見えないモノを畏れ、敬う意識が無くなる。
見えるモノだけで判断する意識となる。
しかも判断材料が値段というお金。
いつしか「価値」を観ずに「値段」を見る。
値段は高い方が「価値」はありそう・・・。
でも自分が係わるなら「安く」手に入れたい。
同じモノなら「安く」ても「価値」は変らない。
安く買えるなら「得」だ。
判断基準、生き方基準は「損得」・・・。
見えるモノで、同じ製品ならいいだろう。
値段が変っても品物が変らないのなら同じだ。
同じ製品なら性能は変らない。
高くても安くても好みの問題だ。
だが見えないモノは違う。
値段が高いのが価値があるとは限らない。
値段と価値は別な次元なのだ。
だが値段に価値を持たせると影響が出る。
ここの説明はメンドウだけど・・・。
見えないモノは受け取り側が主体となる。
受け取り側が影響を左右するのだ。
モノからの能力や性能は変らない。
価値は、そのモノにあるかもしれないが、
価値の影響は、そのモノにあるのではない。
影響は受けて側の価値判断に左右する。
ある絵があった。
値段が1億。
それを100万円まで値引させた。
政治家の顔で・・・。
1億の価値がある絵。
1億の力がある。
絵の力は変らない。
だが100万円で買った政治家。
100分の1しか絵の価値が伝わらない。
政治家は100分の1で買って「得」したと思った。
意識の中に100分の1の価値を作ってしまった。
だから100分の1しか受け取れない。
絵は変らないのに・・・。
お金を値切って価値を台無しにしたのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」