今年の正月に実家に帰った時に、改めて川越街道の旧道の石神井川にかかる下頭橋のたもとにある六蔵菩薩という史跡をチェックしてみました。
下頭橋という名の由来は、子供の頃、旅人が杖を挿してそれに根が生えて逆さの木が成長したからと聞いたことがあります。脇に古木があったと記憶していますが、今となっては曖昧です。看板には他の由来も記述されていました。
この辺りは、江戸時代、伝馬役というのを担っていて上板橋宿が栄えていたようです。弥生町にある豊敬稲荷神社の案内板に、伝馬とは街道の貨客を運ぶ際宿から人夫や馬を提供するもので、江戸から上板橋また次の宿下練馬村までが上板橋宿の負担であったなどと書かれています。
川越街道史跡めぐりなんていうのも、一度やってみたい。
下頭橋という名の由来は、子供の頃、旅人が杖を挿してそれに根が生えて逆さの木が成長したからと聞いたことがあります。脇に古木があったと記憶していますが、今となっては曖昧です。看板には他の由来も記述されていました。
この辺りは、江戸時代、伝馬役というのを担っていて上板橋宿が栄えていたようです。弥生町にある豊敬稲荷神社の案内板に、伝馬とは街道の貨客を運ぶ際宿から人夫や馬を提供するもので、江戸から上板橋また次の宿下練馬村までが上板橋宿の負担であったなどと書かれています。
川越街道史跡めぐりなんていうのも、一度やってみたい。