心と心を扱う仕組みがある。
ハンドル(心)を扱う手(意志)だ。
ここが間違いやすいところだ。
意思は心に組み込まれている。
意志は心から外れているのだ。
心(ハンドル)に自由はない。
そういう概念がない。
単なる癖の塊。
単なる記憶達の塊。
単なる感情達の塊だ。
自由は意志(手)にある。
手(意志)を使わないとハンドル(心)任せだ。
どこに行くのかわからない。
だから心任せだと不安になる。
心は意志を持たない・・・。
ワシとしたことが・・・
またマトモに書いてしまった。
悪い癖だ。
「遊び」が無かった・・・。
ワシの御幼少の頃。
ワシは曲がった松の木が許せない性格だった。
食事は正座でいただくもの。
人間は正しく真っ直ぐに生きるモノ。
ワシに流れる高貴な血がそうさせたのだろう。
だが幸いな事にワシの親父は不良だった。
ワシは本来の人間らしさを取り戻した。
人間は曲がった生き物だと気づけた。
曲がっていくから大切な人生だ。
曲がっているから愛おしい生物だ。
役に立たないモノの大切さ。
それは他を侵(犯)さない優しさでもある。
その役に立たないモノ。
それが「愛(間)」だと知った。
愛が無ければ、自と他は共存できない。
曲がった癖の心が無ければ気づけない。
人は未だ未だ未だ未だ、未熟な過程だぜ。
ワシは安心して曲がった心(ハンドル)を抱く。
このヒネクレた仕組みが大神の優しさだと感じる。
ワシはヒネクレた心が好きだ。
未熟だから、まだ余計な仕事をしているが、
ワシは役に立たない人物を目指す。
何の役にも立たない生き方。
いつかは、それが出来るかもしれんなぁ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」