四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

福井城(福井県福井市)

2012年11月20日 | 続日本100名城


福井城跡の石垣、水堀

福井城
1601(慶長6)年、越前68万石の領主となった結城秀康によって福井平野に築かれた平城。織田信長の家臣・柴田勝家が本拠とした
北ノ庄城を取り込む形で建設され、縄張りは秀康の父である徳川家康によるものといわれている。工事開始から5年後の1606(慶長11)年、
本丸を中心に幾重もの曲輪(区画)と水堀が巡るという、徳川家康の城に共通する特徴を持つ巨大城郭が完成した。当初は北ノ庄城と呼ばれていたが、
康の子である松平忠昌が城主たなった際、福居(後に福井)城に改められたといわれている。本丸には4重5階建ての壮麗な天守が建てられていたが、
1669(寛文9)年の火災により焼失し、その後は再建されなかった。明治維新まで代々越前松平家が城主を務め、廃城後は城趾の市街地化が進み、
現在はかつての本丸にのみ堀と石垣が残されている。            (【戦国武将データファイル】名城コレクション・福井城)から引用  
  



本丸跡には福井県庁・警察本部が建っている








平成19年に復元された御廊下橋 






福井城天守台 




福井地震で崩れた天守台の石垣  




天守台登り口脇に設置されている「福井城天守」の説明板  




山里口門跡の石垣   
   
福井市を訪れたのは、隣接する坂井市にある現存天守12城のひとつ「丸岡城」の攻城を目的としてでした。
そして、できれば福井市内にある「一乗谷城(跡)」、「福井城(跡)」も攻城したいと考えました。
しかし、乗車する列車は既に決まっておりましたから、散策できる時間には制限がありました。
主目的の丸岡城攻城もじっくりと攻めるどころか時間に追われるようにして福井駅まで帰還した次第で、
とても「一乗谷城(跡)」まで行く余裕はありません。列車に乗るまでの僅かな時間で行けるとすれば
「福井城(跡)」しかありませんでした。この「福井城(跡)」の本丸跡には、現在、福井県庁、
福井県警本部が建っており、見どころとしては天守台と石垣、そして、復元された御廊下橋くらいかもしれません。
とにかく行って来ようと福井城跡に足を向けました。行ってく来るだけであって、行って見て来るというまでには至りません。
そんな次第でしたから、天守台まで行ってすぐに福井駅まで戻り、次の目的地に向かいました。 

攻城日:2012(平成24)年11月12日(月) 続日本100名城選定前