四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

菅谷館跡・嵐山史跡の博物館(埼玉県嵐山町)

2010年08月04日 | 続日本100名城






近くにあるということもあり、特別な用事があるわけでもないのに、時折、菅谷館跡・埼玉県立嵐山史跡の博物館に行くことがある。
菅谷館跡内に嵐山史跡の博物館があるので、どちらが主目的かはいつも曖昧であるが。
今日も行ってみた。1週間ほど前に行ったとき、館跡の案内板が新しくなっていたので、その画像を撮るだけのために・・・
2番目の写真が本日撮ったもので、3番目の写真は昨年5月に撮ったものである。説明文の内容に変わりはなく、縦書きから横書きに変わっただけである。
下の写真の案内板では、「国指定史跡 菅谷館跡」となっている。実は、この写真を撮った頃は、既に国指定史跡であったこの「菅谷館跡」に「松山城跡」
「杉山城跡」 「小倉城跡」を加えた4つの城館跡の広域指定にし、国指定史跡比企城 館跡群と指定変更されていたのであるが、国指定史跡 菅谷館跡の
表示のままであったわけである。今日撮ってきた写真は、最近作り変えたようで、国指定史跡比企城館跡群 菅谷館跡となっており、指定変更になった
平成20年3月の日付になっています。だからどうしたの? と言われそうなどうでもよい話かもしれませんが、これも私にとっては新しい発見なのです。

投稿日:2010年(平成22年)8月4日(水) 続日本100名城選定前         

沼田城跡(群馬県沼田市)

2010年07月19日 | 続日本100名城






これまでに信濃国の「真田氏館跡」、「上田城跡」。そして、「松代城跡」と、真田氏の居城跡を訪ね歩いたが、上野国の「沼田城跡」も訪ねないことには話にならないと、
今回、沼田城を攻めてみた。しかし、公園案内図を見ていただければ分かるように、城跡と言ってもほぼ完全に公園化されてしまっており、城を偲ぶ遺構は数少ない。








沼田城については、上の写真の中に簡単な説明がされているので省略するが、確かに城があったのだなあと思わせるのは、この「西櫓台の石段・石垣」くらいかもしれない。




「二の丸」跡で、現在は野球場になっている。手前の土塁は当時のものか?




本丸と二の丸の間にあった「本丸堀」一部がのこったものとのことであるが、説明がなければただの池としか思えない。
ここまで公園化されてしまうと、(私には)なかなか城跡のイメージが湧かないのであるが・・・仕方ないですね。廃城になり、堀まで埋められてしまった城ですから。

攻城日:2010年(平成22年)7月19日(月) 続日本100名城選定前            

龍岡城跡(長野県佐久市)

2010年05月27日 | 続日本100名城







日本に2つしかない星形の洋式築城=五稜郭=のひとつである   『龍岡城跡』(国指定史跡) 長野県佐久市田口(旧臼田町)に行ってきた。
この龍岡城は、江戸時代末期に築城(未完成だったようだが)されたものである。








堀の一部と、石積・土塁です。




城跡内には、市立田口小学校が建てられている 




現存する唯一の建造物「御台所櫓」        




藩主(築城者)松平乗謨(大給 恒)の胸像     

龍岡城は、別名「龍岡五稜郭」、「田野口陣屋」、「龍岡陣屋」と呼ばれるが、城ではなく陣屋が正しいようである。
松平家は代々「陣屋大名」であり城を持つことは出来なかったのである。まあ、皆が城と言っているのだから城でいいが。

攻城日:2019年(平成22年)5月23日(日) 雨  続日本100名城選定前    

滝山城跡(東京都八王子市)

2009年12月19日 | 続日本100名城
■ 国指定史跡 滝山城跡



 寄居町にある「鉢形城跡」に登城したあと、この鉢形城と同様に豊臣秀吉の小田原攻めによって落とされた北條一族の居城であった「八王子城」跡に
登城しないと話にならないと考え、二週前に八王子城跡を攻めてみた。すると、八王子城の城主であった北條氏照がこの八王子城を築城する前の
居城であった『滝山城』(八王子市)にも登城しなければということになる。そこで本日の城攻めとなった。滝山城から八王子城築城の経緯等は
専門家(?)のHPやブログにお任せすることとしよう。

 実は、八王子城跡を訪ねたあと、この『滝山城』跡も攻めて帰ろうと寄ったのである。しかし、愛馬を待たせて置く場所がなく登城口を確認する
だけで終えてしまっていた。 そんなことから帰宅後あらためて調べてみたが愛馬を繋いでおける場所は用意されてないことがはっきりした。
 それならば電車とバスで行くしかないと、その方向で計画していたが、電車と言ってもディーゼル機関車で途中駅まで行き電車に乗り換えるという
実に複雑なJR線なのである。さらに連絡が悪ければ時間がかかるだけである。
 愛馬で行っても裏の手を使えばよいのだがちょっと気が引けた。そこで、登城口から約2キロ離れた某所まで愛馬で行き、そこから徒歩で向かうこととした。

 前置きが長くなったが、いくつかある登城口のうち、左の写真の中の右側の登城口から入った。理由は省略しますが、実はここから入ったのは失敗であった。




『滝山城』は比高80mの平山城で、国指定史跡となっており、現在は城跡一帯が「都立滝山公園」となっている。




「信濃屋敷跡・刑部屋敷跡」




「喰違い虎口」






「喰違い虎口」から暫く歩くと「中丸」、「本丸」に至る。中丸跡は公衆トイレも設置され見るからに公園である。
以前はここまで車を乗り入れられたようであるが、今は各登城口に進入禁止の柵が設けられているので無理。






中丸と本丸を結ぶ「引橋」です。








本丸跡です。隅の方に「大井戸」があります。また、写真は載せてありませんが、ここには現在「霞神社」が建っています。




「千畳敷跡」






「空堀」、「小宮曲輪跡」です。空堀は大変大きなものです。

「これらを見ながら下城しましたが、下りたところは最初の写真の左側の看板がある所。

今回も満足な登城記を書けませんが、まだまだ修行の身ですから・・・

散策日:2009年(平成21年)12月19日(土) 続日本100名城選定前