~映画『寒椿』の南野陽子を顔にいっぱい光を当てて描いた見ました~
パソコンの「Dビデオ」なるものを娘に教えてもらい、その中から映画『寒椿』が面白そうであったため、時間
潰しに観てみました。(1992年公開)
いわゆるパソコン映画ですが、スクリーンが小さい分、映像は飛び切りきれいで、この映画の監督、降旗映
像ワールドを見られただけでも、一見の価値はありました。
「昭和初期の高知、花街で、人の心が分かる女衒(ぜげん)として知られた富田岩伍(西田敏行)がいた。
元は任侠の世界に生きた男、堅気の女と結婚するためきっぱりとやくざな世界から足を洗い、女衒(ぜげん)
となったが、女を売り買いする岩伍の家業に馴染めず、妻の喜和は家を去ってしまう。
岩伍のもとには、ひとり息子の健太郎が残される。
多感な少年健太郎は、女衒の父親への反発と、父としての一種の共感の中で父親を見つめ育っていく。
そんなある日、父親の博打の借金のカタに、高知で初のバスガイドといわれる貞子(南野陽子)が、愚
にもつかない父親に連れられ、売られてきた。
普通であれば即、女郎という苦界に身を落とすことになりかねない貞子だったが、高知一の料亭・陽暉
楼の主人が、白楽天の牡丹を詠んだ詩 「花開き、花落つ二十日、一城の人皆狂せるがごとし」 を引用
し、この子が笑えば人が皆心奪われると、芸妓(女郎より格段ましな)として仕込まれることになる。・・・陽
暉楼の主人より「牡丹」の源氏名を与えられ、貞子は一躍売れっ子になって行く・・・色街で様々な男達
が、色と欲の世界に牡丹を引き込んで行くのだが・・・
牡丹の心は、無情な親に売られた自分に優しく接してくれた人「岩伍」を一貫して思い慕っているのだっ
た。
そんな折、高知で平民選挙が行われることとなり、牡丹は政治対立の場に否応なく巻き込まれて行く・・
・そして牡丹のその後の運命を大きく狂わせてしまうのだが・・・・」
高知・花街を舞台に繰り広げられる、男と女が織りなす”愛と侠気の世界”を描いた、宮尾登美子原作
の世界を映画化したものであるが、「鬼龍院花子の生涯」「陽暉楼」「序の舞」など一連の宮尾ワールド
の連作の中の作品である。
作品の芸術性はともかく、映画は、観る側の人々がそれぞれにどこにどう感動したかであると思う当方
には、これは、これで・・・
愛には様々な形があるが、本物の『愛』とは何んなのだろうか? と考えさせてくれる映画ではなかった
だろうかと思う。
劇中、倍賞千恵子の「寒椿」が流れているが、この歌がこの映画をよく物語っている・・・・・・
真っ赤な花が 点々と 雪路 染めていく 泣きたいことがある 夜は 小指の骨をかむ
咲いて見れば 力ずくで 散らされるの 寒の椿 痛い、つらい、ひどい、寒い でもあの日に比べたなら
ほとばしる紅い血で 浄めたいのそっと うっすら透ける 静脈に 女の意地がある
あなただけを憶えてて 手のひらで 震えてた私を 抱かれながら 嘘と本音 嗅ぎわけている 春の嵐
・・・・・・・・・
~今日も良い一日であります様に~
ちょっとちょっと、私にもおやつ頂戴ヨ
~ジルベール・ベコーのそして今は~