水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

遊・8

2005-12-13 21:58:14 | Weblog

「遊び」は「間」だ。
中身は何も無い「間」だ。
世間の固定概念の「遊び」とは違う。
世間でいう「遊び」も中身は無い。
だが「間」のある「遊び」は少ないぜ。

世間的な「遊び」もいいだろう。
そんなの好きにすればいい。
だが遊びの醍醐味は「間」にある。
「間・余裕」の無い「遊び」は遊びにならない。

「間」は回復力になる。
何も無い「間」が大切な力になる。
それは自他に同時に働く力だ。
同時に働く回復力を「癒し」ともいう。

本体の「遊び」部分は「癒し」となる。
どんな行為にも「癒し」の可能性がある。
「遊び」があるなら「癒し」となる。
役に立たない部分は「癒し」になる・・・。
(・・・そ、そうかなぁ・・・
あぁ・・・自己弁護という単語が・・・)

「疲れ」は「間」が無くなると起こる。
「間・余裕」が有る時は「疲れ」の状態にならない。
「遊び」の少ない人は疲れやすいのだ。
マジメな人は疲れやすい・・・。
その「疲れ」は相手まで巻き込む。
遊びの無い人は・・・迷惑をかけている。

誰でも赤ちゃんだった。
誰でも幼児だった。
誰でも童子だった。
誰でも「遊び」の生き方をしていた。

社会的という固定概念。
「遊び」が反社会的という固定概念。
ある時代に国民を動かす為に意図的に作った。
「遊び」は「心を自由」にしてしまうから。
各自が自由になると・・・国がまとまらない。
戦争に「遊び心」は不向きなのだ。

今・・・「遊び」が少ない時代になった。
一見「遊びだらけ」のようにも思える。
だが「間・余裕・愛」が無い「偽遊び」だ。
誰かが・・・意図しているとしたら・・・
この国や世界は再び三度、キナ臭い。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする