トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

木曽へ温泉ドライブ(駒の湯、木曽福島)

2017年08月28日 | データ
■2017.08.27 今週もテント泊登山には気になる天候で3週続けてパスしている。
昨日の土曜日も11時頃から2時間程テニスができたが朝方は雨に降られている。

そして日曜日は好天の気配。

テニスは大会が重なり練習メンバーは不足気味。

じゃあ山の方へ温泉ドライブに行こうと家を出る。


少し車を走らせた所で、妻の在所夫婦へTELし誘ってみると・・・

・・・・現地近辺で待ち合わせとなりました。

合流後、美味しい信州そばを食べ木曽福島の「駒の湯」へお昼過ぎに到着。

ここは昨年の紅葉時期にも来ているお気にりの場所です→昨年の記録

そして温泉につかりゆったりする。
明け放った窓から流れ込む風は秋を感じさわやかだ。

駒の湯を更に奥に登って行くと木曽駒ヶ岳への登山口キビオ峠に着く。このコースは「木曽福島Aコース」で何時か行ってみたコースです。

在所夫婦とは現地で解散。

私達は木曽福島の街中へ

なにやら行事が・・・・

木曽の手仕事市」開催中

カンナがけをやってみる事に。そしてカンナ屑を持ち帰る。
風呂に入れると「檜風呂」になるかな?


大通寺に武田信玄の三女、真理姫の供養塔があった。
最近、夫婦で新田次郎の「風林火山」を読んだばかり。

真理姫
木曽家十九代義昌の夫人である。夫人は甲斐の武田晴信(信玄)の三女で、勝頼の妹でもあるが、戦国の世に生まれ、数奇な一生を過ごし、この地で亡くなっている。
・弘治元年(1555)武田晴信は、木曽へ侵攻し木曽義康(十八代)は、利あらず降伏する。晴信はこれを許し、当時十六才の義昌に、幼少六才の三女真理姫をめとわせて、木曽氏を武田一門の親族衆に加えた。これ以来真理姫は木曽義昌夫人となる。
・天正元年(1573)晴信卒し、勝頼の代となる。
・天正三年(1575)勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗し、武田氏の勢力俄に衰える。
・天正十年(1582)一月、夫人真理姫は義昌離反を勝頼に内報する。勝頼大いに怒り木曽へ武将を派遣し攻めるも、義昌これを鳥居峠で破る。二月には勝頼自身出兵し、再び木曽。織田連合軍に敗れ去る。ついで甲斐を攻略され、部下将兵も離反し勝頼天目山で自刃し、武田氏ついに亡ぶ。

そして

・正保四年(1647)7月7日真理姫は、九十八才の長い一生をこの地で終えたと伝えられている。

信玄の娘達は
・長女の黄梅院は北条氏康へ
・次女の見性院は穴山信君へ
・三女の真竜院(真理姫)木曽義昌へ
・四女の菊姫は上杉景勝へ
・五女の松姫は織田信忠の婚約者(縁組は破棄)
と戦国の世を生きた。

春先からこの時代を知りたくて読みやすい小説(物語)や歴史解説書(事実)を読み少し理解が増しているかな。



さあブログもかけたので檜風呂でも入るとするか。

夏の花、森の妖精 レンゲショウマ

2017年08月20日 | データ
■2017.08.20 長い連休も最終日。

連休の前半はお盆でお墓参りや盆供養、後半は天気が良ければ山登りでもと考えていたが・・・・天候不順。



トドクロちゃんと夏の花でも見に行こうと近場へドライブ。

まずは愛知県足助町へ向かう。

個人所有の裏山を管理解放されているお宅に一言声を掛け裏山に入る。

ありました。

森の妖精:レンゲショウマ

※レンゲショウマ(蓮華升麻)は日本特産の1属1種の花。キンポウゲ科、レンゲショウマ属の多年草。

曇天で三脚無しなのでそれなりにしか撮れてませんが森の妖精の感じは出ていると思います。

上から見ると。

白い花もあります。

丸いのは蕾です。

横から。

湿り気のある林下に生える。


・ナツエビネ(絶滅危惧Ⅱ類)

拡大、妖艶ですね。


・イワタバコ(岩煙草)はイワタバコ科の多年草

鈴鹿の鎌ヶ岳の沢ルートに咲いているらしいがここで出会えた。



場所を変えて稲武へ。

念の為、登山靴に履き替え群生地まで行きます。

大汗を掻きながら群生地に到着
・オオキツネノカミソリ

キツネノカミソリは春先に見たことが有りますが花季は初めてです。
林の中にオレンジ色の花が映えます。

ヒガンバナ科の多年生草本球根植物です。

太陽の光が届いた。

群生してます。


面ノ木園地では思ったより花が少なかった。

オレンジの花はフシグロセンノウ。

面ノ木で年配御夫婦に山野草の話を色々聞く事ができ楽しい時間を過ごす事ができた。

帰路は百年草で汗を流し帰路に就く。

入海神社へ日本武尊の足跡を訪ねて

2017年08月07日 | データ
以前から近隣のヤマトタケルゆかりの地を度々訪れている。

■今までに訪れた場所は。
※2015.07荒ぶる神の住む伊吹山と醒ヶ井の梅花藻
※2016.07伊吹山と日本武尊の足跡を訪ねて
※2016.09氷上姉子神社へ日本武尊の足跡を訪ねて

■今回はこの入海神社 (いりみじんじゃ)。
ここもヤマトタケルゆかりの神社である。
弟橘比売命を主祭神としている神社は国内でも数社である。

走水の海から嵐を沈める為に入水したのが弟橘比売命。
弟橘比売命の櫛(くし)が流れ着いた場所がここと言う伝承がある。

由緒
昔、日本武尊が東征の折、当地の穂積忍山宿禰は水軍を結成し、娘であった弟橘比売命を日本武尊に同行させたという。そして、その旅路の途中、荒天に遭った際、全軍の安泰を祈り、弟橘比売命は海に身を投げ入れたと言われているが、 その後、弟橘比売命の櫛がこの地の紅葉川の辺りに流れつき、この櫛を祀ったことことに始まると伝えられる。

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祭神:弟橘媛命(日本武尊の妻)
旧社格:郷社・愛知県神社庁五級社
ご利益:航海安全、所願成就 他
所在地:愛知県知多郡東浦町
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■弟橘媛命が入水時に詠んだ歌が碑文に刻まれている。

佐泥佐斯佐賀牟能遠怒迩毛由流比能/本那迦迩多知天斗比斯妓美波母

意味:「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」(あの燃えさかる野中の火の中でも、私の身を気づかい、問いかけてくださったあなたよ)


またここには貝塚がある。

■入海貝塚(国の史跡に指定)
入海神社の境内にある約7000年前縄文時代早期の貝塚。

土器や石器、骨角器、土偶、石の鏃、シカやイノシシの骨なども出土しており、このうち土器は入海式土器と呼ばれる。


家から一番近い、ヤマトタケルの足跡地なのにようやく訪問できた。


■おまけ
大腿部の打ち身リハビリの為、カメラを持って散歩。

・堤防の太公望

・古い町並みと猫

・焼酎瓶


・我が家の梅干し(天日干し)。

・今年の梅は何時もより大きい。

梅干しの梅酢で生姜も漬ける。
しその葉も乾燥してゆかり風にしてふりかけに。

登山の塩分補給も梅干しです。

そろそろ次の山行計画を立てよう。
山で温泉に浸かりたいな〜。