本日の予定は、
・地元の木工所に、おむすびの木型の見積もりを依頼にゆく
(実家の店の手つだいの一環)
・浅草で、動画を撮る。公開用ではなく、
こんごの企画のための参考として。
・三ノ輪の総菜店に、焼き印の原稿と見積もりを届けにいく
(実家の店の手つだいの一環)
・日暮里で、生地を買う
・巣鴨で、友人より物を受けとる。
・新宿で、友人宅の網戸交換準備として
サイズやゴムの太さを確認する。
さようなあれこれの中で、
背中にはいつも風呂敷があって、
様々な場面でリアルにたすけられている。
いつも使っていなければ、
ふろしきの結び方をつたえるにしても
見た目の再現だけになってしまう。
実際につかいつづけるなかで、
結びめの大きさのちょっとしたさじ加減、
時間の経過による布の伸びと、それへの対応、
疲れにくい持ち方など、
風呂敷とからだのよい関係(マリアージュ)を、
身体感覚的にみにつけることにつながる。
たくさんのむすび方を知っていて、
枚数もいっぱい持っているから
風呂敷の達人だなんてことはなくて、
各対角をむすぶシンプルなお弁当つつみ一択でも、
だいすきなたった一枚の使いまわしでも、
日々、多様な中身や状況に対応しながら
むすんでつかっている人の指先にこそ、
まことが宿っている。
逆に、レシピを信奉してしまうと
その通りにしたけど上手くいかず、不便だと
責任転嫁することにつながる。
レシピや設定は大枠にすぎず、
細部の加減こそがものをいう。
塩を足すと甘みが引きだされるという言説に対し、
足したらしょっぱくて食えたもんじゃねえ、どうしてくれるかこのこの!
と文句があったとしたら(笑)、
「入れすぎでしょ」というだけのことです。
企画やコンセプトは、たんなるきっかけにすぎない!
心をこめた丁寧さ、やさしさによって、
変哲もない日常も至福へ転ずる。
完璧な計画であっても、雑にものせば
破滅へところげおちる。
一手、一歩の挙動とバイブレーションが、
一秒後をすべて変えると信じ、
粗暴な世の中のすき間を埋めていこう。
雨つぶのすき間はひろく、
ゆっくり進めば、いくつも同時におこなえる。
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