学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

高橋由一と私 その1

2008-09-30 20:43:59 | その他
高橋由一と言えば《鮭》を思い浮かべる方が多いと思います。現に教科書にも取り上げられているくらいですから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。由一と《鮭》は日本近代美術を語るうえでは欠かせないと言えるでしょう。

さて、私個人の話となりますが、由一の作品を初めて見たのは宮城県美術館で《宮城県庁門前図》でした。横長の構図。塀に囲まれた県庁に、今まさに馬車が入らんとしている図です。正直、取り立てて感想もなく、ああ…あの高橋由一なのかと思った程度でした。そう、教科書に出てくる人物が少し身近に感じた程度。私がまだ若々しい高校生の頃の話です。

初めて東京藝術大学で《鮭》を見たのは大学生。確か《鮭》の隣には、やはり由一の代表作《美人(花魁)》が展示されていた覚えがあります。私は2点を食い入るように見つめていました。ああ…高橋由一なのか、ではなく、これが高橋由一なのか、と。《宮城…》を見た時は、まだ高校生で知識が大いに不足していたこともあったのでしょうが、やはり《鮭》はよかったのです。《鮭》を見ただけで、東京へ出てきた強い意味があったと思って帰途に着きました。

高橋由一と私は、つまりそんな出会い?だったのです。明日は、それから、について書きましょう。

先生と私

2008-09-29 20:25:19 | 仕事
そんなタイトルだと、なんだか漱石の『こころ』みたようですが、別段『こころ』について書くわけではありません。先生と私、とはすなわち、館長と私。

先日、とある展覧会場で前館長に偶然出会いました。体調を崩されて退任されたので、その後心配でしたが、大変お元気で。フランスにも取材に行かれたとのことで、すっかり以前の元気を取り戻されたようです。

久しぶりにお会いして、積もる話は山ほどあり、何をどうお話していいかとまどう私。そんな私を察したのか、前館長(以下先生)は近頃の注目している展覧会や自身の創作活動について話をして下さいました。やはり…強く実感したのがグローバルな視点で美術について語っておられること。私は自分の未熟さと視野の狭さを痛感。帰りは車の中で、ずっと考え込んでしまいました。

学芸員とはどうあるべきなのだろう、求められているのは何だろうか、そうして自分はどうあるべきなのだろう…頭のなかで錯綜します。ただ、うまくは言えないのだけれど、私が学芸員になってからずっと頭の中にあった言い知れぬ違和感のかたちを今つかみかけているような気がするのです。もう少しでわかりそう、そのような感覚です。

なんだかいつも以上にまとまらない文章でした。ブログを読んでくださった方、申し訳ありません。書いている私自身が錯綜しているので、こんな文章になってしまいまいした。今日という日、私にとって大きな意味の或る一日である…そんな思いがします。

どうしても思い出せない人

2008-09-27 20:31:50 | 仕事
今朝、出勤したら私の机上に封筒が置かれていました。宛名は私の名前。個人宛に来るなんて珍しいと思って、裏を見たら、とあるギャラリーから。お送り下さった方のお名前もご丁寧に書いてありました。しかし…どこでお会いしたのか思い出せないのです!

名刺入れを見て、探してみましたが、その方の名刺はなし。(名刺の裏にどこでお会いしたか記入するようにしてますので)インターネットで、ギャラリーのHPを開き、当館との関わりを考えてみましたが、どうもひっかからず…。

大変申し訳ないと思いつつ、御礼の電話をしました。声を聴けば、思い出すかもしれないと小さな期待を抱いて。相手の方は大変明るい調子の人で「いつもお世話になっています」(社交辞令ではなく)とのことでした。お聞きするのも失礼なので、私は結局最後まで思い出せず、そうして今に至ります。う~ん。どこかでお会いしたのか…気になります!

近頃

2008-09-26 19:16:29 | その他
どうも近頃パソコンの調子が悪く、昨夜は修復?にかかりきりでした。そのかいがあったか、今日になってだいぶ安定してきたようです。

仕事から帰ると手当たり次第に本を読み漁って、そうしていつの間にか寝ている毎日です。朝になってまた同じ本を読んで、反復させて知識を付ける。これが効果的なのかわかりませんが、「反復」という行為は記憶を定着させるためには必要なこと、のようです。私は今までじっくり本を読んで、考え、そして記憶する手段をとってきましたが、近頃は知識に飢えていて、とにかく手当たり次第に読みたい調子…いいのか悪いのか。

今日もこれから自宅にある図録を読み漁ります。そして一日が終わりそうです。

浮世絵雑感

2008-09-24 20:08:30 | 仕事
心身ともに回復しつつあり、ようやく仕事に一息つける感じです(これからまた忙しくなるのですけれど…)。

近頃、浮世絵に関する本をいくつか読んでいます。浮世絵といえば…実は学生時代の私は浮世絵がどうも苦手でした。名所絵は好きでしたが、美人画や役者絵はどうも生理的に受け付けず、浮世絵師の鈴木春信や喜多川歌麿らは私にとってあまり興味を引くものではありませんでした。逆に好きだったのは歌川国芳、歌川広重。ダイナミックで、ユーモアにあふれた国芳、大胆な構図で数々の名所絵を制作した広重です。

そんな私ではありますが、浮世絵が苦手…と敬遠するのはいかがなものかと、苦手なら苦手な理由を探してみようと本を読んでるわけです。動機が単純ですね…。幸いにして、ちょうど浮世絵の展覧会が各地で行われているようです。江戸東京博物館の「ボストン美術館 浮世絵名品展」、同じく東京都の太田記念美術館「浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展」、栃木県の足利市立美術館「四大浮世絵師展」。どれもちょっと遠いのですが、できればこの機会に行ってみたいですね。

無題

2008-09-23 21:12:08 | その他
すっかり夜も涼しくなりました。日中の好天でさえ、どことなくさわやかな感じ。いつの間にか9月も半ばを過ぎ、いよいよ今年も残すところ3ヶ月…それは気が早すぎますね(笑)

これから虫の音を聞きながら、日本酒をしみじみ飲んでみます。

『津軽』 本編 五 西海岸

2008-09-18 21:37:25 | 読書感想
『津軽』を読み終え、少し目をつむって考えてみるに、この「西海岸」はクライマックスでありながら、しごく感想を書きにくいことに気がつきます。どうも違和感があるのです。それが何なのか。それを突き詰めることが「西海岸」の感想になるのかもしれません。

太宰は「この機会に、津軽の西海岸を廻ってみようという計画も前から私にはあったのである」と冒頭で述べています。一文を読むと、別に目的もなく、ただ時間があれば西海岸を廻ってみようと思ったという風に受け取れます。のちのち振り返ると、変な一文なのですが…。

金木を出発した太宰は、木造で父のルーツを追い、深浦町、鯵ヶ沢と歩きます。このあたりは実に淡々としており、まさしく紀行文といった体です。ところが、鯵ヶ沢から五所川原へ引き返し、そこで「越野たけ」の名前が登場してから作風に波が現れます。「このたび私が、津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたいひとがいた」と書き出すのです。冒頭ではそれほど切に願う気持ちは微塵もなかったのにも関わらず。

越野たけさんは太宰の育ての親代わり(むろん太宰の叔母の存在も大きいのですが)なのです。太宰はたけに会いたくて、小泊へ尋ねていきます。運命のいたずらか、なかなかたけに会うことが出来ないのですが、最後に感動的な再会を遂げます。太宰は急に無口になり、たけが思い出を述べるシーンが印象的です。久しぶりに再会して、お互いにどんな会話をしたらいいのかわからなくて、無言になる様子がよく描写されているのではないかと思います。しかし、物語はたけとの会話で唐突に終わりを告げるのです。

紀行文、余韻を持って終えるのが一般的ではないでしょうか。たとえば、極端ではありますが「遠くに少年時代と変わらぬ月がぼんやり浮かんでいた」とか「汽車が遠ざかる音に、故郷への別れを感じた」とすることで、読み手の心にじんわりと染みてくる効果を狙い、誰しもが感じる旅の余韻を生み出そうとしないのでしょうか。ところが太宰は「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」で終わりにしています。風のようにさっと消えてしまうような終わり方です。彼は一体どうしてしまったのでしょう。

太宰は自分自身の「気障」(きざ)さに嫌気が差した、あるいは恥ずかしくなって、風のような終わらせたのではないかと考えてみました。『津軽』の本編でも随分「気障」という性質を嫌がっている場面があります。友人たちとならまだしも、家族のことやいい大人になっても親代わりだった「たけ」をいつまでも慕う自分自身が気障でどうしようもなくなった…と考えることはできないでしょうか。唐突な意見かもしれませんが、私は少なくともそう感じました。

『津軽』は太宰のなかでも私が最も好きな作品です。繰り返し読んだせいで、本が随分手になじんできました。本が手になじむ、と本の世界を楽しんだな、と自己満足に浸ります。次回から、何かまた新しい小説を読んでご紹介することにしましょう。

閑話休題

2008-09-17 21:07:02 | その他
太宰『津軽』を読み始めて、いよいよ終盤の「西海岸」に来ました。けれども、さすがに仕事から帰ってくると、疲労感が強くて、考える力がありません…。『津軽』のまとめですから、いい加減な感想は書きたくないな、と勝手に気負うからますます考えて書けなくなります(苦笑)

美術館学芸員である私は、こうしてブログを更新していますが、本来ならば文学同様に、絵画についても私なりの見識を述べるべきだと考えています。絵画について述べるためには、当然文字だけではよくわからないため、絵画の図版を用いなければならないのですが、当然関わるのが著作権。なかなか著作権については厳しいものがあるので、なかなか図版を載せられない次第…。著作権は、作家の没年から50年後まで関わりますから、そのあたりを考慮しながら少しずつ図版を取り入れて、私なりの感想を書ければと考えています。

今日はそんな閑話休題。それではおやすみなさい。

『津軽』 本編 四 津軽平野

2008-09-16 09:34:10 | 読書感想
『津軽』もいよいよ終盤に差し掛かってきました。「巡礼」、「蟹田」、「外ヶ浜」において、太宰は津軽の旅を主としながら友人たちとの関係について書いていますが、「津軽平野」では初めて家族が登場します。太宰と兄津島文治の関係は険悪で一時絶交状態にありました。(険悪な理由は単なる感情的な理由からではない)『津軽』を執筆していた頃は解消していたようですが、人間である以上、太宰も「ひびのはいった茶碗は、どう仕様もない」と述べている通り、2人の仲が完全に回復することはなかったようです。そのせいか「津軽平野」では、物語が至って淡々と、大きな盛り上がりも見せずに進んでいきます。

「外ヶ浜」同様に、この「津軽平野」においても文献から津軽の歴史をたどる試みがなされています。読み手にとっては、やはり退屈なのですけれども、津軽のことをもっと知ってもらいたいと太宰が申し訳なさそうに言っているようにも思えて、私はどうも苦笑いをしてしまうのです。また、ところどころに出てくる農業の会話、あるいは「梅、桃、桜、林檎、梨、すもも」、「ワラビ、ウド、アザミ、タケノコ」、「スミレ、タンポポ、野菊、ツツジ、白ウツギ、アケビ、野バラ、それから私の知らない花」と単語を連続して羅列し、津軽平野の豊かさを物語る工夫がなされているようです。

太宰は、そうした自然を親族たちと野外で楽しみます。けれども、そこに兄の姿はほとんどありません。もちろん、実際に兄は家長でしたから、野外散策を楽しむ時間的余裕もなかったに相違ありませんが、それにしても兄のいないときの太宰は何とのびのびとしていることか。そうして兄が来ると、どこかぎこちない風になって。2人のぎくしゃくした関係が伝わってくるようです。「兄は、いつでも孤独である」で太宰は「津軽平野」をしめくくっていますが、ちょっとしたことで親族との会話から仲間外れた兄の姿に、自分自身を見出したのかもしれません。孤独なのは兄ではなく、太宰自身…と捉えることもできないでしょうか。ためしに「兄」を「私」に置き換えても、意味が通じるような気がしてきませんか。