学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

大晦日

2010-12-31 12:49:06 | 仕事
師走も末。一昨日から実家に帰省し、家族とのんびりと過ごしています。しかし…宮城県はきわめて寒し。かつて、ここで暮らしていたとは到底思えないほどに(苦笑)

今年を振り返ると、例年同様に美術館や博物館での展覧会に足を運んだり、画集・小説の類を随分読んだ気がします。そうして、これらが血肉となり、うまく仕事に循環することが出来ました。望ましいかたち、というよりも、本来はそうでなければならないわけですが、遅まきながら自分のなかで大きな勉強となった1年です。

その他に頭の中で浮かぶことは、お城巡りをしたこと。特に印象に残ったのが、国宝松本城(長野県松本市)の迫力と、小田原城(神奈川県小田原市)の天主から眺めた海の景色でした。鶴ヶ城(福島県会津若松市)にも行きました。残念ながら改修工事のために外側はネットで包まれていましたが、近くの東山温泉街で一泊して、ゆるりと一服。一昨年の北陸旅行までは行きませんでしたが、プライベートでも様々に楽しめたと思います。

時代は変わる。どう変わるかはとんとわかりません。けれども、どう変わったとて、芯のぶれない自分は持っていたいもの。来年は今年以上に様々なことに挑戦して、仕事においても、プライベートにおいても、結果を残す。というのが私の目標です。

今年の後半はあまりブログを更新できませんでしたが、来年もブログを続けて行きたいと思っています。いつもブログを読んで下さっている皆様、ありがとうございます。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。


書籍の大掃除

2010-12-15 20:26:14 | その他
12月も中旬になりましたが、暖かい陽気の1日でした。今日は休日。食器を洗い、洗濯をしたあとは、部屋の大掃除を開始です。私の部屋は、さして汚れがあるわけではないのですが、小説や画集の類が沢山あって、背の高い本棚にはもはや入りきらず、床に山積みにされている有様です。もう読まなくなった書籍類は古本屋へ出してしまおうと思い立った次第です。

大掃除をするうえでの注意。…写真と書籍類には誘惑が潜んでいるから気を付けねばならないということ。それらは、一度見出すと、あれやこれやと思い出にふけりだし、掃除がストップしてしまうのです。私は表紙だけを見て、要る要らないを振り分けることにしました。途中で休憩を挟みながら…しかし、膨大な量のために1日では終わらず、結局また次回の休日まで片づけを延長することになりました。日頃から片づけをしていればいいのですが、こういうときに苦労する(泣)

果たして、しっかり片付けることはできるのでしょうか。12月中旬の書籍大掃除でした。

湯たんぽで寒さ対策

2010-12-13 22:14:44 | 仕事
今日は冷たい雨が降る、寒い1日でした。

元来寒さに弱い私。寒さ対策のため、湯たんぽを買ってきました。古典的なものですが、昨今のエコブームで湯たんぽが再び活躍する場がやってきたようです。お湯を沸かして、湯たんぽに熱い湯を入れる。それを布でくるんで、布団のなかに入れておく。そうすると随分布団のなかが温かくなるそうです。

湯たんぽといえば、私が高校生の時分に担任の先生が湯たんぽで低温やけどをし、治療のためにしばらく学校を休むことになったエピソードを思い出します。湯たんぽは低温やけどに気をつけなければなりませんね。

今夜はすこやかな眠りを期待して、布団に潜りたいと思います。



江戸切子に魅了さる

2010-12-12 23:06:49 | その他
とある百貨店。和食器のブースを歩いていたら、ふと切子細工のグラスがあるのに気がつきました。青、赤、緑、黒など、まるで宝石のような色とりどり。あまりの美しさに思わず立ち止まって、じっくり見入ってしまいました。

「どうぞ手にとってご覧下さい」と店員さんの声に促されて、私は星型の切込が施された赤いグラスを両手で取りました。はじめにひやっとした冷たさが手に伝わります。それからグラスのなかを覗いてみると、それは言いようもない美しさ。まるでグラスの中に小宇宙があって、そのなかの星々が瞬いているかのようでした。

グラスから目を離し、品名が書かれたプレートを見ると「江戸切子」の文字。「江戸切子」は幕末期に江戸で制作が始まったガラス工芸品です。その技術が現在まで受け継がれてきていたのですね。あまりの美しさに自分の財布と相談して・・・購入してきました!

小さな麦酒グラスなのですが、飲んで楽しんでもよし、棚に飾ってみても圧倒的な存在感があります。ちょっと贅沢をしたけれど、いい買い物が出来たな、と思います。これで飲むお酒は格別なことでしょう!

アルブレヒト・デューラーⅡ

2010-12-11 21:43:19 | 展覧会感想
国立西洋美術館の展覧会では、デューラーの版画と素描を「宗教」、「肖像」、「自然」の3つのセクションに分けて紹介しています。この3つのセクションは、デューラーが絵画芸術において重要視していたとされる要素です。

「宗教」。デューラーは、キリスト教における受胎告知からキリスト昇天までを、様々なヴァリエーションで描いています。ただ、欧米とは異なり、キリスト教は日本において密接な環境にはありませんから、宗教画の背景は解説パネルがないとなかなかわかりにくいものがあります。もちろん、会場には親切に解説パネルがついていました。さらに、展示されているデューラーの作品のなかには《小受難伝》のように、キリスト教の初学者向けに制作された作品があり、それらは絵を見ながら聖書を読むような感覚で楽しむことが出来ます。

「肖像」。つまり人物画ですね。デューラーは生前から人気作家でしたので、皇帝や友人たちの肖像を多数手がけました。特に面白いと思ったのは、皇帝から肖像画を依頼される理由。当時の皇帝たちは自分の権力の裏づけとして、つまり皇帝は自分はこんな表情をしているんですよ、ということを国民にPRするために版画の複数性を利用して、肖像を依頼したのだそうです。これは他の場合にも言えることで、学者の場合にも、著書だけを刊行しただけではまだ足りない。自分をもっと知ってもらおう、という意味を込めて、やはり肖像を依頼したとか。デューラーの描いた肖像は、本人に似ていた場合も、そうでない場合もあったようですが、それぞれの人間の個性が作品からは浮かび上がってくるようです。

そして最後の「自然」。いわゆる花鳥風月だけではありません。このセクションでは、デューラーの代表作が展示されています。昨日のブログで紹介した《犀》、画面全体に哲学、科学、宗教などのあらゆる寓意を配した《メレンコリアⅠ》、遊び心がつまった《魔女》、このほかに愛と死をテーマにした作品が一同に並びます。これらの作品を見てゆくと、デューラーはただ単に絵画芸術のみに関心があったわけではなく、相当に広い範囲の知識を有していたことがよくわかります。このセクションはメモを取りながら、じっくり見たいところです。

以上、展覧会では、デューラーの見応えのある版画と素描が展示されています。作品自体も小さいですし、ほとんどがモノクロですから、一見しただけでは地味な印象を与えてしまいますが、私はとてもいい展覧会だと思います。この3セクションに沿った見方でも面白いですし、日本の浮世絵や肖像画などを頭のなかで比較しながら見ていくのも一興かもしれません。ぜひ、ご覧下さい。

アルブレヒト・デューラーⅠ

2010-12-10 22:56:36 | 展覧会感想
現在、東京は上野の国立西洋美術館でアルブレヒト・デューラーの版画・素描展を開催しています。デューラーは、15世紀後半から16世紀初頭にかけて主にドイツで活躍した画家。イタリアのルネッサンスを吸収し、ドイツにおける北方ルネッサンスの中心となった人物で、油彩画も多数制作しましたが、版画や素描の評価も大変高いものがあります。

デューラーと日本の関係について。実は江戸時代の浮世絵師葛飾北斎がデューラーの描いた「犀」を間接的に見て、作品制作の参考にしていたのではないか、との推論があります。(北斎が見たと思われるのはヤン・ヨンストン『動物図譜』に掲載された「犀」ですが、その「犀」の図はヨンストンがデューラーの描いた犀を丸写ししていたそう。詳細は『奇想の図譜』辻惟雄著 ちくま学芸文庫を参照)また、日本近代洋画においては藤島武二や岸田劉生がデューラー(北方ルネッサンス)に影響を受けたと考えられています。日本からはるかに遠い国で生まれた作品が、何百年もの後に日本美術に影響を与えたのですから、デューラーの絵には不思議なつながりを感じますね。

明日は展覧会の感想をご紹介します。

「合鴨」のためし刷り

2010-12-09 23:22:05 | その他



先日、動物舎でスケッチしてきた合鴨を木版画にしてみました。

やわらかいシナベニヤの版木を使って彫りすすめ、板を十分に湿らせたあとに茶色の水彩絵具を使って摺りました。今はまだ試し摺りの段階。これから色の数ごとに版木を彫って、多色刷にしていきます。

「刀は乃ち筆なり」の意識で作ってみたのですが、版画はなかなかに難しいもの。というのは、下絵を描いてから、それを彫り、最後に摺るまでに3段階のテクニックが要されるからです。私が特に難しいと感じるのは摺り。バレンの使い方はもちろん、摺る用紙によっても加減が変わってきますので、沢山の経験が必要になります。私の場合、公募展に出品するわけでもないので、ただ趣味として楽しんでやっていますが、それでも摺りにはいつも悩まされます。難しい分、巧く摺れた時の喜びが嬉しい!

さて、これから多色摺りにしてどんな版画が出来上がるのか、今からとても楽しみです。


正岡子規と田中恭吉

2010-12-08 22:06:43 | その他
人間が死と向き合ったときに何が表現できるのか。そうした意味において、私が興味を持っている人物が2人います。明治時代の俳人正岡子規と大正時代の画家田中恭吉です。2人とも結核を患い、若くして亡くなりました。(子規の場合は脊椎カリエスも発症)
 
子規が結核を発祥したのは21歳。鎌倉旅行中のときに喀血したそうです。抗生物質による治療がなかった当時、結核は不治の病。喀血した時は自分の運命に嘆いたことでしょう。しかし、子規は病にもめげず、時間がないとばかりに本格的な句作、随筆、評論を次々に書き始めます。よく云われることですが、子規は自分の病を客観的に捉えていました。ですから、彼の作品には病気に対する切実な悩みや苦しみがほとんど感じられません。子規晩年の著書に『煩悶』がありますが、これは病気の身体が痛くて「苦しい」、「痛い」、「もうだめだ」といった言葉の羅列から始まり、そこから落語みたような話へつながって行くおかしな小説です。子規は晩年でさえも、病気や死に対して、ときおり滑稽さも交えながら作品を書きました。彼は35歳で亡くなります。
 
一方の画家田中恭吉。明治25年に和歌山県に生まれ、東京美術学校で日本画を学びます。明治45年20歳のときに竹久夢二と知り合い、木版画に興味と関心を抱くようになりますが、翌年喀血。くしくも子規と同じ21歳でした。やはり彼も時間がないとばかりに、喀血後に必死で木版画を彫り始めます。しかし、彼にとって不幸だったのは、子規よりも結核が重症であったこと。友人の恩地孝四郎、藤森静雄とともに日本で最初と言われる版画同人誌『月映』(つくはえ)を刊行するも、23歳でこの世を去りました。彼の残した作品はおどろおどろしいまでの恐怖や苦悩がひしひしと伝わってきます。田中は世紀末芸術、特にムンクに影響を受けているとされ、それが己の病や死の恐怖と組み合わさりました。田中の版画はその表現力の高さが評価されています。彼の病は重症だったため、子規とは異なり、己を客観視する余裕などなかったのかもしれません。しかし、逆に主観的であったからこそ、すさまじいまでの作品を作り上げることが出来たともいえるでしょう。

文学と絵画とはいえど、病に冒されながらも自分の仕事をし続けた2人。彼らが死と向き合ったときに残した作品は対照的なものですが、どちらからも生命力の強さを感じます。私は至って健康ですが、仮に私が死と向き合うことになったら、それを主観的にみるか、客観的にみるか…今は何ともわからないところです。

林檎と正岡子規

2010-12-07 22:06:29 | その他
 祖父から小包が届いて、蓋を開けてみると、美味しそうな林檎が入っていました。うれしい、と思いながらも、一人で食べるにはちと多すぎる量に驚きました。なんと16個!

 明治時代の俳人、正岡子規は果物好きで有名でしたが、明治29年の著書『松羅玉液』(しょうらぎょくえき)において、林檎にまつわる記述があります。

「林檎は北海の産を最上とす。歯にさわれば形消えてすずやかなる風ばかり口の中に残りたる仙人の薬にも似たらんか。」

 林檎を食べたくなってきますね。また、著書『くだもの』(明治34)には色彩についても次のように述べています。

「林檎に至っては一個の果物の内に濃紅や淡紅や樺や黄や緑や種々の色があって、色彩の美を極めて居る。」

 林檎がどれだけ素晴らしい果物なのか。子規の言葉を念頭に置いておれば、数日林檎を食べ続けても決して飽きることはあるまい。そう思っていたら、実は同じ『くだもの』のなかで、林檎のように酸味の少い汁の少いものは、2、3日続けて食べるとすぐに飽きがくる…と子規が述べているではありませんか。どうにも参りました。

 林檎、とても美味しくて、私の好きな果物のひとつですが・・・しばらく、朝、夜と林檎三昧の日々が続きそうです。

 

兎を求めて合鴨に会う話

2010-12-06 17:11:26 | その他
 しばらくご無沙汰をしていました。
 
 朝、来年の年賀状に用いる「兎」の画題を求めて、自宅近くの山にある動物舎へ行ってきました。ここには「兎」がいた、というおぼろげな記憶を頼りに。ところが兎はおらず、代わりに合鴨が五羽、小さな柵の中で羽をバタつかせていました。何という記憶違いか。合鴨はやたらに羽をバタつかせ、「お前は本当にどうしようもないやつだ」と彼らからいわれているような気がして思わず心の中で苦笑。結局、兎はいませんでしたが、これも何かの縁と合鴨をスケッチしてきました。
 その足で書店へ。雑誌のコーナーに『版画芸術』の最新刊が並んでいました。特集は橋口五葉。橋口は明治、大正期の版画家で、夏目漱石や泉鏡花らの本の装丁、後年は新しい浮世絵ともいふべき「新版画」の刊行を手がけた人物です。雑誌をぺらぺらとめくると、なんと橋口が画いた鴨の絵が掲載されていました。橋口の鴨は実際の鴨と比較すると眼が大きく、水かきも薄い黄色(実際は濃いオレンジ)で摺られています。私自身、たった今スケッチをしてきたばかりなので、そういう細かいところを色々と云いたくなる(笑)。雑誌は購入して、午後からソファに寝転がりながら、ゆっくり読みました。
 
 スケッチした合鴨は、これから下絵を整理して版画で作る予定です。合鴨にまつわる縁なお話でした。