「遊び」を多くの人が勘違いする。
生活からの逃避として遊ぶ。
仕事の抑圧に反発して遊ぶ。
不安、不満の捌け口として遊ぶ。
それらは「遊び」じゃない。
それらは「幻」というモノだ。
「遊び」は本体から離れたモノじゃない。
本体の一部だ。
本体の余裕部分だ。
仕事が本体なら、仕事の一部だ。
生活が本体なら、生活の一部だ。
仕事と「遊び」があるわけじゃないぜ。
仕事に「遊び」があるんだ。
「遊び」だけの「遊び」じゃない。
仕事そのものが「遊び」だらけだ。
「ゲーム」が「遊び」じゃないぜ。
本来は「遊び」を拡大したのが「ゲーム」だ。
いつでも仕事(本来)の為なんだ。
息抜きじゃないんだぜ。
い、いや、本当は息抜きが「遊び」だ。
でもこの深い意味に気づく人は少ない。
ワシは数少ない一人だ。
だが・・・だからといって何の足しにもならない。
役立たずの事ばかり知っていても役立たずは変らない。
まぁいいさ。
ワシは仕事と遊びを区別しない。
区別できない。
遊び(余裕)が有って、いい仕事になる。
それを知っている。
だから生き方にも「遊び」を意識する。
生き方に余裕の無い人は非情だ。
他の生き方にまでモンクを言う。
不マジメがいい仕事をするのが納得できない。
不マジメは余裕があるから、当たり前なのに。
多分・・・不マジメとデタラメを混同している。
遊びがある相手は愉しい。
遊びがある人は楽しい。
だから自分も遊びを作る。
遊びを愉しむ。
遊びは難しくない。
息を吐けば何とかなる。
笑えば何とかなる。
自然体は「遊び」だらけだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」