時代と共に、歌は世につれ世は歌につれ、「永遠の歌姫」と呼ぶにふさわし
い『美空ひばり』、52歳と言う若さで早世してから、もう27年が経ちます。
しかし彼女が残した数々の歌は、今も多くの人に愛唱され、永遠に歌い継
がれて行くことでしょう。
生涯で1500曲余を世に出したと言うから、まさに歌うために生まれ、歌に
命をかけた人生であったと、言えるではないでしょうか。
昭和も戦後の混乱期から、戦後の夢の復興、高度成長期、そして近代化
された現代へと、ひばりの歌は、人々の喜びにも悲しみにも、そっと寄り添
い続けてきました。
美空ひばりの名曲は古くは、「悲しき口笛」「リンゴ追分」比較的新しいとこ
ろでは「川の流のように」「愛燦燦」など数々ありますが、好きな一曲、それ
は「みだれ髪」です。
故星野哲郎の作詞(船村徹作曲)、この歌の歌詞に出てくる、一つ一つの言
葉がとても美しく切なく、情感に溢れており素晴らしいと思います。
例えば
投げて届かぬ想いの糸が・・・
~「糸」とは、琴の弦の意、想いの糸を投
げたが届かず、風に押し返されて、我が身に絡みなおさら辛い・・・
春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋・・・
「二重・・・三重・・・」
の詩は、万葉の歌人、大友家持の歌
~一重(ひとえ)のみ 妹(いも)が結びし 帯をすら三重(みえ) に結ふべく
我(あ)が身はなりぬ~からの着想したと言われています。
昭和60年代の初頭頃、美空ひばり肉親の度重なる不幸や、我が身の病と
の闘いの中にあり、これを何とか勇気付けようと、周囲が新曲企画を思い
立ち、この曲が出来上がったそうである。
作詞の星野哲郎は、「みだれ髪」の曲作りにあたって、福島県・いわき市・
塩矢崎を訪れ、ひとり夕暮れの波打ち際を歩き続けていると、暗い海に一
筋の光が投げかけられていた。
崖の上を見上げると、灯台が毅然として立っていた。
それは美空ひばり、そのものであった。
心はいつも孤独であるのに、人々に向かって歌と言う光を送り続けなくては
ならない。
灯台にひばりの姿を投影し、「そうだ、ひばり自身が海に向かってひたすら
男を待ち続ける悲しい女にしよう・・・」との発想から、次々にイメージが湧き
出来上がった詩であったとか。(みだれ髪誕生秘話:参照)
福島県・いわき市の塩矢崎には、「みだれ髪」の歌碑やひばりの遺影碑が
あって、今もこの地を訪れるファンが多い様そうである。この二重三重春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋 げて届かぬ想いの投♪髪のみだれに手をやれば~ (美空ひばり)げて投げて届かぬ糸投げて届かぬ想いの糸がが
投げて届かぬ想いの糸が