「非日常」は生命力を活性する。
活性するが生命は「日常」が舞台だ。
だから「日常」を基本としないと壊れる。
「非日常」世界にいたままでは「生命」は壊れる。
「生命」は活性したままだと「狂う」のだ。
使う場(日常)があるから螺旋状に流れる。
「流れない生命」は壊れる(狂う)。
最初から、そのように仕組まれている。
精神世界(非日常)が本当の舞台だと信じている人達は、
「一見、イキイキ」するとホンモノと勘違いする。
立っている「場」が違っている事に気づかない。
生涯が「イキイキ」ではないのだ。
浅い知恵は持たない方が幸せになれるんだぜ。
「生命」は肉体側に付いているんだ。
「生命即神」だ。
この世(肉体界)の存在理由がここにある。
「非日常」は肉体界から離れる事が多い。
だから勘違いしやすいのだ。
「肉体即神」という事に気づかない。
「非日常」は追いかけるモノではない。
愉しむモノだ。
味わうモノだ。
学ぶモノじゃないぞ。
気づくモノだ。
「気づき」はそれだけでは意味がない。
「日常」に戻って応用して活かされる。
「気づき」が多くても意味がないんだ。
「日常」で活かして、幸せになれる。
そして、それは他の人に押し付けるモノでもない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」