■2016.07.16 梅雨明け10日がこの連休に重なることを期待しつつ準備をしたが天には逆らえず先延ばしとした。
でこの連休は山、テニス、ドライブとし初日は近場の伊吹山へ昨年に引き続き下山後は「ヤマトタケル」の足跡を追うことに。
昨年の記録は→荒ぶる神の住む伊吹山と醒ヶ井の梅花藻
自宅を5時に出発し下道のみで7時過ぎに到着。
伊吹山で一番安い駐車場(200円)も6割程度でこの時期にしては少ない。
7:15分 入山料300円と引換えに登山MAPを受け取り登り始める。
3合目のユウスゲは今が盛りだ。
この時期は灼熱の伊吹山登山道となるが今日は風が涼しく意外に快適。
天候は△だが空気自体は澄んでおり琵琶湖も見える。
5合目を過ぎ避難小屋に到着。
トレランの練習者も多い。
登山道のイブキジャコウソウ
行道岩・平等岩
ここで円空が修行をした。他に伊吹山で修業をした僧侶には槍ヶ岳開山の播隆などがおり
ここで修業した僧侶を「伊吹山の行道岩僧」と言う。
山頂部のキンバイソウ
手軽な伊吹山は人気の山です。
それでも登山口からの標高差は1200m近くありトレーニングには最適です。
私も山足のチェックに訪れています。
※伊吹山寺
仁寿年間(851~854)に三修上人が開いたお寺。
伊吹山について『古事記』・『日本書紀』の中に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山の神を鎮定しようとしたところ、その化身である大蛇が現れ大氷雨を降らせ、これがもとで日本武尊が亡くなったと記されています。また、史料には役行者が修行した、行基菩薩が行座したという記述もあります。
山号:大乗峰、本尊:薬師如来
古事記では大蛇でなく白い猪です。左側に小さく「伊吹山山頂の荒ぶる神」
ヤマトタケル様
お久し振りです。
遊歩道を散策し山頂で軽く食事。
花は昨年より意外に遅めでシモツケソウなどは蕾です。
食後は一気に下山。
約6時間の山遊びでした。
登山口の近くにある「ケカチの水」へ
草の味のする冷たい湧水です。
ヤマトタケル
東征の帰路、草那芸剣を美夜受比売に預けたまま、伊吹山の神を素手で討ち取ろうと出立するが伊吹の荒ぶる神に負けい深手を負う。(→荒ぶる神:白猪)(→3合目のヤマトタケル遭難の碑)
深手を負ったヤマトタケルは湧水で少し体力を回復する(→ケカチの水、→醒ヶ井の湧水)
伊吹の荒ぶる神に深手を負ったヤマトタケルは大和を目指すが、
「足がたぎたぎしく成りぬ」と言ったことで当芸野(たぎの)という地名がついたとされる。
※当芸野(たぎの):岐阜県養老郡養老町)
『記紀』の神話の中で、ヤマトタケルが東征の途中で刀を置き忘れた尾津前に東国平定の帰途ふたたびを訪れたヤマトタケルが、忘れた刀がまだ残されているのを見つけ、感激し、
「尾張に 直に向へる 一つ松 あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを」(日本書紀)と詠んだとされています。
尾津前の地が伝えられる3箇所の論社(式内社の候補社)を訪ねる。
①尾津神社(戸津)
ヤマトタケルに関する由緒書きなどは見当たらなかった。
②尾津神社(小山)
③尾津神社(御衣野)→草薙神社とも言う。
刀を置いた松らしい。
まだ鈴鹿や亀山方面にヤマトタケルの足跡はあるが今回はここまで。
帰路は渋滞に嵌まり18時頃の帰還となった。
でこの連休は山、テニス、ドライブとし初日は近場の伊吹山へ昨年に引き続き下山後は「ヤマトタケル」の足跡を追うことに。
昨年の記録は→荒ぶる神の住む伊吹山と醒ヶ井の梅花藻
自宅を5時に出発し下道のみで7時過ぎに到着。
伊吹山で一番安い駐車場(200円)も6割程度でこの時期にしては少ない。
7:15分 入山料300円と引換えに登山MAPを受け取り登り始める。
3合目のユウスゲは今が盛りだ。
この時期は灼熱の伊吹山登山道となるが今日は風が涼しく意外に快適。
天候は△だが空気自体は澄んでおり琵琶湖も見える。
5合目を過ぎ避難小屋に到着。
トレランの練習者も多い。
登山道のイブキジャコウソウ
行道岩・平等岩
ここで円空が修行をした。他に伊吹山で修業をした僧侶には槍ヶ岳開山の播隆などがおり
ここで修業した僧侶を「伊吹山の行道岩僧」と言う。
山頂部のキンバイソウ
手軽な伊吹山は人気の山です。
それでも登山口からの標高差は1200m近くありトレーニングには最適です。
私も山足のチェックに訪れています。
※伊吹山寺
仁寿年間(851~854)に三修上人が開いたお寺。
伊吹山について『古事記』・『日本書紀』の中に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山の神を鎮定しようとしたところ、その化身である大蛇が現れ大氷雨を降らせ、これがもとで日本武尊が亡くなったと記されています。また、史料には役行者が修行した、行基菩薩が行座したという記述もあります。
山号:大乗峰、本尊:薬師如来
古事記では大蛇でなく白い猪です。左側に小さく「伊吹山山頂の荒ぶる神」
ヤマトタケル様
お久し振りです。
遊歩道を散策し山頂で軽く食事。
花は昨年より意外に遅めでシモツケソウなどは蕾です。
食後は一気に下山。
約6時間の山遊びでした。
登山口の近くにある「ケカチの水」へ
草の味のする冷たい湧水です。
ヤマトタケル
東征の帰路、草那芸剣を美夜受比売に預けたまま、伊吹山の神を素手で討ち取ろうと出立するが伊吹の荒ぶる神に負けい深手を負う。(→荒ぶる神:白猪)(→3合目のヤマトタケル遭難の碑)
深手を負ったヤマトタケルは湧水で少し体力を回復する(→ケカチの水、→醒ヶ井の湧水)
伊吹の荒ぶる神に深手を負ったヤマトタケルは大和を目指すが、
「足がたぎたぎしく成りぬ」と言ったことで当芸野(たぎの)という地名がついたとされる。
※当芸野(たぎの):岐阜県養老郡養老町)
『記紀』の神話の中で、ヤマトタケルが東征の途中で刀を置き忘れた尾津前に東国平定の帰途ふたたびを訪れたヤマトタケルが、忘れた刀がまだ残されているのを見つけ、感激し、
「尾張に 直に向へる 一つ松 あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを」(日本書紀)と詠んだとされています。
尾津前の地が伝えられる3箇所の論社(式内社の候補社)を訪ねる。
①尾津神社(戸津)
ヤマトタケルに関する由緒書きなどは見当たらなかった。
②尾津神社(小山)
③尾津神社(御衣野)→草薙神社とも言う。
刀を置いた松らしい。
まだ鈴鹿や亀山方面にヤマトタケルの足跡はあるが今回はここまで。
帰路は渋滞に嵌まり18時頃の帰還となった。