水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

遊・7

2005-12-12 21:52:26 | Weblog

「遊び」を多くの人が勘違いする。
生活からの逃避として遊ぶ。
仕事の抑圧に反発して遊ぶ。
不安、不満の捌け口として遊ぶ。
それらは「遊び」じゃない。
それらは「幻」というモノだ。

「遊び」は本体から離れたモノじゃない。
本体の一部だ。
本体の余裕部分だ。
仕事が本体なら、仕事の一部だ。
生活が本体なら、生活の一部だ。

仕事と「遊び」があるわけじゃないぜ。
仕事に「遊び」があるんだ。
「遊び」だけの「遊び」じゃない。
仕事そのものが「遊び」だらけだ。

「ゲーム」が「遊び」じゃないぜ。
本来は「遊び」を拡大したのが「ゲーム」だ。
いつでも仕事(本来)の為なんだ。
息抜きじゃないんだぜ。

い、いや、本当は息抜きが「遊び」だ。
でもこの深い意味に気づく人は少ない。
ワシは数少ない一人だ。
だが・・・だからといって何の足しにもならない。
役立たずの事ばかり知っていても役立たずは変らない。

まぁいいさ。
ワシは仕事と遊びを区別しない。
区別できない。
遊び(余裕)が有って、いい仕事になる。
それを知っている。
だから生き方にも「遊び」を意識する。

生き方に余裕の無い人は非情だ。
他の生き方にまでモンクを言う。
不マジメがいい仕事をするのが納得できない。
不マジメは余裕があるから、当たり前なのに。
多分・・・不マジメとデタラメを混同している。

遊びがある相手は愉しい。
遊びがある人は楽しい。
だから自分も遊びを作る。
遊びを愉しむ。

遊びは難しくない。
息を吐けば何とかなる。
笑えば何とかなる。
自然体は「遊び」だらけだ。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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