学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

090928.東京Ⅱ

2009-09-29 20:36:14 | 展覧会感想
「新制作展」を見終えた後は、1階に降りて「THE ハプスブルク」展を見てきました。国立新美術館の休館日は月曜ではなく、火曜ですから、得した気分♪

事前にパンフレットを一通り読んで行きましたが、ルーベンス、レンブラント、エル・グレコ、ラファエッロ、デューラー…いわゆる「巨匠」たちが展示されています。これらのほとんどがハプスブルク家の美術コレクションだったんですね。ハプスブルク家は13世紀のヨーロッパに登場した王家。600年間以上も続きましたから、徳川幕府300年の2倍ですね。結婚政策によって続いた(もちろん他の要素もありましょうが)とされますが、しかし、驚かされます。徳川幕府も各藩との婚姻関係がありましたね。それと似たようなところがあるのでしょうか。後日、調べてみます。

展覧会会場は、画家の活躍した国ごとに壁面を青、赤、茶などに変えて展示がされていました。今、どこの国の作品を見ているのか、ということがある程度意識して見られます。観覧者が非常に多いため「新制作展」のようにじっくりメモを取りながら見られないと判断し、パッと見て、惹かれる作品だけをセレクトしてゆっくり見てゆくことにしました。

なかでもエル・グレコ《受胎告知》、このドラマチックな作品は素敵です。エル・グレコの作品は今まで2回見たことがありますが、私はとても好きです。これから何かが起こりそうな物語や運命といったものを強く感じるのです。あとは気に入った、というわけではありませんが、デューラーが印象に残りました。デューラー、北方ルネサンスの影響を受けた日本の画家に岸田劉生が居ます。そう、今回展示されていた作品は、まさに岸田劉生が影響を受けたであろう構図や雰囲気を感じさせるものでした。岸田がこういう絵を見て学んだのだなあ、と思うと、遠い存在であるデューラーに親しみが沸いて来るのですから、人間というのは不思議なもの。

本展覧会は、とても見ごたえがあります。西洋美術の「巨匠」たちについて興味のある方、学びたい方はぜひ。

090928.東京Ⅰ

2009-09-28 20:18:58 | 展覧会感想
お知り合いの作家さんから、公募展と個展のご案内をいただきましたので、久しぶりに東京へ行ってきました。

まずは国立新美術館の「新制作展」へ。「新制作協会」は1936年(昭和11)に結成された、反アカデミック芸術の精神を持って「独自の芸術的行動の自覚」を掲げたグループです。毎年見させていただいていますが、展覧会場はいつも大きなエネルギーに満ちていて、自分がアートに圧倒されてしまうような感覚を覚えます。私はアートを前にして、心に何かひっかかるものがあると、その感覚と作品、作者についてメモを取ります。そうして、昨年のメモを元に今回の作品を比べて様々な思いをめぐらすのです。これはとても楽しいことです。

ぐるりと歩いて、ご案内を頂いた作家さんの絵の前まで来ました。手を合わせた男性(キリスト教の信者なのでしょう)の像が倒れていて、顔には涙があります。でもどうして泣いているのか?倒れた男性に大して、右側から何者かの大きな手が差し伸べられています。作家さんが何を主張したいのか、を考えるよりも、私と目の前の絵との関係について考えてみる。

ここからはかなり個人的な意見ですので悪しからず…(笑)倒れた男性は、もうどうにもならなかった昨年の私。でも、大変だったとき、色々な人(これがつまり大きな手になるわけですね)に支えて、助けてもらって、現在の自分が居る。ああ、私はみんなに助けてもらったんだなあ、と強く実感して、感謝する。この絵に、私は自分の過去を見ているような気持ちになりました。

もちろん、作者さんは昨年の私なんて知りませんし、これはあくまで私の勝手な妄想にすぎないのです(笑)でも、自分と目の前のアートとの関係について考えることは、自分自身を見つめなおす機会にもなると思うのです。絵に決まった見方はなく、自由に、誰にも邪魔されずに、様々な想いを巡らせてみるのは楽しいことです。

私の案内状を下さった作家さんにお会いすることは出来ませんでしたが、作家さんの絵と心のなかで会話をして、とても充実した時間を過ごすことができました!

明日は同じく国立新美術館の『THE ハプスブルク』展の感想を書きます。

食欲の秋

2009-09-26 20:17:51 | その他
朝晩、随分涼しくなりました。秋ですね。

秋といえば、芸術の秋、読書の秋、食欲の秋、と色々な秋がありますけれども、今日は食欲の秋についてのお話。

先日、美術館スタッフから栗を頂きました。栗をいただいたら…もう栗ご飯しかない(笑)そして早速作ってみたのですが、見事に失敗に終わりました。どうも一味足りない感じで。難しいです。まだ栗が残っているので、これは次回チャレンジできそうです。

お魚では秋刀魚と秋鮭。これは焼けば食べられるので、とりあえず失敗はしなかった(笑)あぶらがのっていて、とても美味しいものです。秋刀魚と秋鮭のおかげで、ご飯がたくさんいただけます。

北陸旅行から戻って後、どうも面倒くさくて自炊がおろそかになっていましたが、食欲の秋のおかげで、元の生活に戻りそうです。ただ…食べすぎには注意して、美味しい秋の味覚を楽しみたいと思います!

アートで街を活性化する

2009-09-25 20:43:59 | 仕事
月刊『ギャラリー』9月号の特集は、「新潟市が新たに立ち上げた水と土の芸術祭2009」です。この「水と土の芸術祭」とは、新潟市のいたるところ、美術館はもちろん、街の住宅や倉庫、はたまた野外と幅広く美術作品を配置して、全体がアートにあふれる街になるという企画。つまり、アートで街の活性化を狙うんですね。

最近、こうした試みが増えてきたように思います。岩手県の土沢もそうですね。芸術祭ではないけれど、蓑豊氏の著書を読むと金沢21世紀美術館の存在もこれに近いものがあるようです。街のなかに美が溶け込むと、私たちの生活と美はとても密接な関係となります。芸術祭では、もちろんガラスケース越しに作品を見るわけではありませんから、ますますそれが強く意識される。美へのイメージが変わる人もいますでしょうし、もっと親しみを持つ人もいるのではないかと思います。また、作品が街全体に配置されていますから徒歩なり車なりで街を巡ることで、その土地が持っている雰囲気、心地よさを肌で感じられる利点もあるでしょう。

これからますます芸術祭が全国各地で行われるのではないでしょうか。もちろん行政の限られた予算の中で、という制約はありますし、様々な関係団体との横のつながりを強化しなければならないなど実行するまで大変なことであるのは間違いないことです。学芸員である私の夢は、やはり地元でこうした芸術祭を立ち上げること。とてもやりがいのある仕事になりそうです。

さて、前にご紹介しました岩手県土沢の芸術祭は来月の予定のよう。もうすぐですね。来月は岩手県へ出かけて、芸術祭を肌で味わってきます!



安村敏信氏『暁斎百鬼画談』

2009-09-24 18:00:23 | 読書感想
河鍋暁斎(1831~1889)は幕末から明治初期にかけて活躍した絵師です。彼の絵はとてもユーモラスで、時には恐ろしく!ヨーロッパでも大変人気がある絵師の1人だそうです。

さて、先日ご紹介した板橋区立美術館館長である安村敏信氏による『暁斎百鬼画談』がちくま学芸文庫から出版されています。『暁斎百鬼画談』は暁斎の亡き後、折本形式で出版され、百物語をする人々、しゃれこうべと妖怪の戦争、そして並み居る妖怪たちが次々に登場します。なかでも化粧する女妖怪の背後に、空間を切り裂いたような細い切れ目をつくり、なかから女たちが覗き込んでいる様子、この空間を裂く、という発想に遊び心がとても感じられます。本作は、室町時代の『百鬼夜行絵巻』からヒントを得て制作されたそうです。

河鍋暁斎は、浮世絵師歌川国芳のもとへ7歳で弟子入りしますが、すぐに離れ、狩野派の師のもとで絵を学びます。当時、絵師になろうと思ったら、狩野派の門戸をたたくのがオーソドックスですが、その前に国芳の下へ弟子入りしているのは興味深いことですね。主に戯画が中心ですが、口絵の仕事のほか、ウィーン万国博覧会、第一回内国勧業博覧会などに作品を出品しています。

暁斎の作品を見てゆくと、過去の日本美術から様々な影響を受けていることがわかります。本書でも触れられていますが、師であった国芳の錦絵、室町時代の『百鬼夜行絵巻』を始め、平安時代末期の『鳥獣人物戯画』、葛飾北斎などの影響も見受けられるようです。自分なりに心へかかるものを摂取して、独自の境地を切り開いていったんですね。戯画、というと軽いイメージをもたれますが、決してそんなことはなく、常に高い向学心を持って、創作に取り組んでいたことがわかります。この本を読むと、もっと河鍋暁斎のことが知りたくなる、そんな1冊です。

●『暁斎百鬼画談』安村敏信監修・解説 ちくま学芸文庫 2009年

旅行の最終日

2009-09-21 19:54:14 | その他
旅の締めくくりは、富山県高岡市。ここには前田利長が築いた高岡城があります。建物は現存していませんが、水を湛えたお堀、苔むした石垣など、東京ドームにして4つ分の広さが保存されています。

高岡駅から、いたるところに利長のマスコットキャラクターがありましたが、地元の方へ話を伺ったら、やはりここでは前田利長は特別な存在なのだそうです。利長が高岡に城を築き、息子利常が街並みを充実させたとのこと。今でも昔ながらの建物が残り、かつての風情を残していました。

今、城は公園となって、人々に親しまれているようです。

私はこのあと富山市で一泊し、地元へ帰ってきました。なんだか夢のような4日間でした。やはり旅はいいものですね。また北陸へ行きたいな、と思いました。私にとって忘れられない旅行となりました!

七尾城登り

2009-09-20 18:14:12 | その他
金沢から北に、七尾という街があります。織豊期、七尾は能登畠山氏が治めていた地域でした。拠点の七尾城は、上杉謙信も攻めあぐねたという難攻不落の山城。あの上杉謙信でさえ攻めあぐねた城とはどんなものなのかを知りたくて、私は七尾へ向かったのでした。

七尾城に向かうには、車で行くコースと徒歩で行くコースに分かれています。史料館前にあった看板を見ると、徒歩で40分との記載。これくらいなら平気だろう、私は徒歩でゆくことにしました。この決断が、まあ、ある意味、失敗のもとだったんですね(笑)

アスファルトで舗装された道は次第に砂利に代わり、民家も少なくなり、道幅は狭くなり、私はなんだか心細くなってきました。しかし、看板だけはありますから、まあ間違いはないだろうと進んで行ったんですね。しだいに急な坂となり、道が悪いせいもあって、私はもう肩で息をする始末。ところどころに「○○跡」という表示が出ているのですが、もう草木が生い茂り、かつての面影は発見できず、ただかつてここにそんなものがあったんだな、というのが情報がわかっただけ。しかたないですよね…上杉謙信に攻め落とされて400年近く経っているんですから。汗はだらだら、アブとハチはやたらといますし、もう帰ろうかなと思いましたが、「本丸跡まであと○○km」と看板が出ていますから、それを唯一の希望としてひたすら登りました。そして頂上へ!

もう泣きたくなるような達成感!(泣)歴史を物語る三段の野面積みの石垣。本丸から見下ろす七尾の街、その先にははるか日本海。風がひゅうひゅうと吹いて、とても心地よく、ああ、このままいつまでも景色を眺めていたいな、と思うほど美しいものでした。かつて畠山氏もここから同じ景色を眺めていたのでしょうね。

帰り、またあの道を引き返すのは無理だと思いましたので、車コースから降りることにしました。…当たり前なのですが、当然道は広いですし、アスファルトで舗装されていますし、初めからここを通ればよかった、とちょっと後悔。でも、山登りはいい経験?ではありました。

上杉謙信が攻めあぐねた七尾城。これは攻めあぐねるわけだと体で納得がいきました(笑)私だったら、攻めたくない。上杉謙信も攻めたくなかったと思います。でも、攻め落とさなくてはならない必然的な理由があったんでしょう。時代の流れで、このあと、前田利家が能登に入りますが、ここではなく、今のJR七尾駅近くの小丸山城に本拠を構えます。あの山城では不便ですものね。

金沢行きの電車。私はまだお昼になっていないにも関わらず、疲れて居眠りをしてしまいました。どっと疲れた、でもいい思い出になった七尾城登りでした。

痛みをこらえて金沢散策

2009-09-19 19:19:56 | その他
次の日、朝起きると、右足の甲に激痛…。やはり初日に歩きすぎたようで、強い痛みがはしってしまいました。(ちなみに旅行から帰ってきた今でもまだ治りません:泣)

痛みをこらえて金沢散策です。本多記念館、石川県立美術館、金沢21世紀美術館、長町武家屋敷、金沢城、兼六園、泉鏡花記念館、東茶屋街…足を痛めているのに、よくぞ行ったな、という感じ(苦笑)記念館や美術館では、係の方に断って、鉛筆で色々とメモを取らせていただきました。それぞれの見聞については、後日ご紹介したいと思いますが、これだけの施設が金沢中心に集まっているのがうれしい。金沢城や兼六園などの歴史あるものと金沢駅や金沢21世紀美術館などの斬新な建築がうまく融合していて、違和感の無い街でした。歴史があって、今がある。これは当たり前のことですけれど、そう感じさせるだけの街並みはなかなか残っていないものですね。それが金沢にあるわけです。しかも目の前に。街として理想的な形ではないのかな、と私は思いました。

金沢の夜は、もちろん?居酒屋で日本酒や海の幸を頂いてきました。私の場合、ガイドブックに載っているような有名どころではなく、ちょっと裏道に入ったところをてくてく歩き、雰囲気のよさそうな店に入ってみるのです。今回入ったお店もとてもきさくな店主と常連客が居て、お酒の入った私はすぐに仲良くなり、色々話を伺うことができました。名所を見て、料理を食べて、そして地元の人とふれあう。まさしく旅の醍醐味を味わった、心地よい風の吹く2日目の夜でした。




福井県一乗谷、丸岡へ

2009-09-18 23:34:56 | その他
しばらく旅行の感想について書きたいと思います。

初日は福井県の一乗谷と丸岡へ行きました。

一乗谷は、福井駅から電車でおおよそ15分ほどの場所にあります。谷、というくらいですから、山々に囲まれた場所でした。一乗谷に本拠を置いていたのは、朝倉氏。朝倉氏は織田信長に攻め滅ぼされるまで、ここに拠点を構えていたのです。

現在の一乗谷は、発掘調査と整備によって、当時の一乗谷の街並みが復元されています。復元、といっても、まるっきり再建したわけでなく、面影を上手に生かした復元。石垣、井戸などが平成に今に蘇ります。私がふと思ったのは、一乗谷館と庶民の住む土地に、一乗谷川を挟んで、ほとんど高低がないこと。(もちろん、戦闘になった場合は、山城で戦ったのですが)朝倉氏と庶民との密接な関係を示しているように感じて、とても面白かったです。もしかしたら、夏になったら、武士、庶民、お互いに一乗谷川の蛍を楽しむこともしたのかもしれません。

つづいて、丸岡へ。丸岡駅から、丸岡城へは徒歩で向かいました。これが後に無謀だったのです(苦笑)かなり歩いて、ようやくたどり着き、お城の内部を見てきました。日本最古の天守だそうです。福井地震で一度倒壊していますが、可能な限り、当時の材料を用いて復元されたそうで、とても雰囲気があります。また、凍結を防ぐために、陶の瓦ではなく、石を瓦として用いているのも特徴です。

とても楽しかったのですが、帰り道、私は徐々に右足の甲に痛みを感じ出していました。初日は別にたいしたことはないと思ってたのですが、次の日から猛烈な痛みを感じ始めて…。

初日はお城巡りでしたが、とても楽しかったです。特に一乗谷館は、昔の風情がとても良く残されており、城跡としては、今まで見たなかでは一番良かったです。皆様も、ぜひ一乗谷へ♪


旅行から戻りました

2009-09-17 16:51:44 | その他
長らくお待たせしました。本日、旅行先から戻りました。ああ、久しぶりの我が家!

旅行は予定通り、むしろ予定よりもかなり多くのところを回ることができ(案の定、途中迷ったりもしましたが)、とても楽しい時間を過ごすことができました。お城巡り、美術館巡り、そして居酒屋巡り(笑)北陸へ行って本当に良かった!

でも…今は、もう右足が痛くてたまらず、横になっていたいのです(泣)そう、この北陸旅行。楽しかったのですが、終始、この右足の痛みに耐え忍ばなくてはなりませんでした。どうして右足が痛くなったのかは…、結局のところ歩き過ぎたのです!しょうがない人です。今日は足を冷やして、安静にしています。

明日から随時、旅行の感想を書いてゆきます。それでは、また明日お会いしましょう。