■2018.10.19-20 秋の旅行は静岡県から山梨県を巡る旅とした。
自宅を4時50分に出発。
音羽蒲郡ICから高速に入り静岡ICを出る。
8時頃、久能山東照宮のある久能山下(海側)に到着。
googleストリートで事前確認した民間の駐車場で止める(200円)
運動靴に履き替え東照宮のある久能山を下から登る。
日本平からロープウェイでも行けるがこの時間はまだ動いてない。
ここは「石垣いちご」発祥の地でもある。ただ人手不足で石垣いちご刈りを行っている所は少なくなったと地元のおじさんが言っていた。
残念ながらこういう話は最近至る所で聞くようになった。
この石段は1,159段あります。
この数字に文字が当てられ「いちいちご苦労さん」と呼ばれている。
昭和32年にロープウェイができるまでは、この石段のみが東照宮への参拝路でした。
表参道の石段です。
8:30 開門時間にピッタリ到着です、まだ巫女さんが朝のお勤め中。
ここで御朱印を頂きます。
詳細はこちらで→久能山東照宮
静岡県唯一の建造物国宝は東照宮の「御社殿」です。
主祭神:徳川家康(東照大権現)
元和3年(1617)2月21日、朝廷より「東照大権現」の神号を賜る。
黄金に輝いています。
一番奥には新廟(家康公のお墓)がある。
<東照公御遺訓>
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
現在、山岡荘八の「徳川家康」全26巻を読破中でこの遺訓も納得。
結局ロープウェイの動き出す前に東照宮を後にする。
次は近くの「三保松原」へ
残念ながら富士山の裾野の一部しか見えない。
本来はこのように見える。(Wikipedia)
松原内を散策するも海外の観光者が多い(中国)
富士山が世界文化遺産に登録された際に構成資産として三保松原は登録された。
暫し駿河湾を見ながら車を走らせ由比へ。
由比宿は、東海道五十三次の16番目の宿場で本陣跡が整備され、由比本陣公園となっている。
ここに「東海道広重美術館」がある。
歌川広重の代表作東海道五十三次(浮世絵)など展示されている。
広重作品はゴッホやモネなどの画家に影響を与えた。
最後に版画摺りを体験。
本陣跡で記念撮影。
食事は当然・・・
由比と言えば「桜えび」、解禁時期にはまだだが冷凍モノで我慢する。
お腹まんぷくで次なる目的地へ。
富士市の「富士山かぐや姫ミュージアム」(富士市博物館)無料
富士山やかぐや姫伝説のコーナーを見学。
※富士市に伝わるかぐや姫伝説
富士市に伝わるかぐや姫の物語では、かぐや姫は最後に月に帰ってしまうのではなく、富士山に登って忽然と消えてしまうことになっており、姫は富士山そのものの祭神とされています。
初めて聞いた。
混雑している富士宮市内に入り、「富士山世界遺産センター」に到着。
この施設は平成29年12月23日にできたばかり。
ユネスコの世界文化遺産に登録された「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」を後世に守り伝えていくための拠点施設。
当初、自然遺産としての登録を試みるがダメで文化遺産として漸く登録できた。
文化遺産としてみるなら富士山かぐや姫ミュージアムの方が内容が濃い。
雨が降りだしたがそのまま「富士山本宮浅間大社」へ
主祭神:木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
宿へは朝霧高原経由で向かう、天気が良くないのが残念。
本栖湖からは下部温泉方面へ。
宿泊場所は武田信玄の隠し湯(下部温泉)の「湯宿 梅ぞ乃」
信玄が川中島で謙信から受けた傷を癒やすために来たとされる湯治場です。
鄙びたお宿ですが静かな場所でゆったりできました。
部屋出しの自然会席も肉類のあまり得意でない我々には調度よかった。
早朝より眠気覚ましの朝湯に浸かりリフレッシュ。
この温泉は名湯100選にも選ばれている。
チェックアウト後は下部温泉にある「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」
ここは武田信玄の武将穴山氏が収めた金山。
金山資料を見学した後、砂金採り体験を。
体験室には3基の細長い水槽があり、砂金の含まれている砂が沈んでいる。
この砂をパンニング皿で掬い、金だけをゆすり採ります。
体験時間は30分。
夫婦でバトルが始まる。
慎重に揺するトドクロちゃん、パワーに任せ無理やり揺する私。
結果はパワーの勝利となった。
最近は見るだけなく体験できるのもはやってみる。
ここから約40kmほど山奥にドライブし到着したのが
早川町の奈良田。
ここは白峰南嶺を縦走した際に訪れた。→その時の記録
その際に時間がなく秘湯の温泉に入ることができなかったので今回再訪した。
まずは秘湯「奈良田の里温泉 女帝の湯」へ。
ヌルヌルした泉質で低めの温度。
湯上り後は肌がしっとりすべすべ。
※ここには奈良王の伝説がある。
奈良王とは第四十六代孝謙天皇で、奈良の都で僧道鏡と恋仲になられ、何時しか婦人病にかかられた。病気平癒を神に祈願されると一夜夢に、甲斐の国湯島の郷に、霊験あらたかな温泉があるので、奈良田の郷へ遷居するがよいとのお告げがあったので、供奉の者七、八人と供に、天平宝字二年五月、奈良田にお着きになり、王平の地に仮の宮殿を造られ、温泉に入浴されると旬日を経ずして、病は快癒されたが、都が穏やかになるまでの間八年を奈良田に過ごされ、天平神護元年還幸になられた。
孝謙天皇は女帝。
この標高でも色めいてきた。
梅干し大の小さな柿。
近くに併設された山岳写真館(南アルプス山岳写真)と早川町歴史民俗資料館へ。
※南アルプス山岳写真
山岳写真の第一人者・白籏史朗の写した南アルプスの豊かな情景の写真が展示。
※歴史民俗資料館
早川町の最奥に位置する奈良田集落は秘境と呼ばれ、寒冷地の谷間集落には平坦地は少なく、稲作ではなく焼畑文化が根付き雑穀を主食としてきた。国の重要有形民俗文化財に指定された「歴史民俗資料館」には焼き畑に関する道具など展示されている。(奈良田集落の焼畑農業文化 )
フィルム時代でこの写真が取れるのはさすが白籏史朗と言いたいところですね。
奈良田は信玄から年貢を免除されていた。これは焼き畑に頼る程貧しい場所だったからと言われていますが、武田の忍びとされる説もあります。
ここから身延までの道ではリニア工事に伴う砕石運搬トラックが頻繁に通る。
富士川クラフトパークでバラを鑑賞し最終目的地へ
身延山久遠寺。
何度も来ている我が家の本山になります。
見どころが多い今回の旅も後半に静かな場所を訪れた事でゆったりできた。
広重版画摺り体験や砂金採り体験は夫婦で楽しく行えた。
さあ後は帰るだけだ、安全運転で帰ろう。
山と同様、家に着くまでが旅ですから。
■行程
※初日
久能山東照宮→三保の松原→東海道広重美術館(由比宿)→富士山かぐや姫ミュージアム→富士山世界遺産センター→富士山本宮浅間大社→朝霧高原→本栖湖→下部温泉(泊)
※二日目
甲斐黄金村・湯之奥金山博物館→奈良田温泉→南アルプス山岳写真館・早川町民族資料館→富士川クラフトパーク→身延山久遠寺
自宅を4時50分に出発。
音羽蒲郡ICから高速に入り静岡ICを出る。
8時頃、久能山東照宮のある久能山下(海側)に到着。
googleストリートで事前確認した民間の駐車場で止める(200円)
運動靴に履き替え東照宮のある久能山を下から登る。
日本平からロープウェイでも行けるがこの時間はまだ動いてない。
ここは「石垣いちご」発祥の地でもある。ただ人手不足で石垣いちご刈りを行っている所は少なくなったと地元のおじさんが言っていた。
残念ながらこういう話は最近至る所で聞くようになった。
この石段は1,159段あります。
この数字に文字が当てられ「いちいちご苦労さん」と呼ばれている。
昭和32年にロープウェイができるまでは、この石段のみが東照宮への参拝路でした。
表参道の石段です。
8:30 開門時間にピッタリ到着です、まだ巫女さんが朝のお勤め中。
ここで御朱印を頂きます。
詳細はこちらで→久能山東照宮
静岡県唯一の建造物国宝は東照宮の「御社殿」です。
主祭神:徳川家康(東照大権現)
元和3年(1617)2月21日、朝廷より「東照大権現」の神号を賜る。
黄金に輝いています。
一番奥には新廟(家康公のお墓)がある。
<東照公御遺訓>
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
現在、山岡荘八の「徳川家康」全26巻を読破中でこの遺訓も納得。
結局ロープウェイの動き出す前に東照宮を後にする。
次は近くの「三保松原」へ
残念ながら富士山の裾野の一部しか見えない。
本来はこのように見える。(Wikipedia)
松原内を散策するも海外の観光者が多い(中国)
富士山が世界文化遺産に登録された際に構成資産として三保松原は登録された。
暫し駿河湾を見ながら車を走らせ由比へ。
由比宿は、東海道五十三次の16番目の宿場で本陣跡が整備され、由比本陣公園となっている。
ここに「東海道広重美術館」がある。
歌川広重の代表作東海道五十三次(浮世絵)など展示されている。
広重作品はゴッホやモネなどの画家に影響を与えた。
最後に版画摺りを体験。
本陣跡で記念撮影。
食事は当然・・・
由比と言えば「桜えび」、解禁時期にはまだだが冷凍モノで我慢する。
お腹まんぷくで次なる目的地へ。
富士市の「富士山かぐや姫ミュージアム」(富士市博物館)無料
富士山やかぐや姫伝説のコーナーを見学。
※富士市に伝わるかぐや姫伝説
富士市に伝わるかぐや姫の物語では、かぐや姫は最後に月に帰ってしまうのではなく、富士山に登って忽然と消えてしまうことになっており、姫は富士山そのものの祭神とされています。
初めて聞いた。
混雑している富士宮市内に入り、「富士山世界遺産センター」に到着。
この施設は平成29年12月23日にできたばかり。
ユネスコの世界文化遺産に登録された「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」を後世に守り伝えていくための拠点施設。
当初、自然遺産としての登録を試みるがダメで文化遺産として漸く登録できた。
文化遺産としてみるなら富士山かぐや姫ミュージアムの方が内容が濃い。
雨が降りだしたがそのまま「富士山本宮浅間大社」へ
主祭神:木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
宿へは朝霧高原経由で向かう、天気が良くないのが残念。
本栖湖からは下部温泉方面へ。
宿泊場所は武田信玄の隠し湯(下部温泉)の「湯宿 梅ぞ乃」
信玄が川中島で謙信から受けた傷を癒やすために来たとされる湯治場です。
鄙びたお宿ですが静かな場所でゆったりできました。
部屋出しの自然会席も肉類のあまり得意でない我々には調度よかった。
早朝より眠気覚ましの朝湯に浸かりリフレッシュ。
この温泉は名湯100選にも選ばれている。
チェックアウト後は下部温泉にある「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」
ここは武田信玄の武将穴山氏が収めた金山。
金山資料を見学した後、砂金採り体験を。
体験室には3基の細長い水槽があり、砂金の含まれている砂が沈んでいる。
この砂をパンニング皿で掬い、金だけをゆすり採ります。
体験時間は30分。
夫婦でバトルが始まる。
慎重に揺するトドクロちゃん、パワーに任せ無理やり揺する私。
結果はパワーの勝利となった。
最近は見るだけなく体験できるのもはやってみる。
ここから約40kmほど山奥にドライブし到着したのが
早川町の奈良田。
ここは白峰南嶺を縦走した際に訪れた。→その時の記録
その際に時間がなく秘湯の温泉に入ることができなかったので今回再訪した。
まずは秘湯「奈良田の里温泉 女帝の湯」へ。
ヌルヌルした泉質で低めの温度。
湯上り後は肌がしっとりすべすべ。
※ここには奈良王の伝説がある。
奈良王とは第四十六代孝謙天皇で、奈良の都で僧道鏡と恋仲になられ、何時しか婦人病にかかられた。病気平癒を神に祈願されると一夜夢に、甲斐の国湯島の郷に、霊験あらたかな温泉があるので、奈良田の郷へ遷居するがよいとのお告げがあったので、供奉の者七、八人と供に、天平宝字二年五月、奈良田にお着きになり、王平の地に仮の宮殿を造られ、温泉に入浴されると旬日を経ずして、病は快癒されたが、都が穏やかになるまでの間八年を奈良田に過ごされ、天平神護元年還幸になられた。
孝謙天皇は女帝。
この標高でも色めいてきた。
梅干し大の小さな柿。
近くに併設された山岳写真館(南アルプス山岳写真)と早川町歴史民俗資料館へ。
※南アルプス山岳写真
山岳写真の第一人者・白籏史朗の写した南アルプスの豊かな情景の写真が展示。
※歴史民俗資料館
早川町の最奥に位置する奈良田集落は秘境と呼ばれ、寒冷地の谷間集落には平坦地は少なく、稲作ではなく焼畑文化が根付き雑穀を主食としてきた。国の重要有形民俗文化財に指定された「歴史民俗資料館」には焼き畑に関する道具など展示されている。(奈良田集落の焼畑農業文化 )
フィルム時代でこの写真が取れるのはさすが白籏史朗と言いたいところですね。
奈良田は信玄から年貢を免除されていた。これは焼き畑に頼る程貧しい場所だったからと言われていますが、武田の忍びとされる説もあります。
ここから身延までの道ではリニア工事に伴う砕石運搬トラックが頻繁に通る。
富士川クラフトパークでバラを鑑賞し最終目的地へ
身延山久遠寺。
何度も来ている我が家の本山になります。
見どころが多い今回の旅も後半に静かな場所を訪れた事でゆったりできた。
広重版画摺り体験や砂金採り体験は夫婦で楽しく行えた。
さあ後は帰るだけだ、安全運転で帰ろう。
山と同様、家に着くまでが旅ですから。
■行程
※初日
久能山東照宮→三保の松原→東海道広重美術館(由比宿)→富士山かぐや姫ミュージアム→富士山世界遺産センター→富士山本宮浅間大社→朝霧高原→本栖湖→下部温泉(泊)
※二日目
甲斐黄金村・湯之奥金山博物館→奈良田温泉→南アルプス山岳写真館・早川町民族資料館→富士川クラフトパーク→身延山久遠寺