学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

インプットの時間に

2020-03-31 20:00:24 | 仕事
今日はつめたい雨の降りしきる1日でした。私の住む街では、しだれ桜もだんだん花を開きつつあり、もうすぐ見ごろになりそう。我が家の夏椿も、木の芽が少し緑がかってきて、これから葉を付ける準備をしているようです。季節は少しずつ進んでいますね。

さて、新型肺炎による感染の拡大のため、私の職場でも不要不急な外出を避けるように通達が来ています。同然のことながら、出張も制限されているため、展覧会開催のための調査に出かけることも、関係先との調整をすることもできず、美術館としての仕事が思うようにできない状況です。美術館が通常開館を継続したとしても、その展覧会の中身が伴わないようではお恥ずかしい限り。感染拡大防止が最重要課題というなかで、なかなか難しい運営状況が続いています。

いま、こうした状況を逆手にとり、館内の作品を丹念に調べたり、読み過ごしていた資料を見直すなどのインプットの時間を多くとっています。なるべく自分のスキルを磨く時間にあて、この状況が落ち着いたとき、この時間に学んだこと、調べたことを展覧会を通してお客様へ還元できれば、と思っています。明日から新しい年度が始まります。早くこの事態が収束しますように!

さくらちりたり

2020-03-30 19:00:00 | その他
ここ数日、花粉症がひどくてたまりません。症状としては、目のかゆみと鼻水がとまらないというもの。今年は症状が軽いなあ、と思っていたら大間違いで、例年症状が落ち着きはじめる弥生の末になってもひどいものです。

花粉症とは別に泣きたくなるようなことが2つ。東大史料編纂所教授の山本博文さんとコメディアンの志村けんさんが亡くなられたニュースに接しました。今年は芳賀徹さんも野村克也さんも亡くなられ、どうも著名人が世を去るニュースが多いような気がします。そういえば、昭和64年、平成元年のときも美空ひばりさん、手塚治虫さん、松下幸之助さん、松田優作さんなど、多くの著名人が亡くなりました。私たちは時代の変わり目に立っているようです。昭和どころか、平成も1日1日と遠のいていきますね。

世の中は暗いニュースばかりなり。こういうとき、私は意味もなく、顔をにこにこさせて笑顔をつくります。ただし、家のなかだけ、でね。あるいは、自分のやるべきことを淡々とやる。例えば職場での仕事、家での洗濯、食器洗い、玄関掃き、掃除機をかける、アイロン掛け、窓ふきなど。日常においてやるべきことは山のほどあります。心がざわついたり、気が滅入りそうなときも、冷静に冷静に。雨の止まぬ日はなし。

教養としての美術史

2020-03-29 21:45:00 | その他
桜ふぶき、とはよく言ったもので、今日は朝から雪の降る1日となりました。家にいても底冷えがして、寒さに弱い私は動きがにぶくなります。暖かい、太陽の日ざしが恋しい。

さて、このところの私は、すっかり美術史の勉強をさぼっています。家に帰って、夕食を食べ、お風呂に入ると、あとは眠気に襲われて布団へ。ごく人間らしい健康的な生活です。しかし、モノを書くという仕事に携わる以上、知識を入れる時間もきちんと取らなければなりません。が、ついつい楽なほうへ流されていくのが人間の常というものです。

近頃、書店へ行くと、教養としての美術史、をテーマにした本を見かけるようになりました。これまで教養の日本史や世界史、文学などの本は見かけましたが、これで美術史もとうとう教養になったのか、いつの間にか、えらくなったなあと感激です。ビジネスマンが日常会話のなかで、どれだけ美術の話をするのかわかりませんが、私のおすすめは高階秀爾さんの『名画を見る目』(岩波新書)、『近代絵画史』上下(中公新書)、辻惟雄さんの『日本美術の歴史』(東京大学出版会)、『日本美術の見方』(岩波書店)です。いわゆるタネ本で、これを読んでおけば、一通りの美術に対する知識はつけられる、というのが私の提案で、実際に私もテキストとして今でも読んでいます。ただ、やはり美術は理屈ではなく、実際に見てこそ、なので、ここに取り上げられている絵画を実際に見に行くことができれば最高です。

本来ならば、いろいろな美術館で春の新しい企画展が始まるところですが、新型肺炎拡大防止のために休館を余儀なくされているところが多く、また、なかなか出歩きにくい状況下にあります。こんなときは、家で美術の本を読んで、絵と親しむのもまた楽しいことですよ。

音読の効用

2020-03-28 18:30:00 | その他
このあいだ、脳には音読がよい、と、このブログに書きました。私は、声に出して読むためのことばを、まいにち届く新聞の記事に求めています。

記事ならどれでもよい、というわけではありません。できるだけ、文化面の記事を探して読みます。なぜなら、政治や経済、国内外情勢では気持ちが暗くなるからです。ことばを声に出すのなら、のどさわりのよい、ゆかいで、きれいな話が読みたい。

目の見えない人のための、博物館のはなし。

年月に埋もれてしまった、画家たちの仕事をあきらかにする、美術館のはなし。

何気ない日々に彩りをそえる、エッセイストたちのはなし。

「文化とは生活の一部である」と、吉田健一さんが述べておられました。文化は、わたしたちの生活そのものですし、その積み重ねからできています。ですから、わたしは、いつものありのままの生活を大事にすることが、文化を守り伝えるうえでまずは大切であると思っています。

音読は脳によいはたらきをする。それだけではないものを、私は得られているような気がしています。

『河北新報のいちばん長い日』を読む

2020-03-26 20:29:46 | 読書感想
新型肺炎の感染者数が東京都でじわりと上昇してきています。こうしたニュースに接すると、心のなかが心配や不安で騒がしくなります。けれど、心を強く持ち、うがい、手洗いなどの予防策を続けて、常に頭脳は冷静で居たいものです。

先日、『河北新報の一番長い日 震災下の地元紙』(文春文庫、2014年)を読みました。河北新報は宮城県を中心に発行する地域ブロック紙。震災の影響で新聞社の生命線であるサーバーが使えなくなり、自社制作を断念せざる得ない状況になったとき、河北新報社社長の一力雅彦氏はきわめて落ち着いた言葉で社員たちを鼓舞しました。地域の人々に長年にわたって支えてもらっていた恩を返すのは今しかない、いかなる状況になっても新聞は発行し続ける、それが読者への恩返しだ。一力の言葉のもと、社員たちはまるで1つの家族のように、食料、ガソリン、用紙の不足や、限られた条件のなかでの最大限の取材に取り組み、新聞を発行していきます。被災者へ情報を届けるという使命感に支えられて。

実家が宮城県である私にとって、河北新報は子供のころから馴染みのある新聞で、今でも帰省したときには必ず買い求めます。個人的な思い入れもあり、私には涙なくして読むことができませんでした。使命感というものが人間を大きく動かす。何度も災害現場に足を運び、被災者たちの心に寄り添いながら貴重な情報を送り続けた記者たちの姿には本当に頭が下がります。

言葉が出にくい

2020-03-25 19:00:00 | 読書感想
このところ暖かい陽気が続いています。世界中に蔓延する新型肺炎は一向に終息する気配をみせませんが、少なくとも私の身近なところにおいては、徐々に街へ人が戻ってきたように見受けられます。職場の美術館入館者数も少しずつ回復して来ましたし、ショッピングモールの人の出も以前ほどの閑散さはありません。戸外は梅、木蓮が終わり、いよいよ桜のシーズン。家にじっとしていられない、という心理が働いているのかもしれません。ただ、まだまだ用心は欠かせませんから、うがい、手洗いは継続しつつ、季節を楽しむのが最良ですね。

さて、近頃、私にはこまったことがあります。それは自分の頭で考えていることが、言葉として出てこないという悩みです。また、頭がぼーとして、人から問いかけられたり、電話越しでお客様と話をしていると、言葉に詰まることが多々見られるようになってきました。ただし、本を読んだり、文章を書いたりすることは何の問題もなくできます。睡眠もちゃんととれているのだけれど…。病院で検査をしても異常なし。

そういえば、と、本棚を探して、脳神経外科専門医の築山節さんの著書を見つけ出しました。『脳が冴える15の習慣』あるいは『フリーズする脳』(いずれも生活人新書)。これを読みなおすと、今の私のような症例について書かれていました。ようするに脳がほとんど動いていない状態が続いているよう。そういえば…このところ人とほとんど会話していない、食器洗い、掃除などをさぼり気味、運動をしていない(これは花粉症だから)など、脳を動かすようなことをしていなかったり、避けているような日常が続いていました。

すぐに影響を受けやすい私。早速、本に書いてあることを実践しています。例えば、音読をする、軽く運動する、部屋の片づけや掃除をするなど。少し面倒くさいな、と感じることをやっていくのです。感覚としては、かなり改善してきています。ただ、まだまだ私の脳はさび付いているらしく、時折、言葉に詰まることがあります。が、以前よりは全然良い。本に感謝しつつ、日常生活をきちんと送り、仕事のクオリティ向上につなげていきたいと思っています。

近況報告

2020-03-20 20:00:00 | 仕事
3連休の初日、大変気持ちの良い陽気に恵まれましたが、時折びゅうびゅうと強い風が吹きました。そのせいか、朝からくしゃみが止まらず、やや落ち着いてきた花粉症と久しぶりの再会で、しばらくお付き合いが続きそうです。

さて、新型肺炎の影響もあって、私が勤める美術館は開館しているものの、極度に入館者数が減少しています。臨時休館の対応をとる美術館が多いなか、このところ、お電話での開館の有無を確認するお客様の問い合わせが多くなってきています。また、ご来館されたお客様のなかには、どこそこの美術館に行ったら休館になっていて困った、と残念そうな表情でおっしゃる方もいらっしゃいます。新型肺炎拡大防止のため、どの美術館も対応に苦慮しているような現状が続いています。

私の知り合いの学芸員の方は、長年研究を続けたテーマで、展覧会開催前の3ヶ月間、不眠不休でオープンまでこぎつけたのに、とたんに臨時休館となり、大きなショックを受けていました。こうした状況のなかでも、私は次回の展覧会の準備を進めています。もしかしたら、展覧会を立ち上げても臨時休館になるかも…という想いはありますが、いま、自分に課せられた仕事を淡々とこなすことが大切であると考えています。

新型肺炎。お客様にとっても、学芸員にとっても、よろしからず。1日でも早い感染症の終息を願うばかりです。

東日本大震災から9年

2020-03-12 19:15:00 | その他
昨日で東日本大震災から9年を迎えました。私にとっての時間の感覚としてはもう9年です。

2011年3月11日。震災が起こった時間、私は美術館の事務室で翌日のイベントの打ち合わせをしていたところでした。揺れる建物のなかで、お客様の避難誘導をしようと展示室まで歩き(幸いお客様は館内にいらっしゃらなかった)、あとは展示室で揺れが収まるのをじっと待っていました。建物自体が大きな音を出して揺れ、作品がぐらぐらと揺れる。あのとき、不思議と怖さや不安はなく、揺れが収まるまで比較的冷静であったことを覚えています。その後、事務室に戻り、室内のテレビで大震災の情報を確認し、あとはイベント中止の仕事に従事しました。帰宅したのは午後8時頃。

被災地の支援に何ができるのか。私は現地でのボランティア活動はできませんでしたが、被災した行政や企業への寄付、できるだけ東北の食材を購入するなど、少しばかりですが金銭的な部分での支援をさせていただきました。大震災から半年ほど過ぎたころ、宮城県の名取市方面を車で走りましたが、まだ田んぼのいたるところに津波で流されてきた大きな船がいくつも残っていたことを思い出します。異様な光景でした。

これが私の体験した東日本大震災。

先日、小学校の先生とお話をする機会がありましたが、今の小学生のほとんどは東日本大震災を体験していない、もしくは記憶にない世代になってきているとのこと。時間は確実に経過していることを感じました。大震災の体験を、次世代にどうつないでいくかを考える時代に早くも入ったような気がしました。

改めて大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』を読む

2020-03-10 20:00:00 | 読書感想
今日は朝から雨降りの1日でした。ただでさえ暗い報せが続くのに、余計に気が滅入る…とは申せ、天気は何も悪くなし。庭の植物たちにとってはうれしいことでしょう。そういえば、近所では梅も咲き始めました。近くを通るとほのかな香りがして心持が良くなります。季節は少しずつ進んでいるようですね。

このところ、ノンフィクションの本を読んでいます。先日読んだのは斉藤光政著『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(集英社文庫)です。この事件は、戦後、青森県のある民家から膨大な数の古文書が発見されたことに始まります。そこにはこれまで知られてこなかった青森を中心とする古代文明の存在が記されていました。それは村史の資料編にも記載されたことで、公的な免罪符を得ることになります。ところが、それらの古文書にはある謎があって、次第に一大事件に発展し…。

事実は小説より奇なり、という言葉がありますが、本書がまさにそう。東奥日報の記者である斉藤光政さんが追いかける「東日流外三郡誌」の謎。様々な関係者への取材で、次第にその謎が明らかになっていきます。それは、もはやミステリー小説のよう。汗をかいた人の文章はやはり面白い。「東日流外三郡誌」に関わった多くの人たちは当初からおかしい、おかしいと思いながらも、なぜかみんな引きずられてしまう。この感覚、何かに似ていますね…。私は夕方から読み始め、夜ご飯もそこそこに、一気に読み終えてしまいました。おすすめの1冊です。

感情と冷静のせめぎあい

2020-03-05 20:01:21 | その他
ここ1ヵ月、どうも心の落ち着かない日が続いています。原因は新型コロナウイルス。そのせいでマスクやアルコール除菌が手に入らないうえ、なぜかトイレットペーパーとティッシュペーパーも手に入らない始末で、どうにも慌ただしい。そのうえ、感染拡大を防ぐために人が集まるイベントは悉く中止となり、営業しているショッピングモールですら人が閑散としています。私が勤務している美術館も、通常開館はしているものの、今後どうなるのかわからない状況です。

私の場合、このような心が落ち着かない感覚は2011年の東日本大震災以来です。あのとき、被災はしなかったものの、強い余震が何度も来ましたし、それに加えて原発事故もありましたので、やはり慌ただしい毎日でした。そのときの経験をもとに、私は次の3つのことを意識して日々過ごしています(かなり個人的な対処法なのであしからず…)。

1.情報は極力シャットアウト
 テレビ、ラジオ、ネットは一切見ない聞かない。情報過多が心の不安を著しく増幅させるから。私の場合、情報の通路は新聞のみで十分。

2.自分の身は自分で守る
 毎日、マスク(ないときはハンカチを使用しています)、うがい、手洗いは欠かさない。また、人混みは極力避ける。

3.家に帰ったら「座禅」
 そこまでしても周りが慌ただしいと感情が流されやすくなる。そこで「座禅」をして常に冷静さを保つ。

このような単純明快な暮らしをしています。狂熱と喧騒が人々から冷静さを奪う、とかつて誰かが言っていました。こういうときだからこそ、慌てず騒がず冷静になりたいものです。