
秩父郡東秩父村御堂地内に「日蓮宗浄蓮寺」と言う寺がある。
この寺は、鎌倉時代の大河原氏館跡と推定されていると言う。この辺り一帯は、旧大河原郷で、大河原氏の本貫地であり、
大河原姓の発祥地とされている。実は、この浄蓮寺に、「松山城主・上田朝直と上田一族」の墓があることから訪ねたと言
うのが主目的であった。松山城というとあの有名な愛媛県松山市の松山城と間違われそうだが、埼玉県比企郡吉見町にあっ
た松山城のことである。しかし、タイトルに「墓」と言う文字を使うのは躊躇われたので、大河原氏館跡とした。

浄蓮寺境内

本堂


上田氏は扇谷上杉氏の重臣であったが、1545年4月の河越砂久保の合戦で扇谷上杉朝定が討死し、扇谷上杉氏は事実上
滅亡したため、以後、上田氏は後北条氏に従い朝直、長則、憲定(長則の弟)の3代にわたり松山城の城主を務めたが、豊
臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏と共に滅亡したといわれる。
この浄蓮寺から少し離れたところに、松山城の支城であった「安戸城跡」があるのだが、場所が定かでない。
ここもいずれは登城しなければならないだろう。
散策日:2010年(平成22年)12月1日(水)