タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

朝もやを、ついて出て行く、シジミ船。

2011-12-16 | 風景

 今朝も、朝もやを突いてシジミ採りの船が、小港を出てゆきます。

 宍道湖の一角を今日の魚場に定め、沢山のシジミ船が朝の陽を受けて、弧を描きながら鋤簾(ジョレン)を引く光景は、宍道湖の風物詩になっています。

 昔は、松江の城下に、このシジミを売り歩く、売り人の声が流れていたものでしょうね。

 松江観光に来られた方人は、宴会の後や、朝の食事に必ずと言っていいほど、「シジミ汁」が出されるのでこの大和シジミを飲まれたことがあると思います。

 シジミ汁は肝臓に良いようで、宴会後に一杯飲んでおくと、朝の目覚めがいいですよ。

 宍道湖では他に、一頃、漁獲量の減少が心配されていた「シラウオ」も、年々漁獲が少しづつ戻り、今年は「豊漁」との、吉報も届いています。

 宍道湖七珍の漁獲量が、徐々に回復の兆しを示しているのは、関係者の地道な努力と、水温が以前に比べ若干下がって来ているための様で、これも嬉しい知らせの一つです。

 宍道湖七珍は、七種揃ってこそ七珍。

 シラウオの、「卵とじ」「澄まし汁」も、美味しいですよ。

  

 


ぜんざいを、美味しく食べて、お昼抜き。

2011-12-15 | 風景

 今日は、ぜんざいを作って食べました。

 お酒を止めてからすっかり甘党になり、お医者さんから「糖分は控え目にする様に」と言われていましたが、ぜんざいの甘い誘惑に負けて、「美味しく」食べてしまいました。

 ぜんざいも、自分の家で作る分には、お餅を好きに入れられるので、量的にもついつい沢山食べてしまいます。

 ぜんざい発祥の出雲の生まれですので、「昔からよく食べており、仕方ないか?」等と、言い訳したりしていますが、結局は、「禁」を破ったため、ペナルティーとしてお昼ご飯はお預けとなりました。

 何でも決められたことを破ることの、代償は高くつきますね。

 

 

 

 

小さくても、元気一杯、クロメダカ。

2011-12-14 | 風景

 居間の水槽には、ヒブナ、出雲なんきん、そして今は、三代目のメダカが住んでいます。

 以前は玄関先で金魚とメダカを一緒に飼っていましたが、メダカを水槽に入れて何日かすると、姿が見えなくなり不思議に思っていたのですが、犯人は金魚(食べていました。~一緒に入れるのが悪い)と分かり、それ以来、メダカはメダカどうし、「クロメダカ」と「ヒメダカ」の2種類が仲良く共存しています。

 「めだかの学校は、川のなか、そっとのぞいてみてごらん、みんなでおゆうぎしているよ、、、」と口ずさみながら妻が10年近くも世話をしています。

 最近は、他所でお荷物になったメダカの、駆け込み寺になっている感がします。

 メダカの呼び名は、日本全国で4000余りもあるとか?それだけ昔から我々の生活に密着してきた、魚とも言えるようです。

 最近は交配によって様々なメダカが生まれ、観賞用に綺麗なメダカもいるようですが、我が家は現在の住人、クロメダカとヒメダカの2種類で満足しています。

 クロメダカは絶滅危惧種に指定されている様ですので、せいぜい、ふ化によって数を増やして、元の小川に戻してやれたらと思っています。

「メダカの学校のメダカたち、だーれが生徒か先生か、だーれが生徒か先生か、みんなでげんきにあそんでる」、、、いいですね。

 ホッとします。

 

 

 

 

 


バイカモの、白い花咲く、自然水。

2011-12-12 | 風景

 我が家の「生命の源」は、自然水を使っています。

 名水と云っても、全国的なバランスも考慮された「名水100選」もあれば、谷川の水等、あまた有りますが、私が、時々汲みに行くのは「これぞ名水、ほんとうに美味しい」、お勧めの国立公園・大山の麓に湧き出る泉です。

 「真名井の泉」と「本宮の泉」の水です。

 昔から地域の生活に深く根差し、代々、地域の人に大切に守られてきた水で、水車が回り、春にはバイカモの白い可憐な花が水中に咲き、ニジマスが泳いでいて、そこの空気に触れるだけで、心の中まできれいに洗い流される様な気がします。

 そもそも、「バイカモ(水草)の花が咲く泉」と云うだけで、「きれいで美味しい」と言える自然水では無いでしょうか。

 名水100選かどうかは別にしても、昔はどこの田舎の村でも、深い山の裾野に湧き出る泉は、ほとんどが飲料に利用され、地域の貴重な生活用水となっていたものです。

 だから、全国には隠れた名水はまだまだ沢山あります。

 この水を使って作る、料理、ご飯、お茶、珈琲いずれも、どこか一味違う気がします。

 毎日口にする、水・塩・野菜等には、これからもこだわってゆきたいと思います。

 

 

 


ワカサギや、しらうお、シジミ、何処行った。

2011-12-12 | 風景

「宍道湖七珍」の一つ、ワカサギ釣りの季節です。(出雲地方ではアマサギとも言います)

 昔は、自分で釣ってきたものを食卓に載せていましたが、先日、思い出した様に霙の降る中を、出掛けてみましたが全く釣れず、これは内緒でお店に立ち寄って買ってきたワカサギです。

 お店の人の話では、10数年前の猛暑の年に、ワカサギが大量死して以来、資源回復がままならず、関係者の間では、宍道湖のワカサギも「幻の魚」になるのではないかと心配されているとのこと。

 宍道湖は、ワカサギ生息南限にあたり、地球温暖化の影響?による水温の上昇が、資源回復を阻んでいるのではないか、とも言われているようです。

 ワカサギ・バンク(ため池)による、ふ化・放流努力もされている様ですが、これもなかなか大変。

 宍道湖では、他にも全国一の生産量を誇るシジミの、個体数も激減しており漁獲制限中、またシラウオも、最近ではあまり姿が見られなくなりました。

 こうして見ると、とりわけ小さな生物にとっては、生息環境の少しの変化でも(温暖化)、まさに死活問題となっている感がします。

 今回のワカサギ釣りは、自然保護の大切さを、身をもって感じる大きな釣果となった次第です。

 我々人一人が、自分でできる環境保護について、考え実践することが大切ですね。

 アマサギの「玉子とじ」「てんぷら」、昔から親しんできた味で、美味しいですね。

 


モクズガニ、私が蟹の、王様だ。

2011-12-11 | 風景

 モクズガニは、松葉ガニ等の人気蟹の陰に隠れて、目立ちませんが、とても美味しい蟹です。

 蟹の季節到来、スターは何と言っても松葉ガニやベニズワイガニ、蟹に目がないご婦人達のグルメな旅まで企画されて、今、境港などの漁獲地周辺は大変な賑わいの様です。

 しかし、何か忘れていませんか。

 当地では、モクズガニともツガニとも呼ばれ、昔からよく食べられているこの蟹は、一部食通の間では、「〇〇蟹よりも美味い」と言われているほどで、特に濃厚なカニ味噌の部分は格別美味。

 田舎育ちの私は、子供の頃、近くの小川で捕まえてきて、母に茹でてもらったり、蟹御飯を焚いて食べてきた味です。

 この蟹は、川魚(甲殻)の一つで、風貌も手足には剛毛?が生え、ハサミの迫力も大変なもので、「蟹の中では俺様が一番だ。 そもそもこの川の主は俺だ。」と、言わんばかりの威厳さえ漂っています。(大海知らず?)

 しかしボイルすると、蟹ほど美味しいそうな赤色に変化する食物も、少ないとは思いませんか。

 山陰地方では、日本一の清流「高津川」で多く水揚げされますが、今年は残念ながら、もう時期的に終いに近くなってしまいました。

 


ヤマノイモ、食べて元気で、冬越そう。

2011-12-10 | 風景

今が自然薯(ヤマイモ)堀の一番いい時期、山に入れば何処にでも生えていますよ。

芋蔓(ツル)に、黄色い葉っぱとムカゴ(丸い小さな芋)が付いているからすぐ分かります。

 ただ、掘る時期が遅れると、黄色い葉とムカゴが下に落ち、ツルも無くなってしまい、ツルを辿って掘ることが出来くなるので、昔の人は、ツルの根元に麦の種を播き、発芽した麦の芽を目印にして、春を待って掘ったりしていた様です。 (頭がいい)

 自然薯は山菜の王様と言われ、古くから滋養強壮食の「とろろ汁」として親しまれています。

 この芋は、他に類を見ないほどに粘りが強く、良質の澱粉、アミラーゼ酵素など、食べた物を速やかに消化吸収する作用が強く、ミネラル、ビタミン等も豊富で、疲労回復、成人病、や糖尿病の予防にも効果があると言われています。

  最近では、神経伝達に関係するドーパミン調整や、ホルモンバランスの調整に働く、自然薯固有の物質が見つかり、その効能が期待されているそうです。

 生えている場所によっては、土が固く芋がクネクネと曲がって、掘りにくい事もあるため、幅の狭い鍬や鉄の掻き棒など準備したほうが良いでしょう。

 掘り起こした穴は、元に戻しておきましょう。

 とても美味しく、「とろろ汁」を食べて寒さを吹き飛ばし、この冬を元気一杯で越しましょう。

 

 

 


サザンカと、椿が並んで、咲き競い。

2011-12-09 | 風景

 今年は例年より暖かいためか、庭の椿がもう咲き始めました。

 昨年より咲くのが1月以上も早く、長く楽しめて良いのですが、今年はまだ霜も降っておらず、この冬の雪の下を越えるのも、大変だろうと余計な心配をしています。

 私は椿の中でも、極くシンプルなヤブ椿と、逆に派手な赤白の斑入りの椿が好きで、庭に2本も植えて、何回も日本画のモチーフとして取り上げてきた花です。

 ヤブ椿も、あちこちの山で咲き初めましたが、松江で椿の名所と云えば、松江城公園の一角にある、「椿谷」と云う場所が一番です。   

 文字通りここには色々な椿が群生しており、伝えによると、松江城主不昧公(松平治郷)が、椿油を藩財政の足しにと栽培していたとか、茶の湯の花として蒐集場としていたとか、そんな歴史もあって、全国の椿愛好家の間では、知る人ぞ知る、日本三大ヤブ椿群(宮崎県、千葉県と並び)の一つと云われているそうです。

 これから春に向けて、椿谷では椿の花と梅の花が、共演する時期があり二倍楽しめます。

 

 


It lives usually at any time

2011-12-08 | 風景

 ある日の昼下がり、何処にでもある街中の広場の、一コマです。

 駅北口、緑の時計塔のある広場、周りのビルに囲まれて風もなく、小春日和の暖かさ、今日もまた東の空から陽が昇り、広場の時計はいつもの様に静かに時を刻み、師走の街では、ビジネス・買い物・犬の散歩・散策など、人それぞれに思い思いの営みがあります。

 かく言う私も、広場のベンチで道行く人をぼんやり眺めている、誰が見ても一見幸せなひと時です。

 こんな日常的な風景の中で、人々の苦難など欠片も見られず、何も無かったように、微笑さえ浮かべています。

 こんな時私は、「今を生かされている、その事に至上の喜びを感じ」一日一日を大切に生きなくてはなくてはならないのだと、改めて思いました。

 人は「どのような時でも、普通に生きる」(It lives usually at any time)、そしてそのことの大切さと難しさを思い、心に誓う午後のひと時となりました。

 

 


五本松、白亜の灯台、石畳。

2011-12-07 | 風景

 美保関の青石畳通りは好きな場所の一つで、私は年に数回足を運びます。

 島根半島の東に位置し、出雲御三社の一つ「美保関神社」を抱え、関の五本松で有名な漁師町で、この神社は「福の神」えびすさんの全国総本社と言われています。

 皆さんも、お参りされると、何か良い事が有るかもしれませんよ。

 美保関神社から仏谷寺に向かう、青味がかった擦り減った「石畳通り」は、大正からの歴史を刻む旅館、老舗が立ち並び、通りで売られているイカの一夜干し、サザエの壺焼き等を頬張りながら、古き良き時代を偲びながらのレトロな散策ができ、都会からの観光客の姿も時々見掛けられます。

 この美保関では、他ではなかなか味わえない、もう一つの景色に出会えます。

 それは島根半島の最東端、真っ青な海から垂直に80メートル近くも競り上がった場所に建つ、世界最古の白亜の灯台「美保関灯台」です。(世界歴史的灯台100選の一つ)

 灯台建屋を利用したレストランで、沖行く船を眺めながらのロマンチックな珈琲タイムは、私にとって年に1~2度訪れる、至福の時でもあります。

 若い人のデートコースとしても、世界100選に入るのでは?

 

 


落葉を、拾い集めて、しのぶ秋。

2011-12-06 | 風景

 里山に出掛けた際に、落ち葉を拾い集め、家に持ち帰って、玄関に飾って見ました。

 スケッチしながら、「落ち葉」と云えば、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの、かの有名なこの詩が頭に浮かんできます。

  落ち葉  ~上田敏訳「海潮音」より~

秋の日のヴィオロンのためいきの ひたぶるに身にしみてうら悲し。

鐘の音に胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日のおもひでや。

げにわれはうらぶれて ここかしこ さだめなくとび散らふ落葉かな。 

 「落葉」「晩秋」のイメージが、何故かうら悲しい哀愁を帯びているのは、四季のはっきりとしている日本では、とりわけ秋と冬の季節の移ろいのギャップから来るのでしょうか。

 この落ち葉も、枝を離れると急速に色を失い、やがて雪の下で腐葉の土となって、春に備えて幼木を育てます。

 落ち葉を拾い集めている時、モミジの足元に、10センチにも満たない実生モミジが、赤く葉を付けていました。 

 

 

 

 

 



 

さざんかの、香り漂う、街の角。

2011-12-05 | 風景

 晩秋から北風吹く雪の季節にかけて、「山茶花」の花が街のあちこちに咲き、顔を近づけると良い香りがします。

 山茶花の花は、今では庭木や街路樹、生垣として、意外に沢山植えられており、今日も散歩の途中、民家の塀越しに赤や白の花が咲いているのを、数箇所で見掛けました。

 彩りの少なくなった街を、しばらくの間、華やがせてくれる花です。

 山茶花と云えば、童謡「たき火」で、「さざんか、さざんか、咲いた道、、、」と繰り返される歌詞を、小学校の頃、童謡(唱歌)として歌った事を思い出します。

 この歌が初めて謳われたのが、昭和16年、「日米開戦」の年と云われますから、私達が歌ったのは、もう60年近くも前のことになります。

 山茶花の花は、外見の優しさとは違い、寒さに抗うように雪を被りながらも、健気に咲くシンの強い花です。

 日一日と寒さが肌身に凍みる季節になってきましたが、我々も、寒さに負けない様に健康に気を付けて頑張りましょう。

 ~暖かい春は必ずやってきます。~ 


 

 


柚子をむく、香りが部屋に、立ちこめて。

2011-12-04 | 風景

「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿13年」、実が生るまでには、それだけの時間がかかるとの例えです。

 我が家の柚子は、例えよりは少し早く、植えてから9年目頃から生りだし、豊作不作を繰り返していますが、今年は大当たりの年のようです。

 当たり年には、あちこちにお分けしたりしますが、「ゆず味噌釜」と「柚子の甘辛煮」は定番として作り、甘辛煮は量を作って、冷蔵庫で半年以上も長期保存が効きますので、ご飯のおかずやお茶うけとしても重宝しています。

 参考までに、「甘辛煮」は、柚子の薄皮(黄色い部分)を包丁で剥ぎ(種は取り除く)、煮込んでも歯応えの残る程度の大きさ(1×3㎝位)に実と共に刻み、これを鍋に入れて、水適量、砂糖適量、酒少々、醤油少々(男料理ですの大雑把です、、、悪しからず、、、)を加え、初め中火、後弱火でグツグツと混ぜながら煮込み(糖分が多く混ぜないと焦げ付きます)時々、味見しながら好みの味に仕上げて行きます。

 これも我が家では、長年に渡って親しんでいる「おふくろの味」のつもりですが、私の大雑把な作り方で、だんだん「おやじの味」に変化してきているのかも分かりません。

 

 

 


空腹の、様子を見ながら、てんこ盛り。

2011-12-03 | 風景

 朝は、パン食で活動をスタートしています。

 食べたい物を食べたいだけ食べるスタイルの食生活を長年続けてきましたが、3年前の病気を切っ掛けに、自分達が食べる物は、自分で管理すると云うスタイルに、食生活が変わって来ました。

 朝は、食パンと果物をベースに、オムレツ、野菜サラダ、豆、芋類にヨーグルト等を組み合わせたものを、ゆっくりと時間をかけて食べるようにしています。

 中でも拘りは、自家製の「食パン」と「野菜」です。

 自分で作ったものを、自らテーブルに載せるということで「身体に良いもの」が選択できます。

 食パンは、幾通りものネット・レシピを参考にして、何回も失敗を重ねながら、「これなら良いだろう」と云う焼き方を身体で覚え、今では自家製以外は食べられなくなってきているほどです。

 生クリームから、自分でフレッシュ・バターを作り、使っていますがこれが味の決め手になっています。

また庭先の小さな菜園で、計画的に数種類の野菜を栽培し、自分で食卓に上げる楽しみもあります。

 自分の身の丈に合った、しかも身近で、手頃な目標を持つことも、元気や勇気のもとになる様な気がします。

 

 


ななかまど、落葉すると、雪が舞う。

2011-12-02 | 風景

山野の一角を、「ナナカマド」が赤く染め上げています。

「ナナカマド」と云えば、卒業(定年)記念旅行で妻と訪れた、北海道函館市の街路樹として植えられており、その赤い並木が強く印象に残っています。(北海道・東北地方では、市(町)木としている自治体も多いようですね)

 ここ中国地方では、ナナカマドは今、木全体が燃えるように赤く色付きとても綺麗です。

 名前がちょっと変わっていることから、昔はどこの台所にもあった「竈・かまど」と関わりがあるのか、どうかと考える人もあると思うのですが、私の記憶では、この木は幹の部分が非常に固く、七度「竈・かまど」に入れても燃えないことかに由来するとか、やはり「竈・かまど」に関係がありました。

 若者たちが今は見られなくなった、「竈・かまど」を知らないのは無理のない事としても、ただ今、現在この自然界で共存する、草花・樹木・魚・虫・鳥獣等の名前は元より、見たこともないと云う人が増えてきているのはとても残念なことです。

自然保護の原点は、そこからだと思うのですが。

 ちなみに、「ナナカマド」は、果実酒にしたり、「備長炭」の原木としても使われ、炭で炭を打つと、「キーン、コーン、カーン」と澄んだ金属音がします。

 「ナナカマド」の赤い葉が落ちると、残った赤い実を野鳥達が啄み、やがて雪がチラチラと舞う冬がやってきます。