■2017.08.27 今週もテント泊登山には気になる天候で3週続けてパスしている。
昨日の土曜日も11時頃から2時間程テニスができたが朝方は雨に降られている。
そして日曜日は好天の気配。
テニスは大会が重なり練習メンバーは不足気味。
じゃあ山の方へ温泉ドライブに行こうと家を出る。
少し車を走らせた所で、妻の在所夫婦へTELし誘ってみると・・・
・・・・現地近辺で待ち合わせとなりました。
合流後、美味しい信州そばを食べ木曽福島の「駒の湯」へお昼過ぎに到着。
ここは昨年の紅葉時期にも来ているお気にりの場所です→昨年の記録
そして温泉につかりゆったりする。
明け放った窓から流れ込む風は秋を感じさわやかだ。
駒の湯を更に奥に登って行くと木曽駒ヶ岳への登山口キビオ峠に着く。このコースは「木曽福島Aコース」で何時か行ってみたコースです。
在所夫婦とは現地で解散。
私達は木曽福島の街中へ
なにやら行事が・・・・
「木曽の手仕事市」開催中
カンナがけをやってみる事に。そしてカンナ屑を持ち帰る。
風呂に入れると「檜風呂」になるかな?
大通寺に武田信玄の三女、真理姫の供養塔があった。
最近、夫婦で新田次郎の「風林火山」を読んだばかり。
真理姫
木曽家十九代義昌の夫人である。夫人は甲斐の武田晴信(信玄)の三女で、勝頼の妹でもあるが、戦国の世に生まれ、数奇な一生を過ごし、この地で亡くなっている。
・弘治元年(1555)武田晴信は、木曽へ侵攻し木曽義康(十八代)は、利あらず降伏する。晴信はこれを許し、当時十六才の義昌に、幼少六才の三女真理姫をめとわせて、木曽氏を武田一門の親族衆に加えた。これ以来真理姫は木曽義昌夫人となる。
・天正元年(1573)晴信卒し、勝頼の代となる。
・天正三年(1575)勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗し、武田氏の勢力俄に衰える。
・天正十年(1582)一月、夫人真理姫は義昌離反を勝頼に内報する。勝頼大いに怒り木曽へ武将を派遣し攻めるも、義昌これを鳥居峠で破る。二月には勝頼自身出兵し、再び木曽。織田連合軍に敗れ去る。ついで甲斐を攻略され、部下将兵も離反し勝頼天目山で自刃し、武田氏ついに亡ぶ。
そして
・正保四年(1647)7月7日真理姫は、九十八才の長い一生をこの地で終えたと伝えられている。
信玄の娘達は
・長女の黄梅院は北条氏康へ
・次女の見性院は穴山信君へ
・三女の真竜院(真理姫)木曽義昌へ
・四女の菊姫は上杉景勝へ
・五女の松姫は織田信忠の婚約者(縁組は破棄)
と戦国の世を生きた。
春先からこの時代を知りたくて読みやすい小説(物語)や歴史解説書(事実)を読み少し理解が増しているかな。
さあブログもかけたので檜風呂でも入るとするか。
昨日の土曜日も11時頃から2時間程テニスができたが朝方は雨に降られている。
そして日曜日は好天の気配。
テニスは大会が重なり練習メンバーは不足気味。
じゃあ山の方へ温泉ドライブに行こうと家を出る。
少し車を走らせた所で、妻の在所夫婦へTELし誘ってみると・・・
・・・・現地近辺で待ち合わせとなりました。
合流後、美味しい信州そばを食べ木曽福島の「駒の湯」へお昼過ぎに到着。
ここは昨年の紅葉時期にも来ているお気にりの場所です→昨年の記録
そして温泉につかりゆったりする。
明け放った窓から流れ込む風は秋を感じさわやかだ。
駒の湯を更に奥に登って行くと木曽駒ヶ岳への登山口キビオ峠に着く。このコースは「木曽福島Aコース」で何時か行ってみたコースです。
在所夫婦とは現地で解散。
私達は木曽福島の街中へ
なにやら行事が・・・・
「木曽の手仕事市」開催中
カンナがけをやってみる事に。そしてカンナ屑を持ち帰る。
風呂に入れると「檜風呂」になるかな?
大通寺に武田信玄の三女、真理姫の供養塔があった。
最近、夫婦で新田次郎の「風林火山」を読んだばかり。
真理姫
木曽家十九代義昌の夫人である。夫人は甲斐の武田晴信(信玄)の三女で、勝頼の妹でもあるが、戦国の世に生まれ、数奇な一生を過ごし、この地で亡くなっている。
・弘治元年(1555)武田晴信は、木曽へ侵攻し木曽義康(十八代)は、利あらず降伏する。晴信はこれを許し、当時十六才の義昌に、幼少六才の三女真理姫をめとわせて、木曽氏を武田一門の親族衆に加えた。これ以来真理姫は木曽義昌夫人となる。
・天正元年(1573)晴信卒し、勝頼の代となる。
・天正三年(1575)勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗し、武田氏の勢力俄に衰える。
・天正十年(1582)一月、夫人真理姫は義昌離反を勝頼に内報する。勝頼大いに怒り木曽へ武将を派遣し攻めるも、義昌これを鳥居峠で破る。二月には勝頼自身出兵し、再び木曽。織田連合軍に敗れ去る。ついで甲斐を攻略され、部下将兵も離反し勝頼天目山で自刃し、武田氏ついに亡ぶ。
そして
・正保四年(1647)7月7日真理姫は、九十八才の長い一生をこの地で終えたと伝えられている。
信玄の娘達は
・長女の黄梅院は北条氏康へ
・次女の見性院は穴山信君へ
・三女の真竜院(真理姫)木曽義昌へ
・四女の菊姫は上杉景勝へ
・五女の松姫は織田信忠の婚約者(縁組は破棄)
と戦国の世を生きた。
春先からこの時代を知りたくて読みやすい小説(物語)や歴史解説書(事実)を読み少し理解が増しているかな。
さあブログもかけたので檜風呂でも入るとするか。