今日、抱卵によって孵った可愛い「ひよこ」に出会った。
「ひよこ」に触れたのは、私がまだ高校生の頃、何日間も夜を徹して取り組んだ学校の「実習」の時、以来のことだ。
ひよこは、「可愛い」の代名詞のようなもの、思わず掌で包み込んでしまいたくなる。
しかし実際に育てて見ると、雛が孵ってからの数十日間(可愛い盛りの)は、温度管理、食事の世話、病気の心配など、いわゆる「子育て」には、大変な神経を使わなくてはならない。
あの実習の時、「育雛」に四苦八苦した大変な思いを、何十年振りに思い出してしまった。
~子育てについて、私の思うこと~
人間の子育ては、「マニュアルの無い、遠大な仕事」、世のママさん達の御苦労には、頭の下がる思いがする。
私の母は、45の歳に、8人の子供を抱えて父に先立たれ、以来、女手によってよくも育ててくれたものだと、いつも思う。
思い起こすに、母の子育てには、気負いと言うものがなかった様な気がする。
母の苦労話を聞く機会も無かったため、実際にはどうであったのか知る由もないが、今になって思うに、
「子供の話をよく聞いてやる」 「怒らず言って聞かせる」 「自分で考えさせる」
「親の物指しで過大な要求をしない」 「子供のあるがままに、伸び伸びと育てる」
そんな、子育ての要諦があった様に思える。
人間は病に罹った時、自然治癒力を発揮して、自ら治す力を持つように、子供も成長の過程で直面する様々な難題に対して、自分で考え、切り開いて生きて行く力を備えているもので、一つ一つ乗り越えながら、人として一歩一歩成長して行くもの。
親は、子供が人生における大局を見誤らない様に、愛情をもって暖かく見守り、必要な時に必要な導きをしてやる。
その位のスタンスで、あまり神経質に考えないで、「子育て」を楽しむことが、親も子も伸び伸びとして、いいのではないか、、、、
先年、103歳の天寿を全うして逝った母の姿を振り返して、「この歳になって、男の私が思うことである」