病がある。
病からの回復がある。
回復の価値がある。
回復の依頼は対価を支払う。
通常はお金で支払う。
対価はお金でなくてもいい。
モノや行為でもいい。
だが等価として支払うから回復がある。
支払いを値切ったら・・・。
何も等価以上に支払う事はない。
もちろん支払ってもかまわない。
それは好みの問題だ。
だが等価以下に値切るのはマズイぞ。
回復が値切られてしまう。
ワシも最初は解らなかった。
無償で治療するのはいい事だと思っていた。
浅い病なら、それでもいい。
ところが深い(複雑な)病は回復しない。
その関係が観えていなかった・・・。
故御師匠様も試した事があった。
難病、奇病の人は経済的にも苦しい。
苦しい人の心が充分感じてしまう。
だから出来る限り安く設定した事があった。
結果は思ったように回復しない。
回復の値段も最適な金額がある事を知った。
病の回復は「双方の思い」の合体波動による。
勝手に安くしては、病い人の為にならないのだ。
ちょっと高いと感じる程度がいいようだ。
意識は安いと「本気」が薄れる癖がある。
複雑な病は「本気」で向かわないと回復しない。
人は「値段」に「価値」の判断をゆだねている。
ここを理解しないと病い人も治療者も迷宮だ。
ワシの尊敬する故関英夫先生からも注意された。
「治療費はキチンといただきなさい。
それは苦しむ病人の為なんだよ」
言われた事を理解するのに数年を要した。
だがワシは不マジメでいいかげんだ。
値切りたいのなら、値切ってもいいと思っている。
その都度、丁寧に解説するのはメンドウだ。
その回復が遅れるだけだ。
いつか気づけばいいや。
「病はいろいろな気づき」を内蔵しているんだぜ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」