ひのです。
工事が終わってもまだ、加領郷橋の話が続くのは、
私が奈半利町加領郷という土地が大好きなことにかてて加えて、
私たちに地元の人たちが接してくれたその姿勢に、
なんだか「昭和のにおい」を感じてしまったからかもしれません。
さて、ボンズ9号くんが「お礼」に磨いていたくだんの祠のなかには、なぜかお地蔵さんが2体、鎮座ましていらっしゃいます。
とはいえ普段から、自他ともに認める信心浅いこの私のことですから、そのことについて特別なんにも思ってはいなかったのですが、
地元のオジサンが教えてくれた逸話がちょっと不思議な話だったので、紹介します。
いつごろやったかよう覚えてないけんど、
そりゃふとい台風がきたがよ。
ほんでこの橋のうえにも水がのって、
いやそのころは、このへんが波をかぶることは珍しゅうなかったけんどねえ、
そのときの波は、そりゃけっこうなもんじゃった。
ほんで、お地蔵さんが、どこへ行ってしもうたかわからんなったがよ。
皆んなあで、「そのへんに埋まっちゃあせんろうか」、というて探しまわったけんど、どういてもよう見つけざって、
「おおのバッサリ(残念)やにゃあ」、と話をしよったある日、
西のほうからひとりのお婆さんが、重そうに何かを背負うて歩いてきて、
ようよう見るとお地蔵さんじゃいか。
「この前の台風でアタシのところへ流れ着いてきちょったがは、人に聴いたらどうもここのお地蔵さんみたいぞね」、
「へんしも(すぐに)、もとへ戻しちゃらないかんと思うて連れてきたがよ」。
喜んだ加領郷の人らあは、お地蔵さんの住まいとして祠をつくり、手厚く祭ったがやと。
それから、どればあ、たったころやったろうか。
ほれほんのそこよ、その先に、もとおったお地蔵さんが埋まっちょったがが見つかったがよ。
それもまた喜んだ加領郷の人らあは、「どうせやったら、お二方とも一緒におってもろうたらえいが」と、
それからこのかた、2体のお地蔵さんを、今までずっとお世話させてもらいゆうがよ。
それにしても、「西のほう」から来たそのお婆さん、
オジサンに何度か確かめるのですが、「西のほう」としか答えません。
どこそこの誰々とは伝わっていない。
それがまたこの話を、「なんだかちょっと不思議な話」にさせるんですよねえ。
※ちょっと(昔話ふうに)脚色してみましたが、大筋はくずしていません。念のため。