そろそろ秋の旅行シーズン、連休を外し出かける事に。
そこで秋の旅行は戦国時代の歴史が詰まっている近江、長浜方面を一泊二日で巡ることにした。
この時代の書籍も多少読み込んでいるので調度良い。
■2017.11.02 自宅を5時半に出発し全て下道で最初の目的地に向かう。
最初の目的地は、
※苗村神社。
本殿の様式は三間社流造(西本殿)で国宝である。
延喜式神名帳にある式内社で国宝から重要文化財も多い。
・天正年間には、織田信長が、天下太平を祈願し当社に馬鞍一具と太刀七振りを寄進している。
次に
※安土城天主「信長の館」へ
館内はフラッシュ無しで撮影可能であるが著作権があるためインターネットで公開することはできない。
内部の画像は→ココで
安土城天主の最上部5階6階部分が原寸大にて復元されている。
※安土城郭資料館
ここは1/20のスケールで再現された幻の名城「安土城」が展示してある。
内部までかなり精巧に作られている。
ここで信長検定問題を行う。20点満点で18点でまあまあの成績。
安土方面の最終訪問場所は言わずと知れた。
※安土城跡
天主までは登山感覚で1時間はたっぷりかかる。
天主跡からの景色は絶景である。
多少移動して近江八幡へ
豊臣秀次が築いた八幡堀を船で運河を35分で巡る。
※八幡堀めぐり
先日来の台風で琵琶湖の水位が上昇しようやく運行できるようになったらしい。
下船後は八幡堀周辺を散策。
・近江商人の町並み
・近江兄弟社
いつもお世話になっています。
・町並みをゆっくり散策。
そして本日最終の訪問先
※ラ・コリーナ
有名なバームクーヘンを土産に購入。
夕方になり宿泊場所へ移動。(国民宿舎 豊公荘)
長浜市湖北町の夕陽が「日本の夕陽百選」に選ばれており撮影こそできなかったがその夕日を見ながら宿まで移動。
夕食を食べ温泉に入ったら直ぐに寝込んでしまった。
■2017.11.03 長浜近辺の観光
朝食前に豊公公園を散歩、台風の影響で流れてきた流木の処理をしているおじさんと暫し談笑。
琵琶湖全体でも流木が多く産廃として焼却処理しているが追いつかないとの事。
以前は集めた物をその場で燃やしていたが、最近ではダイオキシンが出るなどの人の目が煩くなった。
お、こんな所で環境会話。
美味しい朝食を食べ、長浜へ徒歩で散策に出かける。
長浜は、秀吉が初めて一国一城の主となった場所で、城下町など整備した。
・長浜宿を通る北国街道
琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、県境の栃ノ木峠をへて北ノ圧に通じる北国街道は、かつて北陸と京阪神を結ぶ重要な街道でした。多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用、長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄えた町です。街道沿いには今も、港町の風情を残す舟板塀や紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠(むしこ)窓の家々や白い土蔵を持つ老舗の商家、道中安全を願った常夜燈などが建ち並び、昔の面影を色濃くとどめています。
明治時代に、鉄道を誘致したり、銀行が作られたり、次々と最新の公共施設が建設されました。今、それら昔ながらの家並みが風景にとけ込んで、モダンで落ち着いた町の様相を見せています。
古の歴史を感じ黒壁スクウェアなど散策。
そして、名物「焼鯖そうめん」を食べに人気店「翼果楼(よかろう)」へ。
11時なのに店はほぼ満席、運良く2階席が空いており待つことなく席につく。
「焼鯖そうめん」と「焼き鯖寿司」を注文。
焼いた後に煮込んだ鯖がおいしく汁のないそうめんにもかかわらず食が進む。
なるほどこれは美味しい。
ただし時間を間違えると、1時間程度は待つ事になる。
そして「ヤンマーミュージアム」へ
実は朝一番に向かい途中で場所がわからず、通りすがりのおじさんに場所まで案内して頂いた。このおじさんはヤンマーのOBでどうもミュージアムで活動しているようだった。
ただ開館まで1時間近くあり、先にスクウェアへ足を向けていた。
施設内では朝道を教えて頂いたおじさんに声をかけられ色々な設備や施設を紹介頂き、優先的に?
楽しむことができた。
特に建機シミュレーター体験ではVRを利用して建機を操作でき大変おもしろかった。
これはおすすめです(受付で予約が必要です)
結局2時間ほどここで大人が遊ぶ。
そして小谷城へ
小谷城は浅井氏の居城であり、日本五大山城のひとつに数えられる堅固な山城として知られています。織田信長に攻められ、浅井氏が滅亡した最後の城で、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い。その後、小谷城は羽柴秀吉に与えられますが、秀吉は長浜城をあらたに築いたため、小谷城は廃城となる。現在は国の史跡に指定され、土塁や石垣などの遺構のみを残す。
大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」放映時に記念として作られたカブトのオブジェ
小谷城の戦いで小谷城が落城して長政は切腹、市と三姉妹は、織田一族出身の武将である藤掛永勝により救出され織田家に預けられる。この三姉妹の末娘「お江」の最初の嫁ぎ先が大野城主「佐治一成」で一成の叔母が「お犬の方」。
「お犬の方」は「お市の方」の妹、つまり信長の妹である。
尾張佐治氏は、知多半島の大野を中心とする西海岸地域を領する一族で、伊勢湾海上交通を掌握する佐治水軍を率いていたのでこのような政略的婚姻がなされた。
この小谷城も意外と地元の歴史に繋がっている。
そして浅井氏の事を知るために
浅井歴史民俗資料館へ
最後の訪問先は、土産をGETするために・・・とあるパン屋さんへ。
・つるやパン
普通の飾り気のないパンだが美味しい。
そして木之本ICから帰路につく。
春の旅行では、朝倉一乗谷や柴田勝家の北之庄など訪れた。今回は浅井の小谷城や信長の安土城、秀吉の長浜など彼らが生きた時代は応仁の乱から関ヶ原の戦いあたりだ。
群雄割拠するこの時代をまとめ上げたのは織田信長であり豊臣秀吉である。
そして家康の時代になり浅井の末娘「お江」が秀忠の正室となってゆく。
近江八幡は豊臣家二代目関白、豊臣秀次が整備した城下町であり、ここを起点に近江商人が活躍する。
その近江商人の活動理念として有名なのが、
「売り手よし 買い手よし 世間よし」
いわゆる三方よしの精神で私も感銘を受けるしそうしたいと常に思っている。
最近では自分だけが良ければと言う個人主義が多過ぎるのが残念だ。
今回の訪問でこの時代の考察は一通り完結したかな?
更に深く書籍を読みいずれまた再訪する事があるだろう。
そこで秋の旅行は戦国時代の歴史が詰まっている近江、長浜方面を一泊二日で巡ることにした。
この時代の書籍も多少読み込んでいるので調度良い。
■2017.11.02 自宅を5時半に出発し全て下道で最初の目的地に向かう。
最初の目的地は、
※苗村神社。
本殿の様式は三間社流造(西本殿)で国宝である。
延喜式神名帳にある式内社で国宝から重要文化財も多い。
・天正年間には、織田信長が、天下太平を祈願し当社に馬鞍一具と太刀七振りを寄進している。
次に
※安土城天主「信長の館」へ
館内はフラッシュ無しで撮影可能であるが著作権があるためインターネットで公開することはできない。
内部の画像は→ココで
安土城天主の最上部5階6階部分が原寸大にて復元されている。
※安土城郭資料館
ここは1/20のスケールで再現された幻の名城「安土城」が展示してある。
内部までかなり精巧に作られている。
ここで信長検定問題を行う。20点満点で18点でまあまあの成績。
安土方面の最終訪問場所は言わずと知れた。
※安土城跡
天主までは登山感覚で1時間はたっぷりかかる。
天主跡からの景色は絶景である。
多少移動して近江八幡へ
豊臣秀次が築いた八幡堀を船で運河を35分で巡る。
※八幡堀めぐり
先日来の台風で琵琶湖の水位が上昇しようやく運行できるようになったらしい。
下船後は八幡堀周辺を散策。
・近江商人の町並み
・近江兄弟社
いつもお世話になっています。
・町並みをゆっくり散策。
そして本日最終の訪問先
※ラ・コリーナ
有名なバームクーヘンを土産に購入。
夕方になり宿泊場所へ移動。(国民宿舎 豊公荘)
長浜市湖北町の夕陽が「日本の夕陽百選」に選ばれており撮影こそできなかったがその夕日を見ながら宿まで移動。
夕食を食べ温泉に入ったら直ぐに寝込んでしまった。
■2017.11.03 長浜近辺の観光
朝食前に豊公公園を散歩、台風の影響で流れてきた流木の処理をしているおじさんと暫し談笑。
琵琶湖全体でも流木が多く産廃として焼却処理しているが追いつかないとの事。
以前は集めた物をその場で燃やしていたが、最近ではダイオキシンが出るなどの人の目が煩くなった。
お、こんな所で環境会話。
美味しい朝食を食べ、長浜へ徒歩で散策に出かける。
長浜は、秀吉が初めて一国一城の主となった場所で、城下町など整備した。
・長浜宿を通る北国街道
琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、県境の栃ノ木峠をへて北ノ圧に通じる北国街道は、かつて北陸と京阪神を結ぶ重要な街道でした。多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用、長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄えた町です。街道沿いには今も、港町の風情を残す舟板塀や紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠(むしこ)窓の家々や白い土蔵を持つ老舗の商家、道中安全を願った常夜燈などが建ち並び、昔の面影を色濃くとどめています。
明治時代に、鉄道を誘致したり、銀行が作られたり、次々と最新の公共施設が建設されました。今、それら昔ながらの家並みが風景にとけ込んで、モダンで落ち着いた町の様相を見せています。
古の歴史を感じ黒壁スクウェアなど散策。
そして、名物「焼鯖そうめん」を食べに人気店「翼果楼(よかろう)」へ。
11時なのに店はほぼ満席、運良く2階席が空いており待つことなく席につく。
「焼鯖そうめん」と「焼き鯖寿司」を注文。
焼いた後に煮込んだ鯖がおいしく汁のないそうめんにもかかわらず食が進む。
なるほどこれは美味しい。
ただし時間を間違えると、1時間程度は待つ事になる。
そして「ヤンマーミュージアム」へ
実は朝一番に向かい途中で場所がわからず、通りすがりのおじさんに場所まで案内して頂いた。このおじさんはヤンマーのOBでどうもミュージアムで活動しているようだった。
ただ開館まで1時間近くあり、先にスクウェアへ足を向けていた。
施設内では朝道を教えて頂いたおじさんに声をかけられ色々な設備や施設を紹介頂き、優先的に?
楽しむことができた。
特に建機シミュレーター体験ではVRを利用して建機を操作でき大変おもしろかった。
これはおすすめです(受付で予約が必要です)
結局2時間ほどここで大人が遊ぶ。
そして小谷城へ
小谷城は浅井氏の居城であり、日本五大山城のひとつに数えられる堅固な山城として知られています。織田信長に攻められ、浅井氏が滅亡した最後の城で、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い。その後、小谷城は羽柴秀吉に与えられますが、秀吉は長浜城をあらたに築いたため、小谷城は廃城となる。現在は国の史跡に指定され、土塁や石垣などの遺構のみを残す。
大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」放映時に記念として作られたカブトのオブジェ
小谷城の戦いで小谷城が落城して長政は切腹、市と三姉妹は、織田一族出身の武将である藤掛永勝により救出され織田家に預けられる。この三姉妹の末娘「お江」の最初の嫁ぎ先が大野城主「佐治一成」で一成の叔母が「お犬の方」。
「お犬の方」は「お市の方」の妹、つまり信長の妹である。
尾張佐治氏は、知多半島の大野を中心とする西海岸地域を領する一族で、伊勢湾海上交通を掌握する佐治水軍を率いていたのでこのような政略的婚姻がなされた。
この小谷城も意外と地元の歴史に繋がっている。
そして浅井氏の事を知るために
浅井歴史民俗資料館へ
最後の訪問先は、土産をGETするために・・・とあるパン屋さんへ。
・つるやパン
普通の飾り気のないパンだが美味しい。
そして木之本ICから帰路につく。
春の旅行では、朝倉一乗谷や柴田勝家の北之庄など訪れた。今回は浅井の小谷城や信長の安土城、秀吉の長浜など彼らが生きた時代は応仁の乱から関ヶ原の戦いあたりだ。
群雄割拠するこの時代をまとめ上げたのは織田信長であり豊臣秀吉である。
そして家康の時代になり浅井の末娘「お江」が秀忠の正室となってゆく。
近江八幡は豊臣家二代目関白、豊臣秀次が整備した城下町であり、ここを起点に近江商人が活躍する。
その近江商人の活動理念として有名なのが、
「売り手よし 買い手よし 世間よし」
いわゆる三方よしの精神で私も感銘を受けるしそうしたいと常に思っている。
最近では自分だけが良ければと言う個人主義が多過ぎるのが残念だ。
今回の訪問でこの時代の考察は一通り完結したかな?
更に深く書籍を読みいずれまた再訪する事があるだろう。