先住民族関連ニュース

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与那国の小学生、台湾・花蓮訪問 臭豆腐やタピオカミルクティーに舌鼓

2023-10-19 | ウチナー・沖縄

中央社フォーカス台湾2023年10月18日 14時27分 

(花蓮中央社)沖縄県与那国町の小学校に通う6年生の児童らが修学旅行で東部・花蓮県花蓮市を訪れた。16日には夜市を巡り、台湾グルメに舌鼓を打った他、17日の市公所(役所)訪問時には、魏嘉彦(ぎかげん)市長から小籠包やタピオカミルクティーのもてなしを受けた。

花蓮市と与那国町は1982年に姉妹都市提携を締結している。今回花蓮を訪問したのは、与那国小と久部良小の児童や関係者ら。到着後には東大門夜市で臭豆腐や台湾風唐揚げを味わい、バスケットボールを使った玉入れや射的などのゲームに興じた。

市公所で児童と面会した魏氏は、来年には台湾と与那国を結ぶフェリーが試験的に運航されることなどに触れ、旅行客の移動利便性の向上に期待を示した。

児童の一人は、4年前に兄が修学旅行で花蓮を訪れ、台湾の食べ物に深い印象を残していたと話し、今回の訪問でようやく食べられたと喜んだ。

児童らに同行した与那国町教育委員会の寺村有美恵教育長によると、17日から2日間は花蓮県光復郷で地元の小学生と交流を図り、台湾原住民(先住民)族の文化に触れるという。

(張祈/編集:齊藤啓介)

https://news.livedoor.com/article/detail/25189849/


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危機的方言を次世代へ サミットで改善策など討論

2023-10-18 | ウチナー・沖縄

八重山毎日新聞2023年10月17日 

方言の聞き比べをする各地の話者ら=14日、久部良小学校体育館(提供)

与那国島大会

 【与那国】危機的な状況にある方言を次世代への継承を目指す「危機的な状況にある言語・方言サミット与那国島大会」(文化庁主催、沖縄県、与那国町など共催)が14、15日の2日間、久部良小学校体育館で開かれ、言葉の役割や価値について考え危機的な状況を改善する討論や協議を行った。国内には消滅危機にある言語・方言が八カ所余あり、与那国方言もその一つ。会場には延べ200人余の人たちが詰めかけた。

 サミットはアイヌ語、八丈方言、奄美方言、国頭方言、沖縄方言、宮古方言、八重山方言、与那国方言の地域におかれた状況、普及に係る取り組み事例の紹介や聞き比べ、講演、協議などを通して問題意識を共有し状況の改善を図ることを目的としている。

 糸数健一町長は「町民の意識は多様化している言葉は文化を支える財産、消滅すると多くの文化も失う方言復興の実現を願う」とあいさつ。言語・方言について遠くは北海道などから研究者らが集い、かつて地域の生活、文化を支えた方言の魅力を解説し紹介した。

 祖納青年会ダーナラシ(座ならし)、棒踊りのほか民俗芸能伝承保存会の舞踊でオープニング。

 信州大学の中澤光平氏が「どぅなんむぬい辞典から考えた言語継承と研究者の役割」で基調講演。国立国語研究所の山田真寛氏が危機方言の現況を報告した。

 方言の聞き比べでは奄美大島など各地の話者が登壇し地元の言葉を紹介。初対面の際「始めまして」を「イランカラプテ」(アイヌ語)、「ハディミティドゥアンスヤ」(与那国祖納)、「ハディミティドゥワルンディサー」(同比川)、「ハディミティヤ」(同久部良)など場に応じた言い回しを披露。またアイヌの唄・語り、津軽の二人芝居、与那国の狂言劇を方言で演じた。フロアの各地のブースでは普及活動する方言パンフなどが並べられ会場は方言一色に包まれた。

 共催の与那国方言辞典編集委員会事務局は「予想を上回る来場者に各島々との縁ができた方言の継承に弾みがつく」と期待した。 

 会場を訪れた男性は「方言の衰退はさびしい。文化の多様性を考えるきっかけにしたい」と腕を組んだ。(田頭政英通信員)

https://www.y-mainichi.co.jp/news/39937


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“日中両属”だった琉球が日本に帰属…「沖縄」となった理由【歴史】

2023-10-18 | ウチナー・沖縄

 THE GOLD ONLINE2023年10月17日 17時0分

明治初期の日本では領域(主権が及ぶ範囲)の画定が進むなか、日中両属であった「琉球」の帰属が問題化しました。明治政府は「琉球奪還」のため、いったいどのような手段を用いたのでしょうか。有名予備校講師で『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)著者の山中裕典氏が、明治初期(1870年代)の外交について解説します。

明治初期の外交(1870年代)

対欧米関係~不平等条約の改正は、どのように始まったのか?

明治政府は、不平等条約の改正による欧米と対等な地位の獲得をめざしました。廃藩()置県()で国内統一を達成した直後、公家出身の右大臣岩倉()()視()を大使、木戸()()()(長州)・大久保()利通()(薩摩)・伊藤()博文()(長州)らを副使とし、総勢100名を超える岩倉使節団(1871~73)を派遣しました。

しかし、アメリカとの交渉は手続きの不備もあって失敗し、情勢視察による日本の国家像の模索に目標を変更して、使節団はヨーロッパへ巡回しました。

使節団には、アメリカに留学した津田()梅子()(のち女子英学()塾()を開く)や、フランスに留学した中江()()((ルソーの思想を紹介し自由民権運動に影響を与える)も同行しました。

対東アジア関係

[図表1]明治初期の東アジアと日本(概念図)出所:『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より抜粋

当時の清はアヘン戦争以来の列強進出に対抗するため、朝貢()国への()主権()を主張してこれを属国扱いし、介入を強めつつありました。

日本は、この動きに近代の論理で臨み、「近代国家の三要素」の一つである領域(主権が及ぶ範囲)の画定を進めました。

(1)琉球帰属問題をめぐって、清とはどのような関係にあったのか?

日本は清()国との間で対等な日清()修好()条規()(1871)を結びましたが、日中両属であった琉球の帰属が問題化しました。

日本は琉球を領域に組み入れる方針を固めるとともに、当時台湾で発生した琉球漂流民殺害事件を利用し、「琉球民=日本国民」とみなして殺害の責任を清国に負わせようとしました。そして、琉球藩(1872)を設置して琉球を直轄化し、琉球国王尚泰(しょうたい)を藩王としましたが、清国は琉球への宗主権を主張して日本へ抗議し、これを認めませんでした。

その後、琉球漂流民殺害事件に対する報復として、近代日本初の海外出兵となる台湾出兵(1874)を断行しました(木戸()孝()允()は出兵に反対して政府を辞職)。イギリスの調停もあり、清国はこの出兵を正当な行動と認め、事実上の賠償金を日本へ支払いました。

「琉球民=日本国民」を清が承認したと見なした日本は、琉球藩廃止と沖縄県設置を強行しました(1879琉球処分)。政府は沖縄県の統治にあたって旧慣温存策をとり、沖縄の近代化は遅れました。

()()昇(じゃはなのぼる)による参政権獲得運動などが起きたものの、沖縄県での衆議院議員選挙の実施は、本土の1890年から遅れた1912年(大正元年)のことでした。

一枚岩ではなかった…“征韓”、北海道帰属をめぐる明治政府

(2)朝鮮に対し、日本はどのような姿勢で臨んだのか?

朝鮮外交を担った対馬藩が消滅したのち、日本の国交要求を朝鮮が拒否すると、軍事力を用いてでも朝鮮を開国させる()韓論()が政府内で唱えられました。

しかし、帰国した岩倉使節団メンバーが「内治()優先」を唱えて反対し、征韓が中止されると、敗れた征韓派の西郷()隆盛()(薩摩)・板垣退)助()(土佐)・後藤()象()二郎()(土佐)・江藤)新平()(肥前)は辞職しました(1873明治六年の政変)。

ところが、その後の日本は朝鮮へ軍艦を派遣して挑発行為を行い、朝鮮からの反撃を口実に江()華()島()を占領して開国を迫り(1875江()華()島()事件)、朝鮮と日()朝()修好()条規(1876)を結びました。朝鮮は「自主ノ邦(くに)」「日本国ト平等ノ権ヲ保有」と規定され、建前では独立・対等な近代国家同士の条約を日朝間で結ぶことで、清の宗主権を朝鮮に否定させたのです。

一方、領事裁判権を朝鮮に承認させ、関税免除の特権も得るなど、実際は日本に有利な不平等条約だったので、その後の日本は朝鮮への政治的・経済的進出を強めていきました。

(3)政府は、北海道をどのように統治したのか?

政府は、蝦夷地()を北海道と改称して開拓使()を設置し、アメリカ式の大農場経営方式を採用し、開拓と対ロシア防衛のため屯田兵制度も設けました(士族授産の一環)。さらに、札幌農学校を設立し、アメリカからクラーク(“Boys,be ambitious!”)を招きました。

しかし、政府がアイヌの「日本人への同化」を基調に日本語教育や農業奨励を推進したことで、伝統的な文化や生活が失われていき、その傾向は北海道旧土人保護法が制定されて拍車がかかりました。

国境の画定~北方と南方とで、どのように国境が画定したのか?

[図表2]明治初期におけるロシアとの国境(略地図)出所:『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より抜粋

北方では、日露間で樺()太()・千島()交換()条約()(1875)が結ばれ、国境を定めていなかった樺太がロシアに譲られる代わりに、ロシア領だった得撫島から先の千島列島を全て日本領としました。

南方では、小笠原諸島の領有を各国に通告して内務省が管轄し、のち東京府に編入されました。

山中 裕典

河合塾/東進ハイスクール・東進衛星予備校講師

https://news.livedoor.com/article/detail/25183927/


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沖縄の与那国島で南部弁・津軽弁2人芝居 方言サミット沸かす

2023-10-16 | ウチナー・沖縄

東奥日報2023.10.15

方言サミット与那国島大会で2人芝居を披露する柾谷さん(左)と長谷川さん=14日午後、沖縄県与那国町立久部良小体育館© 東奥日報社

 方言の次世代への保存・継承に向けた「危機的な状況にある言語・方言サミット与那国島大会」(文化庁、沖縄県などが主催)が14日、沖縄県・与那国島の与那国町立久部良(くぶら)小学校体育館で開かれた。青森県から、南部弁の保存・継承に尽力してきた八戸市公民館長の柾谷(まさや)伸夫さん(75)、青森市で浪岡演劇研究会を主宰する長谷川等(ひとし)さん(76)が参加。約200人を前に、南部弁と津軽弁の2人芝居を披露した。会場からは、青森の方言に「響きがユニーク」との感想が聞かれた。 同サミットは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が2009年に消滅の危機にあると報告したアイヌ語(北海道)、奄美大島(鹿児島県)、与那国島(沖縄県)など日本の八つの地域言語の保存・継承を目的に毎年開かれている。

 多様なプログラムのうち、柾谷さんと長谷川さんは全国各地の方言を比較する「聞き比べ」、実際に方言でのやりとりを再現する「表現披露」に参加。聞き比べでは、あいさつの仕方などを分かりやすくネーティブな南部弁と津軽弁で紹介した。

 続く表現披露では、柾谷さんが作・演出を手がけた、シニア世代の再就職をテーマにした2人芝居「こっただ面接ある訳(わげ)ァねえ~津軽弁と南部弁の面接バトル勃発!!~」を披露。軽妙なやりとりに会場からは拍手と笑いが起きていた。

 宮古島から訪れた幼稚園教諭の奥平さゆりさん(53)は「南部弁と津軽弁を初めて聞いたが、響きがとてもユニークと感じた。自分が住む宮古島とのイントネーションの大きな違いに驚いた」と話した。

 5回目の同サミット参加となる柾谷さんは舞台後、取材に「サミットで演劇を披露するのは初の試み。観客にも新鮮に感じてもらえたのではないか」、長谷川さんは「意味は十分伝わらなかったかもしれないが反応が良かったので、音としての津軽弁を楽しんでもらえたと思う」とそれぞれ手応えを語った。

 サミットでは、与那国方言辞典を監修した信州大学の中澤光平講師が言語継承と研究者の役割について基調講演した。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/沖縄の与那国島で南部弁-津軽弁2人芝居-方言サミット沸かす/ar-AA1idRdj


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与那国島で方言サミット始まる 継承へ講演や聞き比べ

2023-10-15 | ウチナー・沖縄

八重山日報2023/10/15

最初にオープニングアトラクションとして、国指定重要無形文化財「ダーナラシ(座ならし)」が祖納青年会によって披露された=14日、久部良小学校

 2023年度危機的な状況にある言語・方言サミット与那国島大会(文化庁主催)が14日、同町立久部良小学校で始まった。15日まで。国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅の危機にあるとした我が国の方言・8言語について、各地域や団体がブースを設け、維持・継承の取り組みを紹介。有識者の講演やアイヌ語や津軽弁と南部弁、与那国語の表現披露、各話者の聞き比べなどが行われている。

 ユネスコは、アイヌ語や八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語「どぅなんむぬい」の8言語が消滅の危機にあると指定。文化庁は東日本大震災の被災地である東北地方の方言も含め、維持・継承に取り組むため、各言語に対する理解を深める機会として、方言サミットを開催している。今回で8回目。
 14日は、与那国方言辞典の編集委員会専門委員である中澤光平氏=信州大学講師=が言語継承と研究者の役割と題し基調講演。
 続いて、石垣島や与那国島(祖納、比川、久部良)など沖縄各地や奄美、青森、北海道(アイヌ)から計14人の話者が登壇し、各言語であいさつを行い、来場者が聞き比べた。
 中澤氏は2016年から18年まで与那国方言保存継承支援事業に参加。与那国方言をまとめた「どぅなんむぬい辞典」の編集を研究者として監修した。
 「どぅなんむぬい」について、中澤氏は「国内で話される言語・方言の中で、最も母音の数が少ない」と紹介。発音などの事例を解説し、八重山諸島や南琉球の言葉との共通点が見られるとした。
 一方、「若い世代や島外から与那国島に移住した人は基本的に与那国語を話さない」と述べ、現在の話者の人数は「300人程度」と分析した。日常生活などで使われる言語であれば「変化は免れない。継承するならば変化を受け入れるべき」とした。
 聞き比べには、石垣島から東大濵剛さん、与那国島から稲藏まさのさん(祖納)、崎枝彦三さん(比川)、玉城孝さん(久部良)が登壇。沖縄本島や宮古島などと共に、初対面でのあいさつ、知り合いにあった時のあいさつなどを各方言で披露した。
 開催地を代表してあいさつした糸数健一町長は「どぅなんむぬい」の保存継承は課題の1つと指摘。「サミットを契機に、消滅危機にある言語・方言の復興が実現することを願う」と力を込めた。
 オープニングアトラクションとして、与那国の芸能「ダーナラシ(座ならし)」、「ミティ唄」、「ティンバイ(棒踊り)」が披露された。

https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/21968


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「先住民勧告」議論を 地方議員ら県議会に要請

2023-10-12 | ウチナー・沖縄

八重山日報10/12(木) 4:00配信

 「沖縄の人々を先住民族とする国連勧告の撤回を実現させる沖縄地方議員連盟」代表の町田裕介沖縄市議らが11日、県庁で記者会見し、県議会で国連勧告に関する議論を行うよう求めた。

 同連盟によると、国連の自由権規約委員会と先住民族差別撤廃委員会で2008年から計6回、沖縄の人々を先住民族とする勧告が出された。同連盟はこの件に関し、2021年から県議会総務企画委員会に審議を求める陳情書を4回提出しているが、すべて継続審議のままとなっている。

 連盟は10日、県議会の各会派に対し、先住民勧告に関する議論を求める要請書を提出した。

 記者会見で町田氏は「県民も議会も議論に参加する機会もなく勧告が出されるという大事件に対し、県議会で問題意識も持つこともなく、議論もしないのは、議会の存在意義が問われる」と批判。

 県に対しても「誰がいつどのような働き掛けをして、沖縄の人々を先住民族とする国連勧告が出されたのか、経緯をしっかり調査して県の広報、ホームページで発表し、再発防止の措置を講じてほしい」と求めた。連盟としては、国連勧告は撤回すべきとの考えを改めて示した。

 来年県議選が行われることから、県議会で陳情書に対する結論が出ないまま審議未了となる可能性も懸念した。

 記者会見に同席した連盟事務局の仲村覚氏は「陳情したが、ほとんど議論されないまま継続審議になっている。各政党は勧告に対する態度を表明すべき時期だ」と訴えた。

 議員連盟には県内各地方議会の12人が所属している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e256719f7b231e6cc2e9ffc437a9dcb70ce1ae3


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「なぜ沖縄で死なないといけなかったのか」辺野古埋めたてに声をあげた県外遺族 戦没者の遺骨は…

2023-10-11 | ウチナー・沖縄

琉球放送2023/10/9

普天間基地の辺野古移設をめぐって、沖縄防衛局は埋め立てに使用する土砂を、沖縄本島南部から調達する計画を立てています。

沖縄戦の激戦地ある南部からの採取は、戦没者の遺骨が混じる可能性があるなどと反発も起き、先月には県外に住む沖縄戦の戦没者遺族が来沖し、防衛局に抗議しました。

声を上げずにはいられなかった訴えに耳を傾けました。

祖父の帰りを待つ遺族 いまだ多くの遺骨が眠る本島南部

ことし慰霊の日、糸満市の摩文仁を訪れたのは、北海道出身で、現在は千葉に暮らす米本わか子さん。礎の前で必ず行う儀式がボレロを流すことです。

北海道の遺族 米本わか子さん

「祖父はラヴェルのボレロが好きでした。祖母とデートしていた時に聞かせてあげた曲」

米本さんの祖父・岡田芳廣さんは、北海道から獣医大尉として沖縄に派兵され、激戦地となった本島南部で戦死したとされています。

県内で見つかった遺骨はDNA鑑定によって遺族に帰す取り組みが進められていますが、これまでに身元が特定した遺骨は6柱のみ。南部にはいまだ、多くの遺骨が眠っています。

北海道の遺族 米本わか子さん

「あー、ありがとうございました。岡田芳廣!世の中に確かにいました。この人が」

米本さんも祖父の帰りを待ち続けている1人です。

北海道の遺族 米本わか子さん

「ちょっと繁忙期で。ほかの人に仕事を押し付けてきました」

そんな米本さんが先月、急きょ来沖。理由は“祖父の遺骨”の行方に抱いた危機感でした。

「計画に異議を唱えたい」声をあげた県外遺族

普天間基地の移設のため進められている名護市辺野古の埋め立て工事。沖縄防衛局の計画では、埋立てに使う土砂の採取場所に本島南部も含まれています。

南部の土砂には遺骨が混じる可能性があるとして、基地建設に使うことは『人道に反する』と反発が広がっています。

県は防衛局の計画を不承認としてきましたが、先月、この不承認に端を発した裁判で県の敗訴が確定。防衛局の計画が大きく前進する結果を、黙って見過ごすことが出来ず「計画に異議を唱えたい」と米本さんは沖縄を訪れたのでした。

しかし早朝の便を使っても、沖縄に到着したのは10時半頃。防衛局とのアポは11時半とタイトなため、公共交通機関では間に合いません。

米本さんが頼ったのは遺骨収集ボランティア、ガマフヤーの具志堅隆松さんでした。

防衛省との意見交換会を定期的に主催し、防衛省の計画撤回を求め遺族の声を届ける機会を作ってきた具志堅さん。今回米本さんが行う県外遺族として単独での要請活動は、具志堅さんが知る限り初めてだといいます。

遺骨収集ボランティア ガマフヤー 具志堅隆松さん

「本土から女性が一人で声を上げるという事を私は多くの人に知って欲しいと思う。それくらい重要なことなんですよ」

医療機器メンテナンスの仕事を休んで、米本さんの思いを後押しします。

北海道の遺族 米本わか子さん

「戦没者の皆さん、どの家庭も苦労してきているから手足動くものが行くのは普通のことかな。お祖父ちゃんのことに関しては、お祖父ちゃんに動かされている感じがいつもする」

「なぜ沖縄まで来て死なないといけなかったのか」

祖父と同じように沖縄に派兵されたアイヌの人達の思いも届けようと伝統的な刺繍が施された鉢巻き=マタンプシを巻き、背中を押してもらって、防衛局へ。

きのうの仕事終わり、ほとんど寝ずに書き上げた要請書を読み上げます。

北海道の遺族 米本わか子さん

「本計画は戦争で亡くなった方々への冒涜であり、筆舌に尽くしがたい苦悩を強いられてきた、遺族の感情を著しく逆なでするものです。新しい基地の埋め立てに使用するのなら、なぜ沖縄まで来て、死ななければならなかったのでしょうか。国策に矛盾を感じます」

沖縄防衛局の担当者

「本日受けた内容については、担当の方に伝えたいと思う」

移動の総時間はおよそ5時間、やりとりは5分ほどでした。

北海道の遺族 米本わか子さん

「きょうは皆さんの手を借りて、自分のするべきことが果たせたかなと思って。ここからどうなるかね。結局(今回の来沖は)ここに来たかったんじゃないかという説もあるな」

次は知り合いの県外遺族の声も携えて、改めて防衛局に要請したい。“やるべきこと”が明確になった来沖でした。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/なぜ沖縄で死なないといけなかったのか-辺野古埋めたてに声をあげた県外遺族-戦没者の遺骨は/ar-AA1hY3wd


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琉球民族の遺骨返還訴訟 原告が上告しないことを決める 遺骨の返還を願う異例の付言など評価し

2023-10-11 | ウチナー・沖縄

関西テレビ2023/10/9

京都大学に対し、琉球民族の墓から持ち出された遺骨の返還を求め子孫たちが起こした裁判で、敗訴した原告側が控訴審の判決に「意義がある」などとして、上告をしないことを決めました。

琉球王朝の王の子孫などである原告たちは、沖縄県にある百按司墓からおよそ90年前に京都帝国大学の研究者が無断で遺骨を持ち出したとして京都大学に返還を求める裁判を起こしていました。

一審、控訴審ともに原告たちは「請求権がない」などと訴えを退けられていました。

一方原告たちは控訴審判決で、琉球民族が「沖縄地方の先住民族」と言及されたことや、遺骨の返還を願う異例の付言がなされたことに「意義があり、問題解決に大きな効果がある」などとして上告しないことを決めました。

また原告側は「話し合いでの解決を願う」とした控訴審判決の付言を踏まえて来月にも京都大学に対して返還の交渉をすると話しています。

https://www.msn.com/ja-jp/news/other/琉球民族の遺骨返還訴訟-原告が上告しないことを決める-遺骨の返還を願う異例の付言など評価し/ar-AA1hYa4E


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核心を突いた『ウルトラセブン』の名言4選 50年超前の作品から学ぶ“生きる教訓”

2023-10-10 | ウチナー・沖縄

エンカウント2023.10.09

2022年に放送開始55周年を迎えた『ウルトラセブン』は、自らが異星人でありながらも、地球を守るために異星人たちと戦うヒーローだ。セブンの戦闘シーンや葛藤を描いたエピソードは、多くのファンに影響を与えているだろう。今回は『ウルトラセブン』のエピソードから、今でも考えさせられる名言を紹介しよう。

多くのファンに影響を与えた言葉たち

 2022年に放送開始55周年を迎えた『ウルトラセブン』は、自らが異星人でありながらも、地球を守るために異星人たちと戦うヒーローだ。セブンの戦闘シーンや葛藤を描いたエピソードは、多くのファンに影響を与えているだろう。今回は『ウルトラセブン』のエピソードから、今でも考えさせられる名言を紹介しよう。

○「皆、何を疑ってるんだ。まず、相手を信じることです」

 第15話「ウルトラ警備隊西へ(後編)」にて、主人公のモロボシ・ダンが仲間に対し、異星人撃退の研究を中止させるために放った名言だ。ダンは、異星人に地球から退却してもらう条件として、研究の停止を約束していた。しかし、異星人はダンを裏切り攻撃を再開してしまうのだ。ダンの思いは無駄だったのだろうか。この名言は、現代を生きる我々に対して、仲間や社会を「疑って生きているか?」「信じて生きているか?」と問いかけているかのようにも感じる。

○「大きな勇気とたゆまぬ努力が必要だ」

 同セリフは、第28話「700キロを突っ走れ!」での、侵略しようとする異星人から地球を守る「ウルトラ警備隊」の心情が伝わってくる名言だ。爆発に対してトラウマを持つアマギ隊員が、時限爆弾解除に挑み、トラウマを解消するストーリーを総括した言葉といえるだろう。この言葉から、ささやかな力しかなくとも、目的を達成するためには、勇気をもって努力を怠らないことが大切だと教えられた。

○「よし、未知の世界に挑むぞ」

 第31話「悪魔の住む花」でダンが放ったこの発言は、宇宙細菌が侵入した少女を救うために、ウルトラセブンに変身したダンが身体をミクロ化して少女の体内に潜入するシーンで見られた。よく「人間は変化を嫌う生き物」と言われるが、未知の世界に挑むには、変化を嫌うという人間の性質を乗り越えなければならない。宇宙細菌ダリーを倒すため、自身をミクロ化させて戦うという危険な賭けに出たダンの心境がうかがえる言葉だ。目まぐるしく変化の起こる現代において、同セリフから滲み出るダンの勇気ある決断力は、社会で生き抜くために重要な要素ではないだろうか。

○「僕は戦わなければならないんだ」

 第42話「ノンマルトの使者」でセブンの放ったこの名言には、正義とは何かを考えさせられた。ダンの前に現れた少年は、「かつて地球には先住民ノンマルトがいて、現在の地球人によって海底に追いやられた」と話す。続けて、ノンマルトが事件を起こすことを示唆する内容も語った。地球人がノンマルトを追いやったかどうかは謎だが、事件を起こしている以上、ダンは戦わなければならない。一方で「戦わなければならない」という部分から、ダンは葛藤を抱きつつも、貫き通さなければならない正義を表現したのではないだろうか。

 今回紹介した4つの名言は、セブンから今を生きる人たちに向けたメッセージかと思えるような内容だ。偉人の言葉から学ぶことができるように、55年以上前の名作『ウルトラセブン』の名言からも学びを得て生かしてみるのもいいだろう。

https://encount.press/archives/521466/


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琉球民族の遺骨「ふるさとに」 返還請求控訴審、棄却しつつも重い付言

2023-10-07 | ウチナー・沖縄

中日新聞2023年10月6日 16時00分 (10月6日 16時00分更新)

百按司墓を訪れる原告の玉城さん=2019年11月、沖縄県今帰仁村で

 琉球王家の子孫という沖縄県民らが、昭和初期に旧京都帝国大(京都大)の研究者によって同県の墓から研究目的で持ち去られた遺骨の返還を求めた訴訟の控訴審判決が、大阪高裁(大島真一裁判長)であった。判決は請求を退けた一審京都地裁を支持し、原告側の控訴を棄却する一方、付言として「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきだ」と断じた。請求を退けながら、付言では返還を強く促した意味とは。 (安藤恭子)

 「棄却は残念だったが、琉球民族が先住民族であると明確にされた。遺骨を持ち去った研究者と私たちは、日本国民として同じ立場とはならない。これからは胸を張って先住民としての権利を主張し、墓へ帰す協議を求める...

この記事は会員限定です。

https://www.chunichi.co.jp/article/783540


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先住民の遺骨はふるさとに」 沖縄県民側の求めを退けた高裁判決が付言で示した、全く別の意味とは

2023-10-03 | ウチナー・沖縄

東京新聞2023年10月2日 12時00分

 琉球王家の子孫という沖縄県民らが、昭和初期に旧京都帝国大(京都大)の研究者によって同県の墓から研究目的で持ち去られた遺骨の返還を求めた訴訟の控訴審判決が、大阪高裁(大島真一裁判長)であった。判決は請求を退けた一審京都地裁を支持し、原告側の控訴を棄却する一方、付言として「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきだ」と断じた。請求を退けながら、付言では返還を強く促した意味とは。(安藤恭子)

百按司墓を訪れる原告の玉城さん=2019年11月、沖縄県今帰仁村で

◆琉球民族を先住民族と認めた初の判決

 「棄却は残念だったが、琉球民族が先住民族であると明確にされた。遺骨を持ち去った研究者と私たちは、日本国民として同じ立場とはならない。これからは胸を張って先住民としての権利を主張し、墓へ帰す協議を求めることができる」

 9月22日にあった控訴審判決。「こちら特報部」の取材に、原告の玉城毅

たまぐしくつよし

さん(73)=うるま市=は喜びを表した。弁護団によると、琉球民族を先住民族と認めた判決は初という。

 遺骨が持ち去られたのは今帰仁村

なきじんそん

の「百按司墓

むむじゃなばか

」。第一尚氏の王族ら14~15世紀の有力者がまつられたとされる風葬墓だ。4年前に記者が訪れた際も、苔

こけ

むした森の中、岩壁の暗い奥に青白い骨が散らばっていた。研究のために沖縄各所で骨を持ち出して「白骨累々として充満」「百按司墓を採集し尽くした」と記録した人類学者の姿を想像し、ぞっとした。

◆「返還は世界の潮流になりつつある」

 京都大は26体の遺骨を箱に入れて保管している。原告らは2018年、遺骨返還や慰謝料を求め京都地裁に提訴。一審判決は、研究者らが1930年前後に多数の遺骨を持ち出したとし、玉城さんら2人を第一尚氏の子孫と認めつつ、子孫らは他にも多数いるとして、祭祀

さいし

継承者とは認めず、返還請求権はないとした。

 控訴審判決は一審判決を踏襲しながらも結論の終わりに「付言」として、世界各地で先住民の遺骨返還運動が起きていることに触れ、「返還は世界の潮流になりつつある」「遺骨は単なるモノではない。ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」と踏み込んだ。

 訴訟による解決は限界とした上で「関係者が話し合い解決へ向かうことを願う」と促し、将来的な遺骨の保存研究を要望した日本人類学会の書面には「重きを置くことが相当とは思われない」とくぎを刺した。

◆「学知の植民地主義」が続いている

 原告側の丹羽雅雄弁護団長は「アイヌ民族の遺骨を巡る近年の訴訟は、和解で返還の道筋が示されてきた。判決もその流れをくんでいる」と話す。一方で、京都大は「本学の主張が認められたと理解している」とコメントを出した。

 波平恒男・琉球大名誉教授(沖縄近現代史)は「本裁判の問題は、葬制も文化も全く異なる多数派の大和の法に基づき、少数派の琉球人の遺骨返還請求という先住民の権利が裁かれた点にある」とみる。琉球の墳墓は地域の共同体によってまつられ祈りの場とされてきた一方、裁判では本土の家長制を前提とする民法の所有権規定が判断された。

 この矛盾を解消するため、先住民の権利を定める国際人権法に従った国内法の整備が急務だと指摘する。

 「研究者が琉球処分後の沖縄から持ち出した遺骨について、大学は今も所有の正当性を主張し、頑として離さない。『学知の植民地主義』が続いている証左だ。訴訟が求めたのは遺骨の所有権ではなく、元の所に帰して皆でまつるということ。京都大はそのための協議に応じるべきだ」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/280993


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第1回「Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル」11月23日開催 日本初上映、クリストファー・マコト・ヨギ監督特集

2023-09-28 | ウチナー・沖縄

映画.COM2023年9月27日 14:00

メインビジュアル

環太平洋地域にフォーカスした新しい国際映画祭、第1回「Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル」が、11月23日から11月29日の7日間、沖縄県・那覇市の会場を中心に開催される。メインプログラムである、特別セレクション「Director in focus」では、日本初上映となるクリストファー・マコト・ヨギ監督の特集が決定した。

「Cinema at Sea」は、優れた映画の発掘と発信を通じて、各国の文化や民族、個々人の相互理解を深め、将来的に沖縄が環太平洋地域において新たな国際文化交流の場となることを目指し始動した映画祭。環太平洋の各国・島々で製作された映画作品を対象にコンペティション形式による優秀作品の選考と上映を行うほか、製作者向けに国際共同制作を促進するプログラムやワークショップなども企画中で、沖縄を拠点に環太平洋地域の映画産業を盛り上げる長期的な施策を構想している。

本映画祭の顔となるメインビジュアルを担当したのは水や光、人と自然の無意識感覚をテーマにアート活動を続ける山田祐基氏。「海の上の交差点」を表現するビジュアルには、太平洋を巡る潮流が沖縄に戻ってくる「環(わ)」が描かれている。

環太平洋地域の島々から注目の監督を取り上げ、当該地域の優秀な映像作家を紹介する「Director in focus」では、沖縄にルーツを持つハワイ・ホノルル生まれのクリストファー・マコト・ヨギ監督を特集。「August at Akiko's」が2018年にロッテルダム国際映画祭でワールドプレミア上映、「I Was a Simple Man」が2021年のサンダンス映画祭でワールドプレミアとして上映され、世界中の映画評論家たちから高い評価を受けるなど、世界で注目を浴びる新鋭監督だ。4作品が日本初上映される。

そして、本映画祭の取り組みの告知と、映画祭への参加を目的とした「MotionGallery」でのクラウドファンディングや「沖縄・環太平洋映画インダストリー」の企画公募を9月27日から開始する。詳細は下記のクラウドファンディング・プラットフォーム「MotionGallery」のサイト(https://motion-gallery.net/projects/Cinema_at_Sea)に掲載される。

▼メインビジュアル 山田 祐基氏コメント
メインビジュアルのお話をいただいた時、浮かんだのは「海の上の交差点」という言葉でした。

絵を反時計回りに90度回してみてください。
赤く中央を走るラインが赤道。時計の9時の位置から時計回りに、台湾、沖縄、アイヌ、ネイティブアメリカン、マヤ、アンデス、ニュージーランド、東南アジアと巡り、沖縄に戻りつながる「環(わ)」を描きました。

古来から人々は海を行き来し、ものや思い、血の交歓をしてきました。その大部分は目には見えません。でも私たちは心でこのつながりを見ることができます。
人が好奇心に動かされ移動し、近くにいる大切な人や、まだ見ぬ人と手を取りあい笑いあえたら目には見えない環が広がっていくのだと思います。

クリストファー・マコト・ヨギ監督 コメント
ハワイで生まれ育った沖縄人として、いつか沖縄を訪れて自分の作品を上映することが私の生涯の夢でした。私にとって沖縄を訪れるのは今回が初めてであるだけでなく、多くの作品にとっても日本初上映となります。
沖縄の文化を探求して学び、沖縄の家族や親戚を訪れ、そして環太平洋地域からの他の映画製作者やアーティストに会えることをとても楽しみにしています。スポットライトを当て、共有する機会を提供してくれたCinema at Seaに感謝します。

「第一回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル」(https://www.cinema-at-sea.com/)11月23日(木・祝)から11月29日(水)の計7日間で開催。那覇市ぶんかテンブス館テンブスホール、桜坂劇場、那覇文化芸術劇場なはーとがメイン会場となる。

https://eiga.com/news/20230927/10/


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「なぜ『自己決定権』という言葉を使わなかったのか」 国務省当局者、玉城知事が「先住民族論」主張するか注視【知事 国連演説2023】

2023-09-28 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2023年9月27日 19:00

[問う 基地の人権侵害 知事 国連演説2023](3)

 米政府は玉城デニー知事の国連訪問行動をどう見ているのか。国務省当局者は「米政府は、他国の内政問題にコメントしない」と述べた後、「個人的な興味だが」と前置きして問いを向けた。「玉城知事はなぜ『自己決定権』という言葉を使わなかったのか」

 知事の国連訪問行動に関心の低い米政府が注目していたのは、知事が国連の場で沖縄の「自己決定権」を主張するか否かだった。なぜか。

 その理由を、故翁長雄志前知事時代に普天間飛行場移設問題に関わった元国務省高官はこう語る。

 「国連で訴えるにしても、先住民族の権利を主張した場合...

この記事は有料会員限定です。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1229432


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琉球遺骨訴訟で判決 故郷への返還急ぐべきだ

2023-09-27 | ウチナー・沖縄

毎日新聞 2023/9/27 東京朝刊 851文字

 「持ち出された遺骨は、ふるさとに帰すべきである」。裁判所の指摘は重い。人類学の研究を理由に不当な方法で集められた骨の返還に、大学や研究機関は努めなければならない。

 沖縄県今帰仁(なきじん)村の琉球王国時代の墓所から持ち出された骨の返還を子孫らが京都大に求めた訴訟で、大阪高裁が判決を出した。

 地元共同体の総意とは認め難いことなどから訴えそのものは退けたが、原告の心情に寄り添い、返還が妥当との見解を示した。

 訴訟による解決には限界があると認めつつ、「遺骨は単なるモノではない」と指摘し、「ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」と言及した。

 京大と、子孫や地元教育委員会が話し合い、沖縄への返還による解決の道を探るよう促した。

 保管の継続を求める学会の要望に関しては、「相当とは思われない」と認めなかった。学会全体の課題として指摘を重く受け止めるべきだ。

 近代以降、骨を分析して民族の来歴を探る人類学が盛んになった。この過程で地域社会の同意なしに集められた骨は多い。

 子孫らによる祭祀(さいし)が続いている墓所の骨や、遺族らの同意を得ていない遺骨を研究対象にすべきではないのは当然だ。

 近年、アイヌ民族の遺骨を巡る訴訟の多くは、和解で返還の道筋がついた。学会は、以前から課題とされてきた研究倫理の指針作りを急がねばならない。

 2007年の国連総会で、「先住民族の権利に関する宣言」が採択され、共同体の祖先の遺骨を取り戻す権利が認められた。

 欧米では取り組みが進んでおり、「本来の地への返還は、現在世界の潮流になりつつある」との認識を高裁も示した。

 今年春、豪州から約1世紀ぶりにアイヌの遺骨が返された。豪州側は、先住民アボリジニの遺骨を返すよう要請しているが、日本側の取り組みは遅れている。

 国連総会で宣言に賛成票を投じた日本政府には「遺骨返還を可能にするよう努める責務」がある。

 国は従来、遺骨の取り扱いに関し、所蔵機関の判断任せにしてきた。責任を自覚し、子孫の思いに応えられるよう後押しすべきだ。

https://mainichi.jp/articles/20230927/ddm/005/070/104000c


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<社説>高裁、琉球遺骨返還棄却 京大は世界の潮流に従え

2023-09-24 | ウチナー・沖縄

琉球新報 2023年09月24日 05:00

 旧京都帝国大(京都大)の研究者が昭和初期に今帰仁村の「百按司(むむじゃな)墓」から研究目的で持ち去った遺骨の返還を琉球王家の子孫とする県民らが大学に求めた訴訟で、大阪高裁は請求を退けた一審を支持し、原告の控訴を棄却した。

 一方、原告らを「沖縄地方の先住民族である琉球民族に属する」と認定した。付言(ふげん)でも遺骨の返還は世界の潮流になりつつあるとし「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきだ」と指摘した。京都大は一刻も早く骨を返すべきである。
 京都大の返還拒否や、それを追認した判決には、日本本土(ヤマト)の沖縄に対する継続的な植民地主義が垣間見える。そもそも、日本本土と沖縄では墓を巡る慣習が違うが、それを考慮せず、日本本土の慣習に沿う民法だけで判断したからだ。その根本を改め、日本の法律に限界があるのなら国際人権法の趣旨を踏まえた判断をすべきだ。
 だが判決は原告が主張した国際人権法や憲法に基づく遺骨返還請求権はないとした。墓に参拝している子孫らは他にも多数いると考えられ、民法で請求権がある祭祀(さいし)の主宰者とは認められないとした。
 波平恒男琉球大名誉教授が指摘するように、琉球・沖縄と日本本土では、墓制や葬制などの伝統的慣習が大きく異なる。沖縄ではお墓の集団的利用が広く行われてきたが、民法は家族単位の墓が単独相続される日本本土の慣習を想定しているとみられる。
 波平氏は「本裁判の問題性は多数派の大和人の法に基づいて少数派の琉球人の遺骨返還請求が裁かれている点にある」と指摘。植民地主義の過去の清算や沖縄の自己決定権の確立とも深く関わるという。
 一方、付言で原告らを「沖縄地方の先住民族である琉球民族に属する」と認めた点は重要だ。自己決定権など沖縄の人々の権利回復との関わりが議論されているからだ。
 国連は2008年に沖縄の人々を先住民族と公式に認め、日本政府に基地問題などの差別の改善や、沖縄の言語、文化の保護を何度も勧告している。だが政府は沖縄の居住者・出身者は日本民族だとし勧告を受け入れていない。
 国際法である先住民族権利宣言は、先住民族の合意がない限り、先住民族の土地の軍事利用を禁じている。沖縄の人々を先住民族と認めると政府は基地問題など、これまでの沖縄政策の「不正」を是正せざるを得なくなるため認めたくないのであろう。
 付言は訴訟での解決には限界があるとし、関係者に対話を促した。その前に裁判所は国際人権法の趣旨の実現を考えるべきではなかったか。琉球民族を先住民族と認めた付言に、原告は、アイヌ民族を先住民族と初めて認めた二風谷(にぶたに)ダム建設を巡る札幌地裁判決を重ねた。上告する方針だ。遺骨返還は世界の潮流である。最高裁には世界の潮流に沿う妥当な判決を求める。

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2303285.html


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