(1)最近の数か月間で、ウラジーミル・プーチン・ロシア大統領は、国際舞台において2つの主要な成功をおさめた。
(a)元情報部員エドワード・スノーデンに亡命の機会を与えた。ロシアこそ、米国の要求に抵抗できる唯一の国家であると自慢することができた。モスクワでは、野党の指導者たちさえ、プーチンの行動は自由と市民権を守るものだと称賛した。
(b)国際的な監視の下で、シリアのあらゆる化学兵器を廃棄するという言質を、プーチンがアサド大統領から取ったことにより、オバマ大統領はシリアに対する懲罰的な爆撃を「一時的に」断念するほかなかった。その時までホワイトハウスは、シリアを支持して国連でのあらゆる制裁決議に反対しているロシアを誹謗中傷し、孤立させようと全力を傾けていたのである。いまでは、プーチンは懸念すべき結果が生じると考えられたシリア空爆の回避に成功した国家元首として見られている。その上、米国政府の誤算によってプーチンの勝利はより容易となった。
(2)シリア紛争に対するロシアの態度は、最近の2年間、怖れとフラストレーションとともに、長期的な目標と野心を国際社会に明らかにしてきた。と同時に、ロシア国内においてプーチン大統領が直面している問題を露呈させることになった。
チェチェン紛争(1994~1996、1999~2000)は、数多くの結果を生じさせた。秩序維持軍に対するテロや構成の勢いはずいぶん下火になり、犠牲者の数も減少してきた。だが、衝突や犯罪は(政治的というよりは強盗の類いのものだが)、北コーカサス地方ではまだ頻繁に発生しているし、ダゲスタンやイングーシでは火に油を注ぐ結果になっている。
チェチェン人の武装勢力は、組織だっていない。各地に散在している。つねに存在している。
2012年7月、北コーカサス地方とは遠く離れたタタルスタンで、前例を見ないほど激しい2つのテロ事件が発生した。
ドク・ウマロフ(チェチェンの地下組織リーダ-)は、コーカサスのアミール(イスラムの太守)を宣言し、ソチ冬季オリンピックでテロ攻撃を仕掛けると予告した。
ロシアからシリアには、数百人のチェチェン人武装兵士が流入し、アサド政権に敵対して戦闘に従事している。【ゴードン・ハーン・米国戦略国際問題研究所(CSIS)研究員、ロシアの多くの新聞】
これが、ロシアがアサド政権に武器の引き渡しを続行している理由だ。プーチンとその側近にとって、シリア軍の崩壊はシリアが新たなソマリアになることを意味する。さらに、他の側面から言えば、中東は危険で脆弱な地域であり、シリアがロシアで活動する戦闘員の後方基地となることを意味する。したがって、この怖れを米国政府と共有するためにはもう少し時間がかかる。
(3)国際政治の観点からは、ロシアのアサド政権支持の目的は、
(a)地中海で唯一の海軍基地としてロシアが使用しているタルトゥース港(シリア)を確保すること。
(b)武器輸出の得意先を維持すること。
であると、しばしば軽く考えられている。確かに無視できない解釈であるとしても、モスクワがなぜ執拗に強固な立場を崩さないかを説明するには不十分だ。ロシアは、ソ連崩壊後の国際秩序において、ある一つの地位と役割を再現することを追求しているからだ。
(4)2000年にプーチンが大統領になったが、それ以前(1996年)、エフゲニー・プリマコフが外相になった時からすでに、ロシアの政治エリートは、列強としてのロシアを再現することを絶え間なく推進してきた。
米国は、ロシアが列強として再浮上することを阻止し、大した重要性を持たない国とすべく努力を傾けてきた。
その証拠・・・・バルト3国や旧東欧諸国をNATOに参加させる試みや、統一ドイツをNATOに統合させることに同意を取り付ける際のゴルバチョフへの約束(米国政府はロシアの最も正統的な利益がある地域には米国の影響力を及ぼさないことを確認するという約束)にも拘わらず、グルジアやウクライナをもNATOに組み入れようとした。
米国は、ロシアの利益を最小化することを至上命令としている。それに外れる一切の交渉を受け付けず、国連安保理を回避して国際的な制裁を課すという米国とその同盟国のやり方は、コソヴォ紛争の時(1999年)やイラク戦争の時(2003年)と同様に今も継続している、とクレムリンは見ている。ゆえにロシアは、国連安保理の承認を欠いた外国での軍事行動や体制転覆に深い嫌悪感を示している。
(5)シリアへの軍事行動に、ロシアは一貫して反対している。その際、2011年のリビアを前例として挙げている。によるカダフィ政権転覆の正当化に転用された。
当時はドミートリー・メドジェーエフが大統領で、米国との新たな関係づくりに希望を託していた。
今のモスクワでは、国際問題を本質的に地政学的見地から見る、というロシアの伝統的な分析が支配的になっている。1996年以来、ロシア外交政策の中心的で公式な目標は、アメリカの一国行動主義を徐々に軽減するため、世界の多様化を強化することだ。
□ジャック・ルベック(政治学博士/カナナ・ケベック大学専任講師)/坪井善明・訳「ロシアは列強として国際舞台に復帰できるか ~ル・モンド・ディプロマティック~」(「世界」2014年3月号)
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(a)元情報部員エドワード・スノーデンに亡命の機会を与えた。ロシアこそ、米国の要求に抵抗できる唯一の国家であると自慢することができた。モスクワでは、野党の指導者たちさえ、プーチンの行動は自由と市民権を守るものだと称賛した。
(b)国際的な監視の下で、シリアのあらゆる化学兵器を廃棄するという言質を、プーチンがアサド大統領から取ったことにより、オバマ大統領はシリアに対する懲罰的な爆撃を「一時的に」断念するほかなかった。その時までホワイトハウスは、シリアを支持して国連でのあらゆる制裁決議に反対しているロシアを誹謗中傷し、孤立させようと全力を傾けていたのである。いまでは、プーチンは懸念すべき結果が生じると考えられたシリア空爆の回避に成功した国家元首として見られている。その上、米国政府の誤算によってプーチンの勝利はより容易となった。
(2)シリア紛争に対するロシアの態度は、最近の2年間、怖れとフラストレーションとともに、長期的な目標と野心を国際社会に明らかにしてきた。と同時に、ロシア国内においてプーチン大統領が直面している問題を露呈させることになった。
チェチェン紛争(1994~1996、1999~2000)は、数多くの結果を生じさせた。秩序維持軍に対するテロや構成の勢いはずいぶん下火になり、犠牲者の数も減少してきた。だが、衝突や犯罪は(政治的というよりは強盗の類いのものだが)、北コーカサス地方ではまだ頻繁に発生しているし、ダゲスタンやイングーシでは火に油を注ぐ結果になっている。
チェチェン人の武装勢力は、組織だっていない。各地に散在している。つねに存在している。
2012年7月、北コーカサス地方とは遠く離れたタタルスタンで、前例を見ないほど激しい2つのテロ事件が発生した。
ドク・ウマロフ(チェチェンの地下組織リーダ-)は、コーカサスのアミール(イスラムの太守)を宣言し、ソチ冬季オリンピックでテロ攻撃を仕掛けると予告した。
ロシアからシリアには、数百人のチェチェン人武装兵士が流入し、アサド政権に敵対して戦闘に従事している。【ゴードン・ハーン・米国戦略国際問題研究所(CSIS)研究員、ロシアの多くの新聞】
これが、ロシアがアサド政権に武器の引き渡しを続行している理由だ。プーチンとその側近にとって、シリア軍の崩壊はシリアが新たなソマリアになることを意味する。さらに、他の側面から言えば、中東は危険で脆弱な地域であり、シリアがロシアで活動する戦闘員の後方基地となることを意味する。したがって、この怖れを米国政府と共有するためにはもう少し時間がかかる。
(3)国際政治の観点からは、ロシアのアサド政権支持の目的は、
(a)地中海で唯一の海軍基地としてロシアが使用しているタルトゥース港(シリア)を確保すること。
(b)武器輸出の得意先を維持すること。
であると、しばしば軽く考えられている。確かに無視できない解釈であるとしても、モスクワがなぜ執拗に強固な立場を崩さないかを説明するには不十分だ。ロシアは、ソ連崩壊後の国際秩序において、ある一つの地位と役割を再現することを追求しているからだ。
(4)2000年にプーチンが大統領になったが、それ以前(1996年)、エフゲニー・プリマコフが外相になった時からすでに、ロシアの政治エリートは、列強としてのロシアを再現することを絶え間なく推進してきた。
米国は、ロシアが列強として再浮上することを阻止し、大した重要性を持たない国とすべく努力を傾けてきた。
その証拠・・・・バルト3国や旧東欧諸国をNATOに参加させる試みや、統一ドイツをNATOに統合させることに同意を取り付ける際のゴルバチョフへの約束(米国政府はロシアの最も正統的な利益がある地域には米国の影響力を及ぼさないことを確認するという約束)にも拘わらず、グルジアやウクライナをもNATOに組み入れようとした。
米国は、ロシアの利益を最小化することを至上命令としている。それに外れる一切の交渉を受け付けず、国連安保理を回避して国際的な制裁を課すという米国とその同盟国のやり方は、コソヴォ紛争の時(1999年)やイラク戦争の時(2003年)と同様に今も継続している、とクレムリンは見ている。ゆえにロシアは、国連安保理の承認を欠いた外国での軍事行動や体制転覆に深い嫌悪感を示している。
(5)シリアへの軍事行動に、ロシアは一貫して反対している。その際、2011年のリビアを前例として挙げている。によるカダフィ政権転覆の正当化に転用された。
当時はドミートリー・メドジェーエフが大統領で、米国との新たな関係づくりに希望を託していた。
今のモスクワでは、国際問題を本質的に地政学的見地から見る、というロシアの伝統的な分析が支配的になっている。1996年以来、ロシア外交政策の中心的で公式な目標は、アメリカの一国行動主義を徐々に軽減するため、世界の多様化を強化することだ。
□ジャック・ルベック(政治学博士/カナナ・ケベック大学専任講師)/坪井善明・訳「ロシアは列強として国際舞台に復帰できるか ~ル・モンド・ディプロマティック~」(「世界」2014年3月号)
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