天気晴朗なれど波高し
〇〇年2月25日
今日の日記の冒頭には、何故か・・・「てんとう虫」テントウムシ(天道虫)の名の由来は太陽に向かって飛んで行くことから、太陽神の天道から名付けられた。]と書いていた。 多分、これは昨夜消灯前に見ていたTVでやっていたのか、あるいは昼間売店で買って来た雑誌に載っていたことから、メモしたのだろう思う。(多分今回の入院に際しての、前向きな気持ちの表れだったのかもしれない。) さて、今日は手術に備えての肺活量を高めるために器具を使っての負荷を掛けた、呼吸法の訓練を自発的に繰り返し繰り返し行った。 また術前のCT検査と大腸の内視鏡検査を行ったのだが。。。。 内視鏡検査は何とかクリアー出来たものの、CT検査の造影剤注射を受けた検査を受けた直後に、今まで何回もCTは受けてきて一度も起こらなかった症状が出て来た。 目眩で倒れそうになり、呼吸がゼーゼーと息苦しくなる(呼吸困難)など、アナフィラキシーショックが起こったのだ。 このため点滴を受けるなど緊急処置を受ける事となってしまった。(そう言えば、事前承諾書に、こうした症状が出る確率、その際の緊急処置体制などについて、記されていた様に思う。) やっと症状が安定したところで部屋に戻り、少しベッドで横になる。 目覚めると隣のベッドの人が部屋を移ったのか、新たに30代の若い人と入れ替わっていた。 夕方になってから、また昨日と同じ肺活量を高める訓練を繰り返し行う。(手術中の呼吸を確保する為の訓練の様だ。) 隣のベッドの患者さんは、聞けばすぐ近くの板橋区内に実家があって、この病院には子供の頃よく遊びに来ていたと言う。 大病を患いまさか入院することになろうとは夢にも思わなかったと言う。 それはそうでしょうまだ若いから、「何故俺が。。。」と、がんと宣告された時には、大きな衝撃を受けたに違いないと思う。 消灯になって暫くすると、隣の若者のベットからすすり泣く声が漏れて来る。 癌は「早期発見」とは云うものの、この若さでの宣告はとても辛いのだろう。 そう思うと私はなんとラッキーな人間なのだろうと思う。 私の肝炎から肝がんに移行する確率は約10~15パーセント程度なので不運と言えば不運だが、反面、幸運なことには発見時手術可能率は15パーセント、その中の一人なのだから。(B型慢性肝炎から肝がんに移行) 思うに私のラッキーセブンは、文字通り「7」のつく日だと思った。 と言うのは、第1回目の手術は六年前の3月27日(がんの発見が2月17日)、そして今回の手術の予定日が2月27日で、すべて7の数字が付いている。 中でも肝臓は、「沈黙の臓器」と言われ、自覚症状が出ないため知らない間に、どんどん病状は進行し、手術可能率は15パーセント代だとの統計がある。 今回手術が出来ると言うことは、これもラッキーなことではないか。(がんは早期発見がその後に治療に大きな影響を与えるから、年に一度の健康診断は絶対にしなくてはならないと、私は周囲の人に常日頃から言っている。) 今夜はすっかり眼が冴えて、取り留めもない様な事に想いを巡らせながら。。。いつの間にか眠りにおちていた。
〇〇年2月26日
いよいよ手術の前日、朝から家内が病院に来る。(慣れない東京で、私の付き添いで一人マンション暮らしをしながらあまり、外歩きはしないと言う。そんな中での連日の病院通いは相当なストレスもあると思うが、毎日洗濯物を入れ替え、同室の方と明るく雑談をして帰って行く。) この日は検査もなく、ゆったりとした一日を過ごす。 私の看護にあたってくれた看護師さんは、高度な看護資格を持った人で、手術前日の各種処置をテキパキと行ってくれた。 (最初の手術の時に看護してくれたK看護師さんとは同期で親友、しかも同じ資格者だと言う。 Kさんは求められて今は他院に異動になった様である。) 今日は時間的な余裕もあって、同室の人達とのコミュニケーションが思う存分図れ名刺交換までした。 いずれも東京や首都圏域の方で、同室の好で、今後の交流を約束したりした。 手術を明朝に控えていると言うのに不安感は無く、昨夜、就寝が遅くなったせいか、夜は消灯と共にぐっすりと眠ることが出来た。
~続く~
山口百恵~さよならの向こう側
宇崎竜童~夜霧のブルース