カバンは、周りの形が固定されている故に
中身を想像できる余地は少ない。
一方風呂敷は、器自体は不定だからこそ
中身の形が反映される。
カバンはそれ自身のシルエットを
裸の如くさらけ出している。
風呂敷は、チラリズムではないが
見る人が中身を思んぱかる手がかりが在る。
これは洋服と着物のにもいえて、前者は型紙でシルエットを作るから、
着る人の体型はほぼ隠される。
きものは、それ自体の形はみな共通という認識があるから、
ちょっとした肩の下がり具合や身体の膨らみ加減から、
その人の本体を多少は推察し得る。
けれど、人は見たいように見るため、
たいていは少なからず理想化されて、
お互いにとってそれはしあわせなこと。
風呂敷つつみの中身が蝶の標本でも、人には
美味しいぼた餅と想われるかもしれない。
カバンではヒントが少なすぎて、初めから何も想像されない。
もちろん、持てる主人から推測はできようが。
女学生のカバンならば、
教科書にノートに手帳、ペンケース、
コンパクト、ほのかな香水、ブラシにピンにシュシュ、
キスミントみたいの、
ただしそれはイメージに過ぎない。
風呂敷であれば円いとか角ばるとか、形が出るから、
実態に迫りながら想像する遊びが生まれて、
それは色氣さえ醸しはじめよう。
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