(1)「反知性」。「非」知性でも「無」知でもなく「反」知性。
「反知性主義」をキーワードに、政治的な問題発言が論壇で続出する現状を分析・批判するのだ。
「週刊現代」1月25日・2月1日合併号の特集は、「嫌中」「憎韓」「反日」・・・・首相の靖国神社参拝や慰安婦問題をめぐり日・中・韓でナショナリスティックな感情が噴き上がる現状を問題視した。
同誌の対談で、佐藤優は領土問題や歴史問題をめぐる国内政治家の近年の言動に警鐘を鳴らした。その中で使った分析用語の一つが「反知性主義」だ。この言葉を昨年来、著書などで積極的に使っている。
(2)佐藤は、「反知性主義」をどう定義するか。
「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」だ。新しい知見や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢だ。とりわけ問題になるのは、その物語を使う者がときに「他者へ何らかの行動を強要する」からだ。
佐藤が反知性主義という概念を使おうと考えたきっかけは、昨年の麻生太郎・副総理の「ナチスの手口に学んだら」発言だった。「ナチスを肯定するのかという深刻な疑念が世界から寄せられたが、麻生氏も政権も謝罪や丁寧な説明は必要ないと考えた。非常に危険だと思った」
異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな「決断」を重視する姿勢がそこにある。「反知性主義の典型です」。
前掲対談では、靖国や慰安婦に関する海外からの批判の深刻さを安倍政権が認識できていない、とも指摘した。
自分が理解したいように世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働いているせいで、「不適切な発言をした」という自覚ができず、聞く側の受け止め方に問題があるとしか認識できない・・・・そう分析する。
(3)昨年12月、内田樹・フランス現代思想研究者は、反知性主義が「日本社会を覆い尽くしている」とツイッターに書いた。参考図書を読もうとしない学生たちに、君たちは反知性主義的であることを自己決定したのではなく、「社会全体によって仕向けられている」のだ、と挑発的に述べた。
(4)同じ月、竹内洋・関西大学東京センター長/社会学者は、米国の歴史学者ホーフスタッターの著書『アメリカの反知性主義』の書評をネットの「書評空間」に寄稿した。
ホーフスタッターが同書を発表したのは半世紀前。邦訳されたのも10年前だ。なぜいま光を当てたのか。
「反知性主義的な空気が台頭していると伝えたかった」と竹内は語る。
反知性主義の特徴は「知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとにたいする憤りと疑惑」だ、と同書は規定する。米国社会を揺るがした1950年代のマッカーシズム(赤狩り)に直面したことで、ホーフスタッターは反知性主義の分析に取り組んだ。
竹内がこの概念に注目したきっかけは、いわゆる橋下現象だった。「橋下市長は学者たちを『本を読んでいるだけの、現場を知らない役立たず』と口汚くののしった。ヘイトスピーチだったと思うが、有権者にはアピールした」
なぜ、反知性主義が強く現れてきたのか。「大衆社会化が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』をあおるものだからだ」
(5)「反知性主義」に同じように警鐘を鳴らしても、佐藤・内田・竹内の主張では力点が違う。だが佐藤は、3人には共有されている価値があると語る。
「自由です」
反知性主義に対抗する連帯の最後の足場になる価値だろう、とも佐藤は言う。
「誰かが自分に都合の良い物語を抱くこと自体は認めるが、それを他者に強要しようとする行為には反対する。つまり、リベラリズムです」
□塩倉裕「反知性主義」への警鐘 相次ぐ政治的問題発言で議論」(朝日デジタル 2014年2月19日09時30分)
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「反知性主義」をキーワードに、政治的な問題発言が論壇で続出する現状を分析・批判するのだ。
「週刊現代」1月25日・2月1日合併号の特集は、「嫌中」「憎韓」「反日」・・・・首相の靖国神社参拝や慰安婦問題をめぐり日・中・韓でナショナリスティックな感情が噴き上がる現状を問題視した。
同誌の対談で、佐藤優は領土問題や歴史問題をめぐる国内政治家の近年の言動に警鐘を鳴らした。その中で使った分析用語の一つが「反知性主義」だ。この言葉を昨年来、著書などで積極的に使っている。
(2)佐藤は、「反知性主義」をどう定義するか。
「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」だ。新しい知見や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢だ。とりわけ問題になるのは、その物語を使う者がときに「他者へ何らかの行動を強要する」からだ。
佐藤が反知性主義という概念を使おうと考えたきっかけは、昨年の麻生太郎・副総理の「ナチスの手口に学んだら」発言だった。「ナチスを肯定するのかという深刻な疑念が世界から寄せられたが、麻生氏も政権も謝罪や丁寧な説明は必要ないと考えた。非常に危険だと思った」
異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな「決断」を重視する姿勢がそこにある。「反知性主義の典型です」。
前掲対談では、靖国や慰安婦に関する海外からの批判の深刻さを安倍政権が認識できていない、とも指摘した。
自分が理解したいように世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働いているせいで、「不適切な発言をした」という自覚ができず、聞く側の受け止め方に問題があるとしか認識できない・・・・そう分析する。
(3)昨年12月、内田樹・フランス現代思想研究者は、反知性主義が「日本社会を覆い尽くしている」とツイッターに書いた。参考図書を読もうとしない学生たちに、君たちは反知性主義的であることを自己決定したのではなく、「社会全体によって仕向けられている」のだ、と挑発的に述べた。
(4)同じ月、竹内洋・関西大学東京センター長/社会学者は、米国の歴史学者ホーフスタッターの著書『アメリカの反知性主義』の書評をネットの「書評空間」に寄稿した。
ホーフスタッターが同書を発表したのは半世紀前。邦訳されたのも10年前だ。なぜいま光を当てたのか。
「反知性主義的な空気が台頭していると伝えたかった」と竹内は語る。
反知性主義の特徴は「知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとにたいする憤りと疑惑」だ、と同書は規定する。米国社会を揺るがした1950年代のマッカーシズム(赤狩り)に直面したことで、ホーフスタッターは反知性主義の分析に取り組んだ。
竹内がこの概念に注目したきっかけは、いわゆる橋下現象だった。「橋下市長は学者たちを『本を読んでいるだけの、現場を知らない役立たず』と口汚くののしった。ヘイトスピーチだったと思うが、有権者にはアピールした」
なぜ、反知性主義が強く現れてきたのか。「大衆社会化が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』をあおるものだからだ」
(5)「反知性主義」に同じように警鐘を鳴らしても、佐藤・内田・竹内の主張では力点が違う。だが佐藤は、3人には共有されている価値があると語る。
「自由です」
反知性主義に対抗する連帯の最後の足場になる価値だろう、とも佐藤は言う。
「誰かが自分に都合の良い物語を抱くこと自体は認めるが、それを他者に強要しようとする行為には反対する。つまり、リベラリズムです」
□塩倉裕「反知性主義」への警鐘 相次ぐ政治的問題発言で議論」(朝日デジタル 2014年2月19日09時30分)
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