学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

吉田健一「読める本」を読む

2023-03-30 21:57:09 | 読書感想
この頃、書店へ行くと、やたらと「教養」を銘打ったタイトルが目につき、出版社はどうも私たちをずいぶん教養ある人間にしたいらしい。そうした中で、いつの間にか「美術」の知識もその教養とやらに入っていて、そもそも美術というのは楽しいから作ったり見たりするのであって、教養として身につけたところで何か利するところがあるのかがよくわからない、と思っていたら、先日『読める本』(1966年)のなかで、吉田健一の次のような言葉にバッタリとぶつかりました。

「教養というのが、精神を快活にするものであるならば、その間に眠った方が体にも、精神にもよさそうである。」

吉田の場合は、教養のなかでも文学について述べているのですが、これを美術と言い換えても、というよりも、教養のために何かを学ぶということ自体が目的としてどうなんだろうか、と言っているように感じます。これが書かれたのが50年以上前ですから、教養という言葉が何かと使われやすいのは昔から変わっていないのかもしれません。

さて、私はこういう社会や文明を意識した文章を書く吉田健一の批評がとても好きです。『読める本』の中にある「人生に就ての一切を本から学んだと芥川龍之介が書いているのは、先ずその言葉を疑って差し支えない」という言葉にニヤリとさせられ、「或る本が読めるか、読めないかを決めるのに一番確かな方法は、その本が繰り返して読めるかどうか験して見ることである」という言葉にハッと気づかされるものがあります。吉田の批評は、慣れるまでに何度かの再読を要求しますが、それだけの価値があると思っていて、私の場合は美術で論文を書いている途中で行き詰まったとき、吉田の文章を読んで、頭のなかを一旦整理する(書きたいことの原点に戻る)という使い方もしています。吉田の著作とそんな付き合い方をしているのは私だけかもしれませんが、『読める本』もその一冊で、私にとってはなくてはならない一冊です。

文献の調べものに

2023-03-28 21:48:51 | 仕事
私が住む地域は、今が桜の真っ盛り。桜が咲くと、街全体が明るくなったような感じがしますね。先日はいわゆる桜の名所へゆき、お花見を楽しんできました。何も飲み食いなどしなくても、ゆっくりと桜の下を散歩するだけで、心持ちが愉快になります。

さて、依頼されていた査読も済み、今度は自分が原稿を書く立場になりました。といっても、まだ締め切りまでは間があるので、それまではまだ文献の調査を続けることにしているのですが、今日ではインターネットの存在が欠かせません。これはインターネットの文章を参考文献にする、というのではなく、文献にあたるためのヒントを得るために使っているという意味です。特に私が重宝しているのが、googleの書籍で、キーワードを入力すると、そのキーワードが掲載されている本や雑誌の一部分(場合によってはページ数まで)を、引っ張ってきてくれるのです。これは本当にありがたくて、文献を正確にたどっていくうえで、もはやなくてはならないツールです。それまでは、本の参考文献から芋づる式に調べるのがオーソドックスなやり方でしたが、どうしても時間がかかるし、調べたいことが掲載されていないケースもあるので、今にして思えばなかなか難儀なことでした。

今回、私が書こうとしていることは、ある人物の昭和初期の動きについてで、その人物は社会的な立場としては政治家なのですが、一方、プライベートの部分ではパトロンの役割を果たしていた人物なのです。政治家としての実績は文献として結構残されているのですが、このパトロンの部分についてはほとんど残っていない。よし、誰も書いている人がいないなら、いっそ私が書いてみよう、と思い立ったものの、まだまだ道のりは遠く。先のgoogleのツールを利用しつつ、周辺の人たちの書簡類から、彼の動きを辿ってみようと試みています。どんなことがわかるのか(思ったよりも分からないかもしれないけれど)、とても楽しみな仕事に取り組んでいます。

作品の寄贈を受け入れる

2023-03-26 06:38:47 | 仕事
先日、一般の方から作品の寄贈の申し出があり、美術館として数点をお引き受けしました。

美術館が自館の収蔵品を増やすためには、2つの方法があって、それは作品を購入することと寄贈を受け入れることです。今日、なかなか予算が厳しい状況ですから、作品を寄贈いただけるというのは大変ありがたい話で、そういった作品が積み重なることで、コレクションの充実へとつながっていきます。

寄贈を受け入れるためのプロセスを紹介しますと、まずは作品そのものの目視による確認(作品の状態も含め)と、その作品を手に入れた由来を聞き取ります。その後、その作品が美術館の収集方針に基づくものかを確認、さらに館長や学芸員による作品の評価(外部の評価も含めて)をしたうえで、それが適切であれば寄贈の受け入れとなります。この中でも特に作品の評価がなかなか難しいところ。日頃から作品を見る目を養っておくことは必要ですし、寄贈を受け入れるにふさわしい作品であることの根拠を固めるために、様々な資料をかき集めて対応することになります。以前、100点近い寄贈の申し出があったときは、評価まで半年くらいかかりました。

こうして寄贈を受け入れた作品については、当館の場合ですと、2、3年に一度、寄贈作品展として、一般のお客様に公開しています。当館にとっては美術館活動の成果をお示しできるものでありますし、なにより、一般のお客様にも、このたび作品を寄贈された方にも喜んでいただける展覧会として、とても好評です。美術館がいろいろな方から支えられて、その活動ができていることに心から感謝し、今日も仕事に取り組んできたいと思います。

菊地信義『装幀百花』を読む

2023-03-24 22:08:55 | 読書感想
私がまだ仙台に居た時分、駅前にジュンク堂という大型の本屋があって、そこのある文庫本の棚が妙にきらきらとしていたことを思い出します。その棚こそが講談社学芸文庫の集まりで、様々な彩のある背表紙が、本を美しくしていたのでした。

それは手に取ると、とても優しい手触りのカバーがしてあり、表紙を見れば、グラデーションが上から下にかけられ、そしてタイトル文字の箔押しが目に留まります。とてもシンプルだけど、それがとても素敵。こうした装幀を手掛けたのが、菊地信義氏であって、1988(昭和63)年に創刊した同文庫の装幀を35年間にわたって手掛けられた方です。『装幀百花』は、昨年亡くなられた菊地氏の仕事を振り返るというもの。その性質上、この文庫にはほとんどないカラー写真がふんだんに盛り込まれています。

私が菊地氏の装幀で好きなのは、図像のタイプで、例えば森茉莉の『父の帽子』、坂口謹一郎の『愛酒樂酔』、幸田文の『ちぎれ雲』などが洒落ていて好きです。装幀を仕事にする人には、実際に本を読むタイプと、そうでないタイプがいるようで、菊池氏はどうだったのかは文章中に明記されていませんが、こういう装幀ができるのだから、やはり前者のタイプだったのでしょう。文字だけで表紙を構成する仕事は非常に難儀なところもあったと思いますが、かえって制限があるからこそ、これだけの仕事ができるのだから、プロの技というものに唸らされます。

ちなみに、この本の後半には1988年から2022(令和4)年5月まで、菊地氏が一手に担った講談社文芸文庫の目録が掲載されていて、このラインナップを眺めるだけでも楽しく、こんな本が出版されていたんだ、今度は何を買おうか、などと本が好きな人にとっては幸せな記録になっています。これから、どんな本が講談社文芸文庫で出版されるのか、私にとっては楽しみなことの一つです。

査読を引き受ける

2023-03-22 07:02:30 | 仕事
私はある学誌の美術部門を担当させていただいていて、今、3件の論文について査読を進めています。査読とは、文章の内容を査定することで、それが学誌に掲載するのに問題がないかをチェックすること。

自分のような者が査読をするなどと、大変恐れ多いことなのですが、何事も経験と思って、4年程前から引き受けています。美術部門という大きな枠のなかを担当しているため、自分の専門分野以外の部分もチェックしなければならず、なかなか骨が折れますが、学生時代に戻ったつもりで、日本美術史や各分野ごとの研究を再勉強して対応しています。自分が査読を受けていたときには、指摘されたところに弱点があって、それを補うために勉強をしたものですが、査読をする立場になると、当然それなりの責任が生じて、やはりきちんと指摘するためには勉強は欠かせない。査読を引き受けたことが、自分にとってもまたいい刺激になっています。また、その論文自体から色々と吸収できることもあって、内容そのものから新しい視点が学べるとともに、人それぞれの筆の運び方や文体も参考になります。査読を通し、自分が論文を書くときにも、できるだけ客観的な視点を持つ、という意識づけが得られている気がしています。とてもありがたいことです。

ただ、こうした査読で多々感じることがあって、その論文の目的や先行研究の問題や課題が明確にされないまま、突如として文章の書き出しが始まるケースが多いこと。少なくとも、論文とは筆者のなかに何かの目的意識が生まれ、それを明らかにしたいという思いで書かれるものですから、それをはじめにきちんと書いておく必要があります。論文は書き出しから始まる、が私なりの考え。他者が読んで、スッと納得できるような筆の進め方が大切かな、と思うわけです。

さて、かくいう私も今は原稿を執筆中。今日は査読をしつつ、自分で原稿を書く仕事に取り組む予定です。皆さま、良い一日を。

春を楽しみに

2023-03-20 22:22:45 | 読書感想
今日は3月20日。前回ブログを更新したのが12月ですから、ずいぶん日が経ちましたし、それに暖かくなりました。今朝はウグイスの声で目が覚め、朝食の後に散歩をするとたんぽぽやつくしを見かけ、ぐすぐすする鼻水をすすりながら、今が春であることを実感しています。

年度末になり、仕事が落ち着いたので、久しぶりに読書でも楽しもうかと本屋へ立ち寄りました。手に入れたのは次の3冊。

吉田健一『文学の楽しみ』
柳宗悦『木喰上人』
笙野頼子『幽界森娘異聞』

いずれも講談社文芸文庫です。この文庫は、他の文庫と比べて、少し値段ははりますが、これでないと読めないラインナップが結構あるので、いつも気にして本屋の棚を見ているのです。ちなみに今回は3冊で5,000円とちょっと。本を読んでいるとき、幸せを感じるのであれば、このぐらいの金額は安いものです。

この頃は、どういうわけか、小説を読んでもなかなか頭に入らないことが多く、途中でバテることが多くなりました。不思議なことに学術論文を読んでも、そういうことは起こらないので、プライベートでの集中力が落ちてきた、あるいは保てなくなってきたのかもしれません。理由はわからず。そういうわけで、今回はあまり気負いせず、だらだらと小説を読むのを楽しんでみたいと思っています。

これから読書も楽しみですが、4月からまた新しい展覧会が様々開催されます。春。私にとっては楽しみなことがいっぱいな季節です。