「仏道とは仏としての道であり、仏に成るための道ではない」
大概は仏道とは仏に成るための道だと心得ている。凡夫が仏に成る、大変な道と考えてしまっている。
「衆生本来仏なり」(白隠禅師坐禅和讃)
これは誰でも彼でも宇宙一杯の力、宇宙力で生きているということである。人間もコロナウイルスも同じ一つの宇宙力で生きている。
そのことを知った人を目覚めた人(ブッダ)というのである。仏道を歩む人である。仏の行をなす人のことである。
仏の境界は100点満点、我々は50点、と普通は考える。
しかし、元々50点なのか、100点の人間がたまたま今50点を生きているのか。大きな差がある。50点の人間が100点取ろうとするのはたいへんで不可能とさえ思える。いや、皆そう思っているのである。
一方、100点者は今50点でも100点に戻るのは簡単である。仏道に戻るだけである。
元々、宇宙力で生きているのだから宇宙力で生きればいいだけである。
坐禅なら只管打坐するだけである。
今流行りかけのテーラワーダの瞑想は、悟りを得るための手段としてある。手段に過ぎないから、サマタとヴィパッサナーと行法が二つに分かれているのである。
宇宙力を生きると、自由、安らぎ、生き甲斐という宗教の目的が達成される。