ふろしき王子のブログ◎
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鈴の踊りたるような閻魔こおろぎの音いろに
秋の夜を感じながらも、
明日は晴れて
近所の浅川はおよぎ日和だろう。

何かとたてこみ中で川に行かれるか知らんが、
うさぎの飼い葉に葛やミントを摘みたいから、子どもたち
同伴すれば、ついでに水に足を浸すくらいはやりそう。
それだけでは済まなくなりそうだが。

この夏さいごの川遊びならむと愁いつつも、
きっと9月も暑くひかる日の来たるべし。

今夜は近くで花火大会があり、家のそばから見えたはずだが、
そのまま時間もすぎて縁がなかった。

花火それ自身の美というのもあろうが、
家族みなで見つめてる時間や記憶が尊いのだろう。

個人的には、家庭用の花火も、そこまで心躍らない。

見入るより火の心配が先だち、早く終わらせたくなる。
化繊の浴衣などは燃えやすくて危険。

ハナビよりも、たき火に照り映える顔のほうが
いのちを感じられ、官能的ですらある。

花火は、たとえ好きな相手であっても、顔が緑いろに反射すれば
妖怪のごたる刹那となり得るし、
煙も人工的な薫りで相容れない。

けれども、
火があぶないとか煙が嫌というのは後づけの理由かもしれない。

江戸時代より盛んとなった日本の花火は、戦国時代の火薬を
消費してしまいたい意味合いもあったと聞く。
だから、不安定な時代がおわって一つの平和の象徴としたとき、

現代は様々な点、災害、環境破壊、貧困問題、格差社会
海外での弾圧や内戦など、混迷がつづいているから、

悠々と花火を眺めている氣になれないのか。

それとも、かえって日常のあらゆる所にうつくしさを
発見することで、花火やイルミネーションや諸々のイベントへの
特別感がうすれているのかもしれない。

ひとつ結論としては、空想妄想にいきる自分は、
実際の五感よりも、それをどう捉えかんじるかの
影響が濃いともいえる。

目にみえる1%の事象の裏に、
99%の事情や原因、物語がある。
その部分をもっともっと大切に生きていかれたら、
顕れたる世界もまた
がらりと風とおしよくなっていくだろう。

基本は原則として公開がよいと考えている。
一部が陰でこそこそ目論んでも真の進化は生まれにくい。

もはや隠密の時代ではない。

公開して、みなが現状や各々の経験を共有するところから、
自発的な、頼まれなくても積極的に貢献しようとする
フリーの忍者がぞくぞくと誕生していくのだ。

好きな衣装で、顔も隠すことなく、
得意分野をみんなと任せあえばよい。

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