里山に出掛けた際に、落ち葉を拾い集め、家に持ち帰って、玄関に飾って見ました。
スケッチしながら、「落ち葉」と云えば、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの、かの有名なこの詩が頭に浮かんできます。
落ち葉 ~上田敏訳「海潮音」より~
秋の日のヴィオロンのためいきの ひたぶるに身にしみてうら悲し。
鐘の音に胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日のおもひでや。
げにわれはうらぶれて ここかしこ さだめなくとび散らふ落葉かな。
「落葉」「晩秋」のイメージが、何故かうら悲しい哀愁を帯びているのは、四季のはっきりとしている日本では、とりわけ秋と冬の季節の移ろいのギャップから来るのでしょうか。
この落ち葉も、枝を離れると急速に色を失い、やがて雪の下で腐葉の土となって、春に備えて幼木を育てます。
落ち葉を拾い集めている時、モミジの足元に、10センチにも満たない実生モミジが、赤く葉を付けていました。
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