水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

遊・4

2005-12-09 19:54:09 | Weblog

心と心を扱う仕組みがある。
ハンドル(心)を扱う手(意志)だ。
ここが間違いやすいところだ。
意思は心に組み込まれている。
意志は心から外れているのだ。

心(ハンドル)に自由はない。
そういう概念がない。
単なる癖の塊。
単なる記憶達の塊。
単なる感情達の塊だ。

自由は意志(手)にある。
手(意志)を使わないとハンドル(心)任せだ。
どこに行くのかわからない。
だから心任せだと不安になる。
心は意志を持たない・・・。

ワシとしたことが・・・
またマトモに書いてしまった。
悪い癖だ。
「遊び」が無かった・・・。

ワシの御幼少の頃。
ワシは曲がった松の木が許せない性格だった。
食事は正座でいただくもの。
人間は正しく真っ直ぐに生きるモノ。
ワシに流れる高貴な血がそうさせたのだろう。

だが幸いな事にワシの親父は不良だった。
ワシは本来の人間らしさを取り戻した。
人間は曲がった生き物だと気づけた。
曲がっていくから大切な人生だ。
曲がっているから愛おしい生物だ。

役に立たないモノの大切さ。
それは他を侵(犯)さない優しさでもある。
その役に立たないモノ。
それが「愛(間)」だと知った。
愛が無ければ、自と他は共存できない。

曲がった癖の心が無ければ気づけない。
人は未だ未だ未だ未だ、未熟な過程だぜ。
ワシは安心して曲がった心(ハンドル)を抱く。
このヒネクレた仕組みが大神の優しさだと感じる。

ワシはヒネクレた心が好きだ。
未熟だから、まだ余計な仕事をしているが、
ワシは役に立たない人物を目指す。
何の役にも立たない生き方。
いつかは、それが出来るかもしれんなぁ。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする