ある気功師・206
第一回の生駒で気功師になってから28年目の今。
まだ生き残っているのは、私がいいかげんだからだ。
生真面目だったら、10年も持たずに死んでいただろう。
あるいは、医療気功は出来ない身体になっていただろう。
実際、私の知っている真面目な気功師達は消えている。
ある意味、故師匠の言いつけを守った。
この気功は自分のものではない。
勘違いしてはだめだ。
病が治せても、自分がしているのではない。
自分が立派になったわけではない。
私は常々、自分を根性無しのいいかげん者と公言している。
アホでスケベなオッサンだと正直に言っている。
謙遜ではなく、そう言う方が楽だからだ。
その正直の褒美として、守られていたようだ。
氣は自分のモノではないが、病の氣を受けるのは自分だ。
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