タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 ~闘病の記 NO3~

2018-06-21 | 風景



〇〇年2月27日
「いよいよその日の朝が来た。」と言う心境、いつも通り看護師さんの巡回検診・測定があるためと言う事もあって、午前4時半と、いつもよりは少し目覚めは早かったが、精神的な不安は微塵も感じなかった。 それは今回が二回目の手術であり、この病院の門を潜った時に、手術への期待と覚悟は、既に固まっていたからなのだ。 ただ一つ前回の時に比べたら体力そのものが落ちている事は事実、そのことに対する危惧であった。 ただ家族をはじめ心配してくれている皆の応援や期待にだけは、立派に応えたいと言う思い一つである。 鎮静剤❓を注射した後、ストレッチャーに乗せられて(歩いて行けるのに。。。)8時45分、入り口で家内や長男に「頑張って」と見送られながら第8号手術室に入る。 麻酔をかける前に脊椎に注射をされたが無痛であった。 担当看護師と簡単なコミニュケーションを図ったのだが、マスクをされるとその内に麻酔が効いて来たのか、麻酔医と一言二言話す内に、宇宙に溶け込む様な心地よい感覚で、眠りにに落ちて行った様に思う。。。。。 DRに声を掛けられて目覚め、手術室の壁の時計を見上げると、午後5時丁度であった。(手術は正味8時間はかかった事になる。) 「手術は成功しました。 ただ前回手術の後の癒着がひどくて、これの処置に少々時間が掛かりました。」とのことであった。 当然の事ではあるが手術中痛みは一切感じることはなかった。 そのままナースセンターの隣の集中治療室に移され、喉がカラカラで水を飲みたかったが、唇を濡らす程度で徐々にと言うことであった。 当夜は麻酔が切れたばかりなので、とにかくひたすら激痛に耐える長い長い夜となった。 時々、痛み止めの薬を注入してもらい(脊椎にあらかじめ注入するための管が取り付けられているので)、更に朝方になってから睡眠導入剤によって、うとうとと2時間ばかり眠ることが出来た。 この夜の激痛はこれまでに経験したことのない痛さであったが、後から考えると今回の入院での痛さのピークであった様な気がする。 (仕事とは言え、担当の例の看護師さんの至れり尽くせりのサポートにはただただ感謝感謝あるのみだ。)
〇〇年2月28日
手術から一夜が明けても、体を少しでも動かしただけで傷口に激痛が走る。 なのにである昼前になって、術後初めての自力歩行による体重測定を指示された。(これは一回目の手術の時もそうであったが、手術の翌日から活動と休息のバランスをとり、早期歩行(リハビリ)は、筋力・歩行能力・呼吸機能・心肺機能などを高めるためにも、極めて重要な事であるのだそうだ。) しかしたった往復20メートルほどの、短い距離であるが正直言って、これは痛い。 それはそうでしょう、昨日40センチほども開腹して、ホッチキスで止めてあるだけなんですから。 午後一番に車椅子で階下に降りてレントゲン撮影をして、その足で元の大部屋に帰る。 部屋の皆が「お~、帰って来たね。 ご苦労様」と迎え入れられた時には、正直ホッとした。 当日は体中4~5本ほどの管で繋がれたたまま、トイレまでの往復40メートルを、痛みに耐えながら自力歩行(リハビリ)で1回行った。 夜に入ると周期的に激痛に襲われ、その度に脊椎の管から痛み止めを注入してもらう。 痛み止めも長時間にわたって効くわけではなく、この夜も痛みに耐えながら朝方になって導入剤によって、2~3時間うとうとしただけであった。 思うに確かにこの痛さは尋常なものではないが、痛みを感じると言う事は、やがてこの痛みもなくなると言う事の証、ならば耐えましょう。(と記している。)
~まだまだつづくよ~ 









ジュリー・ロンドン~この世の果てまで