高橋由一と言えば《鮭》を思い浮かべる方が多いと思います。現に教科書にも取り上げられているくらいですから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。由一と《鮭》は日本近代美術を語るうえでは欠かせないと言えるでしょう。
さて、私個人の話となりますが、由一の作品を初めて見たのは宮城県美術館で《宮城県庁門前図》でした。横長の構図。塀に囲まれた県庁に、今まさに馬車が入らんとしている図です。正直、取り立てて感想もなく、ああ…あの高橋由一なのかと思った程度でした。そう、教科書に出てくる人物が少し身近に感じた程度。私がまだ若々しい高校生の頃の話です。
初めて東京藝術大学で《鮭》を見たのは大学生。確か《鮭》の隣には、やはり由一の代表作《美人(花魁)》が展示されていた覚えがあります。私は2点を食い入るように見つめていました。ああ…高橋由一なのか、ではなく、これが高橋由一なのか、と。《宮城…》を見た時は、まだ高校生で知識が大いに不足していたこともあったのでしょうが、やはり《鮭》はよかったのです。《鮭》を見ただけで、東京へ出てきた強い意味があったと思って帰途に着きました。
高橋由一と私は、つまりそんな出会い?だったのです。明日は、それから、について書きましょう。
さて、私個人の話となりますが、由一の作品を初めて見たのは宮城県美術館で《宮城県庁門前図》でした。横長の構図。塀に囲まれた県庁に、今まさに馬車が入らんとしている図です。正直、取り立てて感想もなく、ああ…あの高橋由一なのかと思った程度でした。そう、教科書に出てくる人物が少し身近に感じた程度。私がまだ若々しい高校生の頃の話です。
初めて東京藝術大学で《鮭》を見たのは大学生。確か《鮭》の隣には、やはり由一の代表作《美人(花魁)》が展示されていた覚えがあります。私は2点を食い入るように見つめていました。ああ…高橋由一なのか、ではなく、これが高橋由一なのか、と。《宮城…》を見た時は、まだ高校生で知識が大いに不足していたこともあったのでしょうが、やはり《鮭》はよかったのです。《鮭》を見ただけで、東京へ出てきた強い意味があったと思って帰途に着きました。
高橋由一と私は、つまりそんな出会い?だったのです。明日は、それから、について書きましょう。