバイアスがかかっています。それに構図の問題で実際の風景や建物がそのまま描かれているとは限りません。一方、写真は対象をありのままの姿で写し出します。そのせいなのか、手のひらに絵葉書を載せて、写っているものに目を凝らすと、なんだか過去と現在がつながっているような気がしてくるのです。

私の仕事柄、古いものが好きなので、被写体について調べることが楽しくてたまらないのです。例えば、建物のことであれば、いつ、どこで、誰が、どんな目的で作ったのか、そして今も残っているのか、ネットを使えば大体のことがわかります。絵葉書1枚から色々な歴史が辿れ、私はシャーロック・ホームズにでもなったつもりで謎を解いてゆくのです。

絵葉書の魅力はそれだけではありません。絵葉書、それ自体の単価がそれほど高くない(笑)手軽に入手できるのは嬉しいことです。それに今でも切手を貼れば絵葉書として使うことができます。以前、私が絵葉書好きなことを知っている方から、空襲で焼失する前の名古屋城の絵葉書で便りを頂いたときがありました。もう涙を流す…ほどでもなかったけれど、とても嬉しかった覚えがあります(笑)今日はそんな私のコレクションのなかから、仙台城大手門をご紹介したいと思います。




仙台城が築城されたのは西暦1601年。関ヶ原の戦いの翌年ですね。青葉山の一角に伊達政宗が築城し、以来、代々伊達家当主の居城となり、江戸時代は仙台藩の政庁として機能しました。写真は仙台城の大手門です。旧国宝。写真に目を凝らすと、門には菊や桐の飾り金具が見えてきます。私はこれを見たときに、長野県の松本城の黒門を思い出しました。大きさは異なりますが、松本城の黒門には同じように桐の飾り金具が装飾されているためです。でも…松本城の黒門は再建されたもので、名古屋城の門を模したそう。であれば、名古屋城と仙台城の門の装飾が似ているということなのでしょうか。



もう1枚は大手門を裏側から写したもの。年号らしき日付スタンプが押されているところをみると、大正15年でしょうか。右側にある櫓は「脇櫓」。大手門とともに国宝となっていました。脇櫓に関しては、1967年に再建されています。私は城郭建築にそれほど詳しくはありませんが、表側の重厚さに比べると、裏側は落ち着いた感じで、どこか寺社のようなイメージを与えてくれます。

最後に、残念なことですが、国宝になっていた大手門と脇櫓は1945年7月の空襲によって焼失してしまいました。仙台城跡に陸軍師団があったので、作戦上狙われてしまったのでしょう。惜しい限りです。今は姿を消してしまったけれど、写真の中で生き続けています。私は絵葉書を見ると歴史と対話している気がする、と前述しましたが、まさにそうした気持ちを抱かせてくれる写真です。

北茨城芸術祭・袋田の滝

2016-10-03 20:00:52 | 展覧会感想
昨日は再び「北茨城芸術祭」へ出かけ、大子町(だいごまち)エリアを回ってきました。大子町は茨城県の北西に位置している山間の街で、北は福島県、西は栃木県に接しています。都内からだと、車で3時間程度で来ることができるので、ドライブにはちょうど良い距離かもしれません。

大子町といえば、日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」(ふくろだのたき)が、よく知られているのではないでしょうか。私はいつか行ってみたいとは思いながら、なかなか重い腰が動かず、昨年になって初めて訪れました。今年はここが「北茨城芸術祭」の会場のひとつになっていて、このたび再び訪れたというわけです。

作品は「袋田の滝」へ向かうトンネルのなかに展示されています。天井に設置されたユニットのなかを赤い(あるいはピンクのような)光が走る、という作品で、作者は韓国のジョン・ヘリョンさん。狭いトンネルのなかを赤いヘビがうねるようでもあるし、トンネルを人間の腕や足のなかだと考えれば血液の流れのようにも見えます。ガイドブックによれば、作者の意図は「袋田の滝」を始めとする川などの流れをイメージしたそう。人によって様々な見え方で楽しめるのが芸術祭の魅力です。作品は作者の意図を越えて、私たちの心にいつも語りかけてくれます。ここで写真を紹介したいところなのですが、著作権がありますので、ぜひ本物の作品をご覧になって見てください。

さて、私は1年ぶりに「袋田の滝」を訪れたわけですが、ここは本当に楽しいところ。

まず、滝を見るまでしばらく歩くのですが、道沿いにお店が連なっていて、手軽に地元の名物が食べられるんですね。竹串に刺さった奥久慈のしゃものお肉、しゃものテール、鮎の塩焼き(子持ち鮎がとても美味しい!!)、お団子など、滝に向かいながら食べられる贅沢!食べ終わった後の竹串も、道端にゴミ箱があるのはもちろん、空の竹串に気づいた他のお店の人が声をかけて下さり回収してくれるのです。よくイベントなどで食べた後のゴミの捨て場にこまることがありますが、ここではそういう心配は一切ありませんでした。お店の人たちがそれぞれ連携している姿にとても好感が持てます。

肝心の「袋田の滝」も、観瀑台がいくつもあって、遠目から全体の姿を眺められるし、水しぶきがかかるほど目の前でも眺めることができます。そこからは自然の美しさ、爽やかさ、力強さといった要素が楽しめます。これからは、11月の「袋田の滝」ライトアップ、紅葉のシーズン、そして氷爆のシーズン。まだまだ楽しめそうですね!




ぜひ、「北茨城芸術祭」と合わせてお楽しみ下さい♪