学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

久々の雨にて

2008-03-30 22:22:10 | 仕事
今日は日記という日記ではありませんが…。

今朝は快晴だったのに、いつの間にやら雨が降ってきました。

明日は休みですので、実質、今年度最後の業務。

4月からのホームページ改変や展覧会の準備で無事一日が終わりました。
肩が相当こりましたけれど(苦笑)

今夜は久しぶりにビールで乾杯です。

明日はゆっくりと部屋で休むことにいたします。

乱読の果てに

2008-03-29 21:51:19 | 読書感想
今日は、とある本を読みました。それによれば、自宅の本棚を眺めてみると、自身の内面が見えてくるのだそうです。そんなことあるものかと、ためしに自分の本棚を眺めてみましたけれども、やはり内面は見えませんでした(苦笑)。

ただ、ここ数年、本を手当たり次第に読んできましたが、何となく自分の好きなジャンルがわかってきたような気はします。夏目漱石、芥川龍之介、モーパッサン、ホフマンを始めとするドイツ・ロマン派の作家、フランツ・カフカ、初期のチェーホフ、O.ヘンリーあたりがとても好きです。これらに共通することは…海外の作家については短編小説、漱石は内容もさることながらやや落語調のリズム、芥川は、もう散々書いているのでいいですよね(笑)

私にはもうランボーもボードレールもドストエフスキーも必要ないようです。乱読はやめて、自分の好きな作家をじっくりと読む時期に入ったのかな、と思いました。乱読の果てに…、ちょっと寂しい気もするけれど、今年度は一冊の本をぼろぼろになるまで読みつくしたい!そんな目標?を立ててみたいと思います。


春も間近に

2008-03-28 23:03:05 | その他
今日は晴れたり雨が降ったりの不安定な天気でした。午前中、戸外からは鶯の声を聞きました。聞き違いかと耳を疑いましたが、どうもそうではないらしく。鶯の声を聞くと、春だな、と感じます。

美術館前のこぶしも白い花を咲かせました。例年はもう少し早かったような気がしますが、今年は遅ればせながらの開花です。これから様々な花が咲きますね。次は桜でしょうか。

春といえば、出会いの季節でもあり、別れの季節でもあります。まずは始めに別れがやってきますね。私がお世話になった方々も、人事異動や退職でお別れです。寂しいものです。でも、別れのあとに出会いが待っているわけです。別ればかりでは悲しすぎますしね。

今日は春の話題でした。

酒と煙草にまつわる個人的な話

2008-03-27 22:42:36 | その他
もうすぐ4月です。4月と言えば、桜の季節です。私のブログも、先日桜のテンプレートにしたところですが、ブルーが強すぎて、目がちかちかして見にくいので、シンプルなノートへまた変更してしまいました。

突然ですが、酒と煙草について。

今の私はどちらもやりません。
酒はかつて随分飲みましたが、今はほとんど飲まなくなりました。私はストレスから酒を飲んでいましたが、結局のところ、酒を飲んでも悩みが解決されるわけでもなし、ただ気がまぎれるだけというのがわかり始めたので(今頃!)滅多に飲まなくなったのです。

煙草は一度も吸ったことがありません。煙草は害があるから吸わないと思っていましたが、あるとき、吸ったこともないくせに害があるなんてどうしてわかるんだと自分に疑問を思って、ためしに吸おうとしたことがありました。そんなくだらない理由でしたが、結局吸いませんでした。意味のないことです。

学芸員として、作家さんとも交流がありますが、お酒をたしなむ人は半々でしょうか。ある方は、酒は作家の寿命を縮めるとおっしゃいますし、ある方は、酒がなくてはいい発想が生まれてこないとおっしゃるかたもいます。人それぞれのようですね。ところが、煙草となると不思議なことに誰も吸う方がいらっしゃらない。これはどうしてなのでしょう?たまたまでしょうか。それとも世の中は禁煙ブームだから、吸うのをやめてしまった人が多いのでしょうか。

煙草を吸うのをやめてしまった人に私の父がいます。父はキャスター・マイルドが好きで、いつも煙草をくゆらせていました。子供の私は煙草が大嫌いで、ときどき父の煙草を隠すのですが、父はそれを知ると子供相手に本気で怒りだすくらいでしたから、余程好きだったようでした。そんな父も家を新築してからは、煙草の煙が白い壁を汚すからという理由で、換気扇の前だけで吸うようになり、そうしていつの間にか吸わなくなってしまいました。あれだけ煙草を吸っていた父が、どうしてすっぱりとやめたのか。「白い壁を汚すから」の理由だけでよくやめられたな、と思うのです。数年後、父にそのことを聞いてみると、笑いながら「あのときはこづかいで欲しいものがあって、金をためるために煙草をやめる決心をした」と言っていました。まるで子供みたような理由ですが、それでやめたのだからたいしたものです。

そんな酒と煙草にまつわる、私の個人的な話でした。いつもながらまとまらない文章ですね(笑)

仕事以後

2008-03-26 21:59:58 | その他
ブログを更新しようと、パソコンを起動させたまではいいけれど、肝心の日記が何も浮かんでこないのです。それほど私は無意味な一日を過ごしていたのでしょうか。

年度末の仕事は主に予算の支出と年間スケジュールの送付です。午前中はこの2つの仕事をこなしていました。特にスケジュールはえらい時間がかかり。レイアウトを直しては、訂正をかけ、直しては、訂正をかけ、その繰り返し。見やすいようにと思いを込めて作るわけですが、さすがに目の酷使はきついものです。

自宅に帰ってからは、先日購入した佐伯祐三とマティスの画集を眺める夜。眺めただけでは知識にはならないから、何か考えてみようと意識するけれど、やはり帰宅後は頭が働かない。どうにもならない。どうにもならないから、画集を眺めるのをやめてしまった。

明日は休み。けれど出勤しなくてはいけないのです。明日は少しでも創造的な仕事ができると祈って、今日は早めに休みます。おやすみなさい。

悩みの種

2008-03-25 21:57:30 | 仕事
朝から持病の頭痛がひどく、あまり仕事に力が入らず。戸外の日光もまぶしすぎてつらいし、パソコンの明るい画面にも閉口する。残業中には、右目の奥をえぐられるような痛さで、仕事に集中できず、無念の帰宅。今は薬を飲んで少し落ち着きました。しょうがない病です。

このところ、体調を崩してばかりなので、しっかり健康には気をつけて生活をしていきたいと思います。我ながら、情けないといったら。

佐伯祐三展を見る

2008-03-24 20:25:22 | 展覧会感想
佐伯祐三(1898~1928)は、明治中期に生まれ、昭和の初めに30歳の若さでこの世を去った画家である。佐伯とほぼ同時期に活躍して、若くして亡くなった画家には、青木繁や関根正二らが居る。彼らを語るときには「天才」とか「夭折」の言葉が使われるけれども、佐伯にはどうも使いにくい。ヴラマンクに「アカデミズム」と酷評されたり、絵画制作が試行錯誤の連続であったこと、若いながらも30歳の大台に乗っていること(20歳代なら夭折もあろうが)も、使いにくさの理由かもしれない。

茨城県の笠間日動美術館において、没後80年佐伯祐三展を開催している。展示は、ほぼ制作年に沿っており、佐伯の生涯や作風の変化を追うのに、大変わかりやすい。初期の肖像画3点は、自信に満ち溢れた佐伯の表情が良く表れている。肖像画の意義は自らを見つめ直すことにあるといわれるが、そうだとすれば、佐伯の表情は自信と希望に満ち溢れている。色彩もまた同様である。

佐伯がヴラマンクに「アカデミズム」と酷評されたとき、彼はすでに26歳になっていた。亡くなる、たった4年前の出来事である。これは驚くべきことだ。この事件以来、佐伯は絵画制作を止まることなく、走り続けたことになる。酷評後の佐伯は作風ががらりと変わり、セザンヌに影響を受けたとされる初期作品からは逸脱して、ユトリロに近い画風となる。

徹底してフランスの街並みを描いていく佐伯。誰も居ないカフェー、ポスターだらけの壁面、寺院など…。何気ない景色だが、それらはフランスを象徴するような場所で、佐伯が余程フランスを愛していたことがうかがい知れるような気がする。

私が気になったのは、1925年頃に描かれた《人形》と1928年に描かれた《ロシアの少女》の対比である。《人形》のモチーフと成ったのは、佐伯が古物商で見つけた男女対となったなめし革製の人形。人形の帽子の赤い飾りが特に目につくが、まるで人間のように生き生きとしている。血が通っていてもおかしくないようにみえる。ところが、である。一方の《ロシアの少女》はタイトルの通り、モデルがしっかりといたのだが、まるで人形のように生気がない。背景は佐伯にしては珍しいイエローを使用しているが、明るい色を使いながら、画面の雰囲気は重苦しい。《人形》が人間であり、《ロシアの少女》は人形である。人間の生命が尽きるときは、このようなものなのだろうか。悲しくなる。

展覧会の最後には、戸外で佐伯と娘の禰智子(やちこ)が写った写真が展示されている。佐伯はキャンバスに向かって、真剣なまなざしで筆を振るっている。一方の禰智子はもう帰りたそうな表情をしている。ほほえましい写真である。しかし、この数年後、二人には悲しい現実が待っていた。1928年8月に佐伯祐三は死去、その同月に禰智子も世を去るのである。この事実を知ったうえで、再び写真を見ると、二人のほほえましさが、悲しみに変わる。人間の感情しだいで、物事はこうも見方が変わるらしい。だから、どうしたという話ではあるが。

きわめて実験的な展覧会講評(仮)

2008-03-23 21:45:44 | 展覧会感想
圭さんが遅れて展覧会の会場へ入ってくる。
「遅れて悪かった。ちょっと混雑していたものでね。」
「いいさ、僕も来たばかりだもの。」
「おや、最初の絵は、坊主頭の自画像かい。しごく健康そうだ。」
「健康かどうかは知らないが、彼は実際お寺の生まれなんだからしょうがない。」
「何か良いことがあったんだろうかね。とてもいい笑いをしているよ。君、ちょっと笑ってみたまえ。」
「僕はいやさ。恥ずかしいもの。」
「じゃあしょうがない。」
圭さんはにやりと笑う。碌さんはそれを見たとたん、肩をすぼめながら、逃げるように先へ歩く。
「君の笑いは薄気味悪くっていやだ。」
「薄気味悪いのは、或意味で美の一種なんだ。ムンクを見ろ、あの『叫び』だって薄気味悪いのに美さ。何も美しいものばかりが、美ではないよ。」
「一理あるような気もするが、屁理屈でもあるような気もするね。」
「おや、今度の自画像は随分明るい色彩で描かれているな。」
「うん。顔は真正面から少し上を見上げているようだな。生気に満ち溢れている。僕はこの絵から「希望」を感じるね。」
「自画像は内面を写す鏡、とはよく言ったものだ。だが、誰かに似ているな。」
「君は絵のどこを見ているんだい。」
圭さんは絵を見ながら、腕を組んで、しきりに考え込む。
「そうか、芥川龍之介に似ているね。もしかすると芥川が生気に満ち溢れるとこんな顔をしたかもしれない。」
「佐伯祐三と芥川龍之介を組み合わせる気かい。強引な結論付け方だね。」
「まだこの頃は芥川は生きているもの。」
「生きていたって、死んでいたってそういう問題ではないさ。」

※実験的とはつまり夏目漱石の『二百十日』を模して会話形式で作ってみました。あまりよろしくありませんね(苦笑)明日はしっかりと書きます。

佐伯祐三展へいきます

2008-03-22 08:38:33 | その他
おはようございます。いい天気ですね。花粉がなければ、もっとよろしい。

これから茨城県の日動美術館で開催されている佐伯祐三展へ行く予定です。佐伯の作品をまとまって見る機会はなかなかないので楽しみです。

佐伯といえば、このエピソード。フランスにて、ヴラマンクに裸婦像を見せたところ「このアカデミズムが!」と言われた話。尊敬していた人に、こんなことを言われたらがっかりどころではないですよね。でも佐伯はショックを受けつつも、もっと高みを目指そうと画に取り組みます。

そんな佐伯の絵、じっくりと見てきたいと思います。

花粉症のせいで

2008-03-21 21:29:47 | 仕事
花粉症のせいで、頭がぼうとしてしょうがないです。

今日は研修会で、とある美術館へ行きました。時間まで少し余裕があったので館内をゆっくり見学…と思いましたが、花粉症のせいで、絵画を楽しむ余裕がなく、がっかりです。

常設展のコロー、クールベ、ルノワールなどの絵画はまだよく見られたのですが、企画展の現代美術となるとすでに思考が落ちているので、ただつらく…。とても残念!

研修では作品の保存科学を中心とした講義を聴きました。とても勉強になることばかり。自分自身、もっと向学心を持たなくてはいけないな、と感じた次第です。花粉症がひどくてたまらないので、今日はこんな単純な日記になりました。すみません。