「誠和之道」、書は故溝渕増巳氏。
三代前の高知県知事だったかたです。
三代前といっても、彼以降の高知県知事は皆がみな長期政権でしたので、ずい分と昔のかたですね。
ちなみに、在任期間は昭和30年から昭和50年までですから、私の幼少年時代は、ずっとこの人が知事さんでした。
うん、なんだか顔を思い出してきたぞ。
以上、本文とはあまり関係がない前振りです。
さて、誠和地区というのはこの道を登っていた先の開拓地の地名です。
私たちの工事が終わったのが昨年の12月。そのあと3件の工事を施工していたようですが、3月でそれも終わり、めでたく全線拡幅完成とあいなりました。
そしてその全線完成後、今日はじめて私が通ってみた、というわけなのです。
終点。
私は、どういった種類の工事をしたにせよ、最終の完成形になった「場所」へは、そのあと何回も足を運ぶようにしています。
まそれは、思い入れの強い現場ほど回数が多くなったりはするのですが、基本的に、どの「場所」にも行くように努めているつもりです。
なぜか?
それは何度も書いているように、私たち(公共土木工事業者)がつくるモノとは、単なる構造「物」としてだけではなく、「モノ=場所」という意味合いのほうが強いからだと考えるからなのです。
なにも発注者としての行政が、そんなことを要求しているわけではありません(今のところ)。
発注者が私たち施工業者に望むところの「良い品質」とは、第一に仕様や基準を満足した土木構造物なのです。
もちろん技術屋たるもの、そのことを抜きにしては「土木のしごと」をする値打ちがないのは当然のことですが、
私はどちらかと言えば(これはけっこう以前からそういう傾向があるのですが)、その「モノ=場所」の機能であるとか利便性であるとかが、目的にかなっているかどうか、使う人にとってどうか、などに目が向いてしまいます。
ですから、こうやって足を運びつつ、設計書どおりにはつくったものの、また、設計書にない提案をあれこれしたものの、「こんなところはこんなふうにしたらイカンかったな」とか、「あんなとこはこうするべきだったな」とか、「お、これは思ったとおり、大成功!(ニタニタ)」とか、あれやこれやを「ふりかえり」「気づき」、そして次の「やる」に活かそうとしたいのです。
そして土木技術者のPDCAサイクルとは、そういう大きなサイクルのなかにもまたあるのだと、そう思うのです。
(by ひの@答えは現場にあり)