四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

勝沼城跡(東京都青梅市)

2012年05月14日 | 100名城以外の城館跡




東京都青梅市に「勝沼城(跡)」というのがあるということは知っていました。
先日、青梅市の塩船観音にツツジを観に行っての帰り、時間があったことから「勝沼城(跡)」を攻城していこうと俄かに思いついたわけです。
お寺の裏の方にあるということは知識としてあったのですが、何分思いつきの攻城であるから何の準備もなく寺名も覚えていない状態です。
城山通りを走るとお寺が幾つかありましたが、どのお寺か見当がつきません。
そこで、コンビニに立ち寄って城跡のある場所を聞いてみましたが、「勝沼城(跡)」自体を店員も分らず、何とか他の店員がここのことではないかなと
教えてくれたのが「光明寺」でした。寺には駐車場がありましたが、天守のある城以外は興味がない(はっきり行って城跡は嫌いらしい)家人はコンビニで
買い物をして待っているとのことであり、コンビニに車を置かせてもらい徒歩で。実は、コンビニに車を置いていったには別の理由もあったのですが。
どうでもいい前置きが長くなってしまいましたが、光明寺(写真上)の脇の道を上がって行きますと墓地があり、墓地の途切れたところに立て札(写真下)が
ありました。立て札の内容からこの付近に城跡があるのは間違いないと確信(オーバーですが)。そのまま道を直進していきましたが、
配水場に行き当たるようで、城跡らしきものは見当たらず立て札のところまで戻り、墓地の外側の山道を上がってみました。 






こんな坂道(写真上)を上がっていきますと二手に分かれていましたので右方向に進んでみました。
この程度の山道でもいまの私は「ゼーゼー」と息が切れてしまいますので、山城どころか平山城歩きもきついです。
さて、ゼーゼーしながら出たところが見晴らしの良い削平地(写真下)でしたが、曲輪跡とは違うような雰囲気です。
そこで、ちょっと中に進んで見ますと・・・





だいぶ広い削平地があり曲輪跡だとすぐにわかりました。
そして、ここに「勝沼城跡」の案内板が設置されていました。ということはここが本曲輪跡なのでしょう。
いつもなら冒頭に城の歴史等について載せておりますが、今回はこの案内板で代用させていただきます。(明らかな手抜き)






土塁(写真上)と空堀跡と思われるところ(写真下)ですが、見てのとおり草木が繁茂しており遺構の姿がよく分かりませんでした。
ほかも歩いてみればよかったのでしょうが、このような状態でしたから、この本曲輪跡と思われる場所のみを確認して、登ってきた道とは違う道を使って下山してしまいました。
帰宅してから、この勝沼城跡について改めて確認しましたら、3曲輪まであり、土橋や虎口跡もあるらしいし、分り辛い場所ながら縄張り図の入った案内板もあるようです。

ところで、この勝沼城跡を再攻城するかどうかはまだ考える段階にはありません。

攻城日:2012年(平成24年)5月12日(土)