ふろしき王子のブログ◎
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今日からレジ袋が有料化されるが、使用量を減らして
環境への負荷を減らす目的とされている。

我が家は川のすぐそばにあり、子どもたちと探索しながら
トングでごみ拾いすることも多いので(きりがないほどあるが)、
自然環境のなかに飛散するレジ袋が減ることには賛成である。
けれども、有料化したところですでに山のように出回っている
レジ袋なので、川原から無くなる日はまだ遠いだろう。

僕は20年間以上、風呂敷とともに日々の暮らしを歩んできましたが、
レジ袋は、ごみ用、濡れもの、匂いのある買いもの(漬け物)などには
大切に愛用してきました。
今後、そのような使い道の分であれば、実家でおばちゃんが
貯めていたような分でも足りると考えています。
レジ袋の口を閉めるときは、結び目が固くなりすぎない
むすび方をしているので、ほどいて何度か使い回しがしやすく
1度の使い捨てにならないよう氣をつけています。

そのようにして、今あるものを持参して数回は繰り返して
使うところからはじめれば「レジ袋が無いと困るが
1枚に5円前後支払うのはもったいない」という悩みも
減ると思うので、近いうちにレジ袋を使い回すコツについて、
動画などで紹介したいと思っています。

目にみえない二酸化炭素についてはよく分かりませんが、
川原に散乱するレジ袋を見ると、これが海洋へ流れて
飲み込んだ生きものを物理的に窒息させる懸念はつよく抱いています。

昨年の大型台風で、河川敷は地形まで変わり、上流から
相当量の流木やヨシの茎などが樹の高くまで
積み重なるほど漂着しました。
それらはやがて微生物に分解されながら、
生物の棲み家となって生態系をより豊かにするため、
なんぼ流れてきてもノーストレスで、
むしろ工作に使える材を得られてありがたい場合もあります。
しかし、プラスチック製品は、たいてい割れていますし
長期間分解が望めず、見た目にも自然と共鳴せず違和感を
のこすので、手間をかけて拾い集める作業を、
小さい子たちまでが黙黙と、自分たちの未来のために
行なっている現状が、毎年、毎日のようにつづいています。

放っておけば土に戻る枯れ草や落ち葉までも
有料のゴミ袋で回収に出す人が多い現在、
葉っぱもレジ袋も糞尿もペットボトルも
一様にゴミという認識が少なからず広がっていて、

かじった果物の芯をジャングルにポイしても
環境的に全く問題ないのと同じ
いにしえからの感覚で、レジ袋もまた
風にのせて放ってしまう感覚に至っているというのは考えすぎですが、
子どもに、本質的な環境教育が必要とは感じられます。

このたびの制度に合わせて、今や様々なエコバッグが
大量生産されていますが、素材としてはポリエステルが多い。
ポリエステルは丈夫さもあって衣料で広く使われていますが、
レジ袋よりもずっと、その生産にコストがかかっているため、
それを使い捨てしてしまうと、環境への影響は
作るときと捨てたあとの双方から、大きな負荷となるでしょう。

そこで提案は、きちんと手入れをしながら、どれも愛用しようということです。
どれもというのは、まずは家にあるレジ袋、エコバッグ、紙袋、
昔の買いものかご、そして風呂敷を、使い分けることによって、
エコバッグを洗い乾かす時間もとれますし、靴のように
2足を交互に履くほうが乾燥やメンテもできて長持ちにつながるでしょう。

もしかすると、これからは家にあふれているレジ袋や紙袋が
お土産として喜ばれてしまうような時代となり、
おばあちゃん家で発掘した紙袋をネットで販売する人さえ
現れるかもしれません。

ここまで、買いもの用として生かせるものたちを
書いてきましたが、かいもの以外にも無数のはたらきを
こなせるのがやっぱり風呂敷で、使い慣れれば
あまりの楽さ便利さによって、消去法でも外せない存在です。

結局、レジ袋や紙袋は、汚れたらそのまま捨てやすい便利さが、
現代社会に合っているのですが、これからは、好きなものを
きちんと洗って乾かして、思い出とともに長く付き合っていくという
世の中になればと願います。
風呂敷が数枚あれば、洗いやすくすぐに乾くので、
どんどん汚しながら使っていけばいいと思う。
ポリエステルのエコバッグも洗って長く使えばよいのですが、
すりきずや重みによるほつれなどで、半年や一年で
使いたくなくなったり、そこまで高価ではないから
新たに買うとなっては、有料のレジ袋よりも年間の出費が
多くなったり、マイクロプラスチックによる環境負荷が
ふえてしまうかもしれません。

あらためてまとめて述べますと、

1.いま家にあるレジ袋や紙袋、エコバッグを用途によって
 使い分け、使い回す。
2.ふろしきは、洗って乾かし、やぶけてもおしゃれに繕って
 長い愛用がしやすく、また、他の用途や非常時にも
 生かせるので、心底おすすめ☆☆
 溺れている人がいたら、浮きそうなものを
 集めて風呂敷で包み、救命の浮きだって作れる可能性があります。
 飽きてタンス深くを肥やさぬよう、大好きな色や柄の、
 持っているだけで嬉しくなるようなものを選びましょう。

天然素材、化学繊維に関わらず、一方通行のような
使い捨ては、知らずに心を虚しくさせる。
ジプロックやクリアファイルも、大切に長持ちさせたい。
そして、ビンやかめ、壷など昔からのものも、いっしょに
混ぜこんで、やくだてよう。



何にでも重宝する、一家に一枚? 大あさの大ふろしきを結んだ袋。
自分も中に住めそうな、無限の奥深さを内包する。
過去はここにあり、未来もここにある。

(モデル:asamin')

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風呂敷をつかっていないという方でも、
小風呂敷やバンダナでお弁当を包んだ経験ならば
あるという人は多いと思います。
弁当持参の幼稚園によっては、
結ぶ練習ができるよう、簡単な袋ではなく
風呂敷で包むように決めているところもあります。

趣向が異なりますが、女子校の一部には
サブバッグは風呂敷推奨という学校があり、
購買部でも買えるそうです。
生地の色や柄に決まりはなく、
花柄でも好きなアニメのものでもよいと
ある高校の卒業生から聞いたことがあります。

お弁当つつみを、各対角を真結びするだけと
規定した場合、ふろしきの基本中のきほんとなります。
それでも、結び目が2つあるのでかなりしっかりと結べるため、
通常はランチボックスサイズにしては手堅すぎるのですが、
これは、弁当のフタがひらいたりずれるのを防ぐ
固定のために用いているといえます。

小さくて軽いもの、弁当でもサンドイッチなど
隙間ができてもさほど困らないものなら、
巻いてから左右一対の角のみを真結びする
(おつかい包みと呼ぶ人もいます)ことで間に合います。

お弁当を風呂敷で包むことを、なんか地味で古風で
おしゃれじゃないと感じてしまう観念をお持ちの方は、
2つの方法によって変化をもたせられます。

1.ふろしきそのものの、色や柄を好きなものにする。
 印象は、結んだ形以上に、元の布の見た目の影響がつよいです。
 また、綿・麻・絹・化繊・織り方など素材によるツヤやテクスチャの違いも
 かなり雰囲氣を左右します。

2.結び方をかえる。
 たとえば真結びの角をそれぞれ半分ずつ内側へ折り込んでリボン形にする。
 箱の短い側の対角をしっかりと真結びし、左右の角は、先をちいさめに
 真結びして、持ち手にする。そのとき、ねじっておくと形がととのう。

下の写真は、子どもの浴衣地を2巾つないだ中ふろしきで
お弁当をつつんでいます。
染めの浴衣地は、表面にのっけてるプリントと異なり
目の吸い込まれる魅力があり、一見水玉にみえる団扇の柄も面白いです。
また、結び方は上記の2つを組み合わせており、リボンがついて
持ち手もあるので、まるでハンドバッグのような趣きを奏でています。

まあ、究極的には、中身の弁当に自信があれば、
何で包んであっても氣後れすることはないでしょう。
ふろしきは、考えすぎずにそのときそこにあったものを
自然の流れでえらんで、手のやりたいように結ぶくらいが、
ちょうどよいと思います。



(モデル:asamin'  撮影:白井智)

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形があるようで、実際につかうときの形は不定である風呂敷ですが、
三角に折って、角からパタパタたたんでいくことで帯となり、
これで腰を締めておくことをおすすめします。

帯はきものがはだけないように留めるもの、というのは
その機能の4分の1であり、さらに重要な機能が秘められている。

ご存知チャイナドレスは、両脇にスリットがありますが、
元々は満洲族の服で、その下にはズボンを履きます。
さらにモンゴルの民族衣装にまで遡ることができますが、
そこでは帯を巻いています。

形の似ているベトナムのアオザイは、
チャイナドレスというか満服(旗袍)を参考に
デザイナーがつくったといわれていますが、
旗袍の生地を現地の氣候向きに、薄手で涼しいものに
変更したようなものと考えられます。

現チャイナドレスは、体型に即したような
ラインを見せるために洋裁の技術でできていますが、
もとの旗袍(チーパオ)はゆったりとしているので、
布本来の、四角いまま生かす縫製技術でしょう。
また、前者ドレスは脚を出しますが、後者はズボンです。
満洲の冬はとっても寒いのです。

満州と書かれることが多いですが、本当は「洲」です。
合衆国の州ではなく、三角洲の洲であり、
川や湿地も多い潤いに恵まれた土地の意味もあります。
そのため、稲作も盛んですが、
元々の満洲民族は狩猟がメインで、森もあります。
民族的に、モンゴルは親戚のようなものといわれますが、
そちら側(大興安嶺山脈より西)の草の高原こそが
遊牧民のステージとなります。

話をもどすと、そういうわけで
チャイナドレスのスリットは、遊牧民が
馬にまたがるために脚をひらきやすくする目的であり、
つめ襟は、寒風の吹き込みを防ぐため。
そこは満洲族の旗袍もモンゴルの服も一緒ですが、
違いはというと、モンゴルでは旗袍の上に帯を締めているスタイルです。

ここで、なぜ帯を締めるか問題なのですが、
旗袍(チャイナドレスをゆったりさせて、下にズボン。キョンシーの服も形は同じ)
だけでも、着物とちがって帯がなくてもずれることはありません。
だのに帯するのは、馬に関係があります。

ちなみに一節によると、人類がまだ裸に近い状態で
暮らしていた時代や地域でも、帯はしていたといいます。
帯や縄をするのは、海女さんのように、狩猟道具などを
挟んだり引っかけたりということで、
両手は使いやすく自由にしておくことは、
昔はもっと大事なことだったのかもしれません。

馬にゆられて、胃も揺さぶられると、
消化不良につながったり、下方へ伸びて胃下垂の原因にもなる。
そこで、日常的に乗馬をするモンゴルの民族は
帯をする必要に迫られたということです。

きものは日本の伝統的な民族衣装と、今ではなっていますが
縄文時代までさかのぼっていくと、ポンチョのように
頭を通してかぶる、貫頭衣になります。素材は大あさや苧麻や葛布など。
現在の着物のかたちは、大陸の絹の文化と多湿の風土に合わせた風とおし、
騎馬民族の帯など、いろいろ混ざりながら変化してできている。

米食は胃下垂になりやすいため、胃を支える帯は理に適っています。
ご飯は水に沈むので、胃を下げやすい。
肉類は脂肪もありますし、胃酸で分解されて意外と早く
フワフワになるのですが、
ご飯はよく噛まないと沈み、腹持ちはよくなりますが胃も沈みやすくなる。

そんなわけで、短い昼休みにお米を早食いしがちな現代日本人こそ、
腰に帯を締めたらよいと思っています。
締める高さも、胃を下から支えたいわけなので、
ウエストよりも下がよいです。上に締めるとかえって胃を下げかねませんが、
その前に、窮屈であまり食べられなくなり、とにかく苦しくなってしまいます。

ところが、普段着にきものの帯を巻くというのは、たとえ
半幅でも、角帯でも、へこ帯であってもかさばってしまうので、
中~大ふろしきを斜めにたたんだものが都合よく効果的。
バイアスの伸縮によって、一周でもきちんと締まりますし、
ゴムのような終わりなき圧力がないので、血流やリンパの流れの
促進にも貢献すると思っています。
ふろしきがなければ、バンダナやハンカチをたたんだものを、
短ければ2本以上つなげると間に合います。
そういう、見えない部分でも基礎として整えておくことで、
身体のパフォーマンスや制御、負担軽減などに生かされることでしょう。

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声に出さなくても、全てはメッセージとなる。

昔の白黒写真に、荷物をふろしきで巻いた、さらに上からひもでくくって
背負っているものがあった。
巻いたままでは角がぴらりんとゆらぐし、ひもでより安定させることができる。
風呂敷は、中身や目的に合わせて毎回新しい技を即興でととのえる心意氣が要る。



(モデル:asamin')

この写真では、ふろしき1枚で、巻きとひもの両者を機能させているが、
さように固定させているのは、そう易易とは取り出さない中身なのかと。

荷物をまとめて背負いながら、腰の下にも風呂敷を敷いている。
起き上がった後に、これはどのように持ち運ぶのだろう?
手で持っていくとも考えにくいので、腰に巻くか、マントにすることになる。
背の荷はかなり大事そうなので、それをさらに覆い守る意味では
マントがよい。服装は春か秋ぽいので、寒さよけにもなる。

来たときに羽織っていたものをほどいてまで腰に敷くなら、
それなりの時間座ることになるから、小休憩ではなく
何かを待っている可能性がある。
シャッターは閉まっているが街はあかるい。開店前か。
ドラゴンクエストⅢかWindows95待ちなのかは知らない。

どこか懐かしさをかんじてしまったのは、
ワンピースの間に巻かれた絣の風呂敷が
帯に見えてきたのと、エリの抜き感も相まって
きものの要素をはらんでいるためか。

敷いた風呂敷はマントにすると先述したが、
カメラに向けた表情はさほど緊張していないので、
仲間がいて、風呂敷はその人が提供したのかもしれない。
よりグレーター座布団へ進化させるなら、
他のふろしきやタオルなんかをくるむと
クッションになるが、そこまではしていないため、
長時間は座らないはず。

ほんのわずかに疲れても見えるので、
やはり道中のわずかな休憩であり、
遅からずふたたび歩き出すだろう。
背負いたる荷物は、未来なのだ。

furoshikigirl

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