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蝦夷地を北海道と名付けたのは誰かご存知?松浦武四郎 アイヌの搾取に抵抗する

2025-02-10 | アイヌ民族関連

 

武将ジャパン 2025/02/09

北海道が成立してから、150年という歳月が流れました。

それを記念して2019年7月15日(北海道では6月7日)に放映されたのが、NHKドラマ『永遠のニシパ』。

この年に放映されたのは偶然ではない気がします。

というのも2019年は、アイヌ新法案が提出された年だからです。

アイヌは先住民族である――。

歴史的経緯を見てごく当たり前のこの真実、この年まで法で定められてはおりませんでした。

それどころか同法案を【日本人の対立を招く】として、差別的にバッシングする動きもあるほど。

もしも彼が生きていれば、こんな現代を見てどう思うか。

『まったく変わっていないではないか!』

松浦武四郎――。

まだ「蝦夷地」と呼ばれた土地を探検し、「北海道」の命名者となった江戸期の人物で、明治21年(1888年)2月10日が命日。

本稿ではその生涯を振り返ってみましょう。

松浦武四郎/wikipediaより引用

文化年間に生まれた松浦武四郎

江戸時代というと、こんなイメージがあるかもしれません。

幕末だ、何だとドタバタし始めたのはペリーの来航以降のことで、それまでの日本人は太平に慣れきっていた。

と、これが実はそうでもありません。

19世紀はじめ、ヨーロッパはナポレオン戦争で荒れ果て、その余波は、地球を回って日本にも到達。知識人はナポレオンの伝記を読み漁る等して、動乱を感じておりました。

こうした話は、武士階級だけではありません。

豪農でも、国際情勢や愛国心に目覚める人物がおりました。

後に西郷隆盛の命令で江戸でテロ活動をした相楽総三もその一人でしょう。

あるいは、それまで平穏に生きていたにも関わらず、情熱をたぎらせ上洛した松尾多勢子のような女性もいたほどでした。

文化15年(1818年)――。

伊勢国の徳川家領地士・松浦桂介時春の三男として生まれたその赤ん坊・武四郎も、こうした時代の申し子でした。

地士とは、苗字帯刀を許された庄屋(村の長)のことです。

彼が生まれた時代は、ナポレオン戦争終結の3年後。歴史的に見ても、ターニングポイントの時期です。

ロシアと国境を接していた蝦夷地の松前藩は、不凍港を目指すロシア南下の脅威にさらされつつありました。

松前藩が所領を幕府に召し上げられ、海防のため奥羽諸藩が蝦夷地を支配した時期もあったのです。

それが一時停止したのは、ロシアがナポレオン戦争に巻き込まれたから。

松前藩にとって一息つけた時期が終わり始めた頃に、彼は生まれたのでした。

夢は諸国放浪! 海を越えたい!

父の松浦桂介は、秀才でした。

本居宣長のもとで国学を学び、茶道を嗜む風流な人でもあったのです。

その末っ子である松浦武四郎は、父の愛を受けたやんちゃな子として育ちます。

彼は幼時に剃髪し、寺で学問を学んだこともありました。

学問のみならず、慈愛の心を学んだことが、その性格に影響を与えたことでしょう。

津藩の儒学者・平松楽斎の塾で、13歳から三年間学んだことも。

しかし、この師匠からは破門されています。理由は不明。どうにも我慢がならないと耐えきれない性格のようです。

とても塾でジンワリと学んでいられるようなタイプではない。

13歳の彼にこんな話があります。

そのとき武四郎は「文政のお蔭参り」をジッと見つめていました。いわゆる【伊勢参り】をする旅人の姿に、強い憧れを抱いていたのです。

夢は、諸国放浪だ――。

として天保4年(1833年)に家出し、一ヶ月ほどで連れ戻されています。こんな性格では、師匠も怒ったことでしょう。

松浦の夢は大きいものでした。

江戸、京都、大阪、長崎……それどころか、唐や天竺まで行きたいと手紙に書いていたほど。

外国――日本の外まで見たい!

まだ鎖国の時代に、そう夢見る少年だったのです。

そんな我が子の夢を、親も受け入れざるを得ません。

嫡男ならばまだしも、兄がいる末っ子です。そういう気楽さも、彼には幸いしたのでしょう。

17歳から21歳にかけては、仙台から鹿児島まで。旅の費用は、篆刻や四書五経、漢詩の講義で稼いでおりました。

知的かつ器用で、かつ親の仕送りをあてにしていなかったわけですね。

18歳の時は、あの天保の改革でお馴染みの水野忠邦の奥向で半年ほど奉公したことも。

21歳になると、長崎で大病に罹ってしまいます。回復後、しばらく仏僧として、看病をしてくれた周囲にお礼として仕えていたこともあります。

とはいえ、目的はそれだけとも思えません。

大塩平八郎の乱」の影響もあり、幕府の目が厳しい中、淡々と海を越えられないかと期待し、3年間待っていたとも考えられます。

勉強をしたい。

できれば出世もしたい。

それでも、やっぱり旅をしたい!

そんな好奇心旺盛な青年であったのです。

蝦夷地への旅

そんな彼に転機が訪れたのが、天保14年(1843年)のことでした。

この3年前にはアヘン戦争が勃発。

捕鯨船の出没も増え、「外国船打払令」では対応できなくなりつつあった頃です。

そしてここが重要な点です。

アメリカやイギリスよりもっと前に、日本に迫っていた外国の脅威――。

それがロシアでした。

ペリーの黒船に注目が集まるためあまり知られておりませんが、文化年間(1804-1818年)辺りから、樺太や択捉にロシア戦艦が出没する事件が相次いでいます(「文化露寇」)。

漂流民も増えています。

蝦夷地にロシアが迫っているらしい――よし、これより蝦夷地を回ってみよう。

そして、そのことをいつかこの国のために役立てようではないか。

松浦はそう考えると実家に戻って、現地への上陸を決意。弘化2年(1845年)に津軽から、松前藩領・江差に渡ったのでした。

ここで、考えておきたいことがあります。

ゴローニンらが漂着し、幕府もロシアに対する危険を察知している。

それなのに、奥歯に物が挟まったような感覚がある。

それが幕末の北方事情です。

松浦武四郎が、その目と足、そして筆で暴くのです。

そこはアイヌモシリだった

蝦夷地で出会った人々。

それはアイヌでした。

彼の渡航歴は以下のように3度あります。

1回目:1845年6月〜10月

2回目:1846年4月〜9月

3回目:1849年閏4月〜6月

松浦は蝦夷地を隅々まで歩き回り、アイヌの知恵、勇気、優しさ、助け合いの精神に感銘を受けました。

蝦夷地とは、まさしくアイヌモシリ(人間の静かなる大地)だったのです。

アイヌも、松浦を歓迎しました。

「酷いシャモ(和人のこと、地方によって呼び方は異なる)も多いもの。でも、そんなニシパ(旦那)の中で、あなたはよい人だ」

アイヌは親切にもてなし、料理をふるまい、興味深い話を聞かせてくれるのです。彼らの言葉を学びながら、松浦は『蝦夷日誌』はじめとする多くの著作に残しました。

生き生きとした筆致でアイヌの姿が記録されています。

マキリ(小刀)だけでヒグマと対峙し追い払い、子グマをコタンまで連れ帰った烈婦。

親のために狩りをして、食料を求め、届ける孝子。

関羽の髭を見て憧れて伸ばし、その髭で子供を遊ばせる酋長。

松浦の知的好奇心は、そんなアイヌの話を聞いて膨らんでいきます。

賢いアイヌもいる。
素晴らしいアイヌもいる。
勇敢なアイヌもいる。

髷を結っていない。
服が左前である。
耳環をしている。

そういう服装や風習の違いだけで、野蛮だと見下すなんて、なんと愚かでくだらないことだろう。

アイヌは素晴らしい。

松浦はそんな信念を抱き、様々な列伝を記録したのです。

ゴールデンカムイ』のアシリパは、女性でありながら狩人です。アイヌ女性は狩りをしないと思われてきました。

一方、口承文芸では、存在していました。

松浦の記録にも、狩りをするアイヌ女性が出てきます。少なく、一般的ではない、されどいなかったわけではない。

漫画『ゴールデンカムイ』アシリパのリアリティは、松浦の記録からもわかるのです。

アイヌをなぜ苦しめるのか?

松浦は、アイヌの美徳を残すだけで終わりませんでした。

アイヌが、松前藩によって、和人によって、どれほど苦しめられ、傷つけられてきたことか。

幾度も旅をすることで、陰惨な扱いを目にし、怒りを覚えるようになっていきます。

夫に対して貞節を守ろうと、奮闘するアイヌ女性の逸話も多く含まれています。

なぜ、そうなるのか?

多くの和人が、アイヌ女性の美貌に目をつけました。

少女が16にもなれば、そろそろよい年頃だと狙い始めるのです。夫を労働に連れ出し、留守を守る妻を誘う。それでも断られたら脅し、殴りつけました。

そんな脅しに対して、マキリ(短刀)で撃退した女性。その健気さ、必死の抵抗。

和人からの性的暴行により、梅毒に感染した被害者もおります。

アイヌにとっては未知の症状であるため恐れられ、隔離され、一人身を腐らせながら死んでいきました。

妻が和人の妾にさせられ、抗議を聞き入れられず、木で首を吊り、死を選んだアイヌ男性もおりました。

そうかと思えば妻を和人に略奪されることを防ぐため、敢えて障害のある妻を選ぶアイヌ男性も……。

こうした搾取の結果、人口が激減し、滅亡に瀕していったコタン(集落)もあります。

ろくな食事も与えられず、ぎりぎりの給与を与えられ酷使され、どうせ頭が悪いからわからないだろうと、騙し続けられるアイヌの人々。

日本に奴隷制度はなかったと言えるのか?

アイヌ女性のこうした境遇は、アメリカの歴史をも思い出させるものです。

聡明で観察眼を持つ松浦は、これは和人の残酷さと無知だけの問題ではないと見抜きました。

背景にあるのは、松前藩というシステム。

「場所請負制」という藩が富を吸い上げる仕組みが、暴虐につながっていたのです。

実は、藩そのものが、アイヌからの搾取を前提として成立していました。

しかも、ロシアに対抗するため、その状況は時代が進んで改善どころか悪化するばかり。

アイヌを救うためには、何をすればよいのか?

松浦は考え抜きます。

黒船来航、変わりゆく幕末の中で

三度目の蝦夷地探検を終えたあと、松浦はその成果『蝦夷日誌』を水戸藩主・徳川斉昭に献上しました。

水戸藩といえば、幕末の尊王攘夷運動の先駆けとなった藩。

黒船来航以来、日本は国防問題への関心を高めていました。

プチャーチンも来日する中で、蝦夷地探検を進めてきた松浦は、注目を集め始めます。

幕府も無策ではありません。

「御雇」として松浦を蝦夷地探検させようとし、これに待ったをかけたのが、松前藩です。

「場所請負制」によるアイヌへの暴虐を暴かれたため、松浦に対して敵意を抱いておりました。

この松前藩の妨害も、意味をなさなくなってゆきます。

安政2年(1855年)、幕府は「日米和親条約」による開港に備え、函館を幕府直轄領にします。

そして松浦は、箱館奉行所支配組・向山源太夫の推挙もあって、登用されたのです。

前述したようなアイヌの苦境をまとめた松浦は、幕府が松前藩から彼らを救うのではないかと期待を寄せていました。

しかし、そうはならず病気を理由に、江戸に戻ってしまうのです。

松浦には、失望感がありました。

悪逆な松前藩とは異なり、幕府はアイヌに仁政を施すのではないか?という期待は裏切られたのです。

さらに【安政の大獄】が起きます。

頼三樹三郎はじめ、友人知人が処刑されたことで、彼は幕府にも失望しました。

このころから、松浦は出版に精力を注ぎます。

学術的な書物だけではなく、紀行文、漫画(イラスト入りの本)、双六といったカジュアルなもので、蝦夷地を知ってもらおうとしたのでした。

江戸と大阪でヒットし、懐も潤った松浦。

しかし、金儲けや名声だけが目当てだったとも思えません。

庶民にまで、アイヌの知識が広まりますように。そのためには、金が必要になる。

そんな彼の考え方が窺えます。

新たな世でも、アイヌは救われないのか?

松浦を捉える上で難しいところ。

それは「どの勢力に与していたのか」把握しにくい点です。

頼三樹三郎と懇意にしていたこともあり、水戸藩とつながりがあります。こうした経歴を大々的に解釈されることが、戦前は目立ったものです。

「尊王攘夷の志士」という紹介も、よくなされています。

それならば、幕府に登用されて喜ぶのだろうか。

箱館奉行所支配組・向山源太夫とも、彼は懇意にしていました。

さらに複雑なのは、明治政府からの招聘に応じて出仕し、しかもすぐに職を辞しているところです。

結局、松浦は何なのか?

どういう考え方なのか?

慶応4年(1868年)、幕府から明治政府へと変わる中、松浦はその知識と経験を大久保利通に見出されました。

「北海道」と名付ける

箱館戦争が終結すると「蝦夷開拓御用掛」、開拓使の「開拓大主展(だいさかん)」、「開拓判官」と、松浦は新政府の役職を歴任しました。

蝦夷地という名称は、変えなくてはならない。

これこそが急務でした。

明治時代初期は、古代律令制の名称をふまえたものでした。そこで「五畿七道」から「道」を採用し、国郡とすべしというところまで決めたわけです。

地名制定は、松浦以上の適任者はいません。

・日高見道
・北加伊道
・海北道
・海島道
・東北道
・千島道

彼の提出した六案のうち「北加伊道」から「ほっかいどう」という読みを、「海北道」から表記を取り入れ、「北海道」が誕生したのです。

その他にも、松浦が提案した多くの地名が、取り入れられました。

彼が蝦夷地を探検し、アイヌの地名を記録したものがかくして残されたのです。

北海道のあちこちに、アイヌ由来の地名が残っていること。これは、アイヌの命名と、松浦武四郎の探検と記録ゆえなのです。

アイヌと和人――。

二つの民族あっての北海道なのです。

松浦の目指した北海道は

こうした活躍から、金百円と従五位の官位を得た松浦。

しかし開拓使では、藩閥争いが発生していました。

長州系の兵部省と佐賀系の北海道開拓使の対立は、深刻なものでした。

対立構造は、こうなります。

【開拓判官】
松浦武四郎
島義勇※「北海道開拓の父」とされ、札幌都市開発に関わった、佐賀藩出身

vs

【開拓長官】
東久世通禧※「七卿落ち」で長州に逃れた公卿の一人

これは、あまりに酷い人選であったと思わざるを得ません。

幕末明治初期にかけて、勝者となった長州藩の背後には、攘夷思想に凝り固まった公卿たちがおりました。

彼らは京都を出ることもなく、国際情勢を学ぶこともありません。

「獣のような穢らわしい夷人が、この神の国に上陸するとは! あきまへん」

「ところで、キリシタンバテレンゆう国はどこにありますのえ?」

そんな感情論と優越感だけで、無謀な攘夷の後押しをしていたのです。

こうした公卿は、岩倉具視のような稀有な例外を除けば、実務能力など皆無。

よりにもよって、そんな公卿を北海道開拓を任せるとは最悪です。松浦と理解し合えたはずもない。

戊辰戦争には、差別感情がつきまといました。

大和朝廷以来、東北には野蛮な蝦夷がいるのだから、それを倒すという感覚がそこにはあったのです。

自分たちこそ大和朝廷以来の洗練された日本人だと思う、その頂点に位置する公卿。

彼らにアイヌの権利を説いたところで、蝦夷と一蹴されてもおかしくはありません。

北海道開拓は、こうした政治的な権力争いの中、混沌の中で始まりました。

開拓のため、真っ先に送り込まれたのが戊辰戦争で敗北した東北諸藩の武士たちです。

とにかく過酷だった北海道開拓~明治維新敗者に新選組や囚人達の苦難とヒグマの恐怖

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彼らに、食料や寒冷地対策を教えたのは、開拓使ではなくアイヌです。

その親切心と知恵を知ればこそ、松浦の焦燥感は増すばかり。

アイヌを苦しめ抜いた松前藩は、幕末の混乱の最中、大打撃を受けながらも一応官軍側についたと言えます。

そのため、転封とならなかったのです。

「場所請負制」も、廃止となりません。松前藩は、打撃を受けた際にアイヌの搾取で立て直すことが、身についていました。

松浦の苦悩は、いかばかりであったか――。

早くも明治2年(1870年)には、官位を返上し、辞表を提出してしまうのです。

彼が明治維新に期待を寄せたのは、「安政の大獄」だけが原因ではありません。

松前藩を放置し、結果、アイヌを苦しめている幕藩体制。その打破を願ったからこそでした。

しかし、その松前藩は官軍側についた。そのために、新政府は処罰するどころか、残してしまう。アイヌを救うために、力と正義に期待する。

それを繰り返して、松浦はことごとく裏切られました。

幕府に期待しても、幕末の混乱のさなかにどうにもならない。新政府も、結局は駄目だった。アイヌをどうあがいても救えない。

松浦は疲れ果ててしまいました。

退官後、新政府から功績に対し「終身十五人扶持」を受けます。

松浦は北海道を後にします。

そして、二度とそこに戻ることは、ありませんでした。

「一畳敷」に座る探検家

退官後も、松浦は探検家として身についた生き方を捨てませんでした。

しかし、その旅路はまるで精神世界へ向かうようなもの。熊野、奈良の霊場、菅原道真関連の史跡巡りを繰り返したのです。

そんななか「好古家」(骨董マニア)としても知られるようになっていきます。

学究心の塊であった松浦は、

・勾玉
・青銅鏡
・石器
・古書物

等々、ありとあらゆる骨董品を集めたのです。

そのマニアぶりは「乞食松浦」というあだ名までつけられたほど。晩年の旅は、こうしたコレクション収集の一環でもありました。

そんな彼の究極の部屋が、東京神田の自宅に建てた「一畳敷」です。

友人から提供された寺社仏閣由来の古材で建てられた、まさに集大成とも言える場所。

大正期の随筆家・内田魯庵をして「好事の絶頂」とされた、究極のコレクションルームでした。

古希を迎え、死を悟った松浦。

生涯を歩き尽くしてきた彼にとって、最期の旅の場所のようなものです。

肉体は歩けなくとも、魂はこの小さな場所で、飛び回っていたのでしょう。

明治21年(1888年)、松浦は享年71という生涯を終えました。

生前の松浦は「一畳敷」を破壊し、その木材で遺体を焼き、遺骨ともに大台ケ原山に埋めるように言い残していました。

しかし、それは実現していません。

彼の書斎「一畳敷」は何度かの移転を経て保存されています。

関東大震災、東京大空襲から逃れ、今も国際基督教大学敷地内に「高風居」として残されているのです。

・ICU TAIZANSO(→link

・ICU「なぜ、松浦武四郎の一畳敷を大切に保存しているのか?」(→link

松浦の生涯を振り返る理由とは

蝦夷地を歩き抜いた松浦は、北海道から身を置きました。

その背後には、失望感と苦しみもあったことでしょう。

松浦が職を辞した後、明治政府首脳部は「岩倉使節団」をアメリカに派遣します。

そこで彼らが目にしたのは、日本人によく似たネイティブ・アメリカンが迫害される姿でした。

はじめこそ憤っていたものの、こうした西洋諸国の姿から、明治日本は学んでしまったのです。

偽科学に基づく「合理的な人種差別」という概念を。文明国である欧米もそうなのだから、そういうものなのだと。

こうしてアイヌは、政府により人間動物園で展示されました。

アイヌの墓から骨が盗掘され、「学問のための資料」として研究されてしまいました。

その蹂躙はまだ決着がついていません。

屯田兵はじめ、多くの和人がアイヌの知恵で救われたにも関わらず、そうした歴史は消されてゆきます。

一方的に和人が恩義を施してやったと、歴史修正がなされてゆくのです。

このやり口も、欧米諸国から学んだものでした。

その一方で、アイヌは「日本人だから」という理由で、戦場に送り込まれていく。

功績をあげても一時的に褒められるだけで、その待遇には露骨な差別がある。

この北海道の歴史を、アイヌの苦難を、松浦武四郎が目にしていたら?

彼はどう思うのでしょう。

松浦の苦悩に似た苦い味を、アイヌとその差別解消に尽力する側はまだまだ噛み締めねばなりません。

太平洋戦争後――GHQの支配下のもと、アイヌは権利向上に期待を寄せます。

しかし、そうはなりませんでした。

珍しい踊りや儀式を見せる観光資源としてのみ、期待される。その一方で、差別をされたのです。

一体いつになれば、アイヌは正義ある扱いを受けられるのか?

もしも松浦武四郎が生きていたら、激怒する歴史が、まだ刻まれているのです。

そうした歴史を経て、2019年に彼の生涯がドラマになること。これは画期的な一歩ではあります。

金田一京助ではなく、なぜ松浦武四郎なのか。

明治以降のアイヌ研究者は、研究材料として彼らを扱い、許可なしに文物を収集することも珍しくありません。

金田一の収集や研究も適切であったか?

そこはアイヌの見解をふまえねばならないでしょう。

そこをふまえますと、適任者は松浦武四郎なのです。

彼は、和人とは思えぬほど親切なニシパであると、評価されていました。

これは彼だけの証言とは思えない部分があります。

著作や証言をみてゆくと、松浦は無私無欲、知的好奇心に突き動かされ、アイヌの保護と研究に生きていたことがわかります。金銭は、あくまで探求費用でしかありません。

家を残すことも二の次と考えていた節があります。

40を過ぎてから女性側のアプローチで、やっと結婚したほどでした。

彼は己の探究心と、その果てみ見出したアイヌのことを考え抜き、生きた人物でした。

そういう彼は世間から見れば異色で、理解しがたいものがあったのかもしれない。

攘夷志士であることを強調した戦前の伝記は、迷いながらキャラクター付けをしたあとすら感じるほどです。

松浦武四郎という人物は、江戸から明治においても、戦前ですら、理解しにくい先進性のある人物であったのではないでしょうか。

ヒューマニスト、人間とは何であるかをひたすら追い求めた。そんな人物だと感じます。

彼以上に、北海道の誕生にふさわしい人物はいないでしょう。

それは、彼が北海道の名付け親という名誉を担っているからだけではありません。

松浦は、あまりに先進的でした。

人は人らしくあるべきだ。

人種による差別ほど愚かしいものはない。

そう理解していたからこそ、アイヌのことを考えてきました。

人間は、人間だ。

そう人類が学び、到達できたのは、松浦が世を去ったずっとあとのことです。

松浦は、その先進性ゆえに苦労を重ねました。

しかし、だからこそ、現在でも錆びつくことのない、そんな人物なのです。

松浦武四郎と『ゴールデンカムイ』杉元佐一の比較

ここから先は、蛇足かつ彼自身の人生とは離れるものです。

松浦武四郎は、北海道の歴史を扱う漫画および『ゴールデンカムイ』主人公・杉元佐一との共通点もある人物ではないでしょうか。

作者の野田先生がそこをふまえているのかどうかは、わかりません。

ただ、そうであっては不思議でない要素があります。

・家の束縛を受けない立場ではぐれもの

→松浦は嫡男ではなく浪人の期間が長い。杉元は家そのものを失い、かつ除隊済み。

・激烈な怒りの持ち主

→両者ともに、特にアイヌに対する迫害には激怒を見せます。

・名誉欲が薄い

官位返上した松浦。軍人としての功績や勲章に未練を見せない杉元。

・金銭欲も薄い

→実際にそんな記録の残る松浦。アイヌの金塊を必要以上には望まない杉元。

・頑健でサバイバルスキルに長けている

→幾度にも渡る探検をこなした松浦。満身創痍でも死なない杉元。生まれついて頑健なだけではなく、サバイバルスキルを身につけていきます。

・アイヌへの敬意

→著作の数々でそれを残した松浦。アシリパを「知恵を持つ戦士」として敬意を示す杉元。

・恋愛感情が薄い

→40過ぎるまで妻帯を考えたことすらなかった松浦。アシリパ側からの好意はうっすらと描かれていますが、実は杉元側からの描写は一切ありません。

・合理的で柔軟性がある

→松浦の生き方からは、「二君に仕えず」という理論が感じられません。尊王攘夷の志士という捉え方もありますが、そう単純なわけではない。幕府側の箱館奉行とも懇意であり、維新後も幕臣である勝海舟と親しく交流しています。

松前藩とは次第に対立を深めてゆきますが、はじめのうちは交流があったわけです。

そういう彼の言動を見ていると、あまりに態度を変えすぎているように思えなくもありません。

ただ、これも彼にすれば当然のこと。

目的達成のためならば、手を組む相手を変えることは何の不思議もありません。

これは、杉元にも同じことが言えます。

もしも裏切っていると察知すれば、仲間だろうと倒すと笑顔で言い切ります。その反面、あれほど死闘を繰り広げてきた第七師団と手を組むのです。

目的のためならば、仲間を選ばない。

そんな合理性が両者ともにあります。

・アイヌよ、そのまま生きてくれ!

→松浦は、儒教的な倫理に従って導けば同じ人間であると著書に書いてはいます。

ただ、本気でそう思っているとは考えにくい。そんな要素があります。

アイヌがありのままに生きることこそ最善の道だと信じている。そんな考え方が伝わってくるのです。

杉元も、アシリパに和人として生きろとは言いません。

ウイルクがアシリパを戦士にしたいと知った時は、あのまま生きていって欲しいと自分の願いをぶつけています。

両者ともに、あれほどの苦労をいとわないにも関わらず、その願望はシンプルなことなのです。

こうした要素はかなり重要です。

こういう要素があればこそ、アイヌを差別せずに、描くことができる。そんな配慮を感じます。

杉元とその一行は、作中でもアイヌに差別意識がないように描かれています。

・杉元および彼の一行は、アイヌ女性を性的に搾取しない

→谷垣の場合、彼もインカラマッとの恋愛関係は相互の許可と意志を確認した相思相愛である。

アイヌ女性の性的虐待をふまえると、これは重要な点。

アイヌ女性の授乳をいやらしい目で見ていた白石ィ! おいちょっとお前、杉元に殴られて来い。

・杉元および彼の一行は、アイヌを金銭的に搾取しない

→鯉登は、樺太アイヌであるエノノカが提示した犬橇の経費をそのまま支払っています。

それどころか、交渉のあとは握手までして、対等の契約であるように思えます。

かなりの高額。アイヌを搾取した和人が多い中で、これは重要です。

・杉元および彼の一行は、アイヌと同じ環境で行動している

→食卓や寝台を、人種によって分けることはありません。

実は、彼らは差別からほど遠い行動をとっているのです。

白石が差別発言をした際には、杉元がきっちりと制裁をしております。

松浦は、自分の著作が漫画(イラスト入りの本)や双六に利用され、庶民の間に広まってゆくことを歓迎していました。

漫画やアニメを通して、アイヌの知識が広まる『ゴールデンカムイ』は、現代版松浦武四郎の作品とも言えるのではないでしょうか。

「金塊争奪戦だ!」
それが表向きのアピールでありながらも、主役である杉元はそこまで金塊に執着していない。

むしろ彼は、アイヌであるアシリパがそのまま生きてゆくこと。

そこに、全力を注いでいるのです。

杉元佐一は、現代の目線から見ても差別意識がない、先進的なヒューマニストです。

その勇気のみならず、差別と無縁の言動が、大きな魅力と言えます。

そしてここで忘れてはならないのが、明治生まれの杉元佐一の以前に、文化生まれの松浦武四郎が実在したということです。

彼はまさしく、そういった意味で素晴らしい人物です。

松浦武四郎の思いを忘れるな

なぜ、杉元は松浦武四郎に近いのか。

そういう振る舞いを見せてこそ、2010年代という時代において、ふさわしいヒーローであるからではないでしょうか。

松浦武四郎にせよ、杉元佐一にせよ。

こういう極めて差別から程遠い和人がいたからと、そこで安心して救われてはなりません。

「白人救世主」という概念があります。

人種差別を行う人物が多い舞台の中で、差別される側に理解を示すマジョリティを描くこと。

『ドライビングMissデイジー』
『ジャンゴ』
『ヘルプ』
『グリーンブック』
といった名作とされる映画でも、このことは指摘されています。

この概念を、噛み締めねばなりません。

よい和人もいた。

だから何なのか。

松浦に安心している場合じゃない。彼を安易な救世主にして、安心してはなりません。

できることならば、松浦武四郎ではなく、アイヌ目線でアイヌ自身を描いたドラマが見たい。

スパイク・リー作品のような、痛みを感じるほど厳しいアイヌ差別と戦う映画が見たい。

こうした流れを踏まえ、そう言いたくなる。

ただ、残念なことに、日本はそこまでの段階に達していない。

だからといって諦めてはいけません。

『永遠のニシパ』には、エカシ役に宇梶剛士さんがキャスティングされました。アイヌに、アイヌが配役されること。これは画期的な一歩です。

まだここまで――と、そう思うのか。

ようやくここまで来られたか。ここから進むぞ――と、前向きに捉えるのか

松浦武四郎の生き方を通じて、和人が暗い歴史と問題を受け止めるのであれば、それは素晴らしいことです。

アイヌの問題は、アイヌだけのものではない。

和人の、いや人間のことなのだ。

そんな松浦武四郎の思いを、忘れてはならないでしょう。

https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2025/02/09/123350


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北極圏から、マジョリティ視点への厳しい批判

2025-02-10 | 先住民族関連

 

鐙麻樹 北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会理事 2/9(日) 11:01

ここ数年、フェミニズム研究や黒人研究と肩を並べる形で、先住民学が発展し、これまで支配的であったマジョリティの視点に対する批判が活発化している。

「マジョリティの視点は、どこにおいても支配的」と北極圏での会議「Arctic Frontiers」で語ったのは、トロムソ大学の先住民学教授のトルイェル・オルセンさんだ。

世界中の先住民族がずっと周縁に置かれてき、ごくわずかの居場所しか保証されなかった。その構造を可能にする一端を担ってきたのは、学者や知識体系だ。

これまでの先住民研究は、同化政策の下で、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアなどにおいて、先住民サーミの身体や生活が「劣った民族」として扱われ、外部からのトップダウンの視点で行われてきた。

その結果、先住民コミュニティは、政府や公的機関への信頼を失った。さらに自らの「真実」を誰が語るのかという根本的な問いが求められるに至った。

植民地的な視点で「研究対象」となり、失われた信頼

ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの先住民サーミたちは、各国で同化政策の対象となり、「劣った民族」として研究者たちは彼らの身体の「調査」をした。

「サーミの社会から政府や公的機関への信頼が失われている」と話したのは、サーミ議会の運営審議会メンバーであるマレン・ベネディクテ・ニースタッド・ストールスレットさんだ。

それは「誰の」真実か

過去の先住民研究の多くは、しばしば人種差別的な考え方に基づき、先住民族のコミュニティが関与することなく、また研究対象となるコミュニティの利益になることもなく、外部のトップダウンの視点から行われてきました。

研究において私たちは真実を求めていますが、その際、私たちは『誰の真実』を語っているのか、と問う必要があります。私たちは『真実の構造』に挑戦しているのです。

過去の先住民研究は差別と偏見によって蓄積されている。だからこそ、現代において、先住民研究に関わる人は多様であることが、資金を配分する国や自治体にとって必要とされる。

「狭い範囲でしか人材を確保できないのであれば、将来的に大きな問題を抱えることになる」とノルウェー地方自治・地域開発省の事務次官であるイヴァ―ル・プレストバクモさんは話した。

北極圏の実情とグリーンランドの闘い

デンマーク国会で議席を有するグリーンランドの政治家、アヤ・ケムニッツ氏は、グリーンランドでよく使われるフレーズ「私たちのことを、私たち抜きで、決めるな」を引用しながら、決定のテーブルに先住民が座る必要性を強調した。

ただ「席があればいい」というものではない。同時に「何を望んでいるのか、明確な方針」がもたれるべきたと語る。

「先住民の知識、伝統的な知識はとても重要なのです。私は先住民に権力だけでなく資金も与えることが重要だと思います。北極圏の外側で北極圏に関する研究をするだけではなく、北極圏に住む人々のニーズも満たすようにする必要があります」

科学やクジラの研究が多すぎる、もっと人の研究を

グリーンランド大学に聞いたところ、彼らは科学に関する研究が多すぎると言っていました。もはや、クジラだって「研究疲れ」していると。

そもそも、そこに住んでいる人たちはどうなんですか?グリーンランドはビジネスのドアは開いていますが、私たちは売り物ではありません。

アヤ・ケムニッツ議員

会議では、先住民学の研究を活発化させるための提案が多数提示された。

筆者撮影

これから必要なこと

  • アドボカシーのトレーニング
  • ユースカウンセリングの設立
  • 北部に関する決定の多くはいまだに南部で行われるために、交渉方法の訓練
  • より体系化されたリーダーシップ・コース
  • 研究に対する資金提供
  • 先住民の言語を学ぶ学校と機会の増設、教師の育成
  • 科学やクジラだけではなく、人についての研究の強化
  • 組織内に青少年団体を設立する
  • 役員会に青少年の代表を入れる
  • 高等教育を受けるサーミ人女性はサーミ人男性に比べて多いという問題の解決
  • 先住民が安全な環境で学べるようにする

執筆後記 ~トランプ効果で、注目が集まり過ぎている北極圏~

この話し合いは、北極圏の科学、政策、ビジネス、現コミュニティの声を結集させるカンファレンス「Arctic Frontiers」で開催されていた。

この会議は、北欧・北極圏の政治家や研究者たちなど、決定権を持つ人が多数集まる重要な場だ。今年は世界中からの記者が多かった。理由はもちろん、トランプ大統領のグリーンランド買収発言だ。北極圏にはどのような価値が眠っているのか、世界中からの注目が集まっている証拠でもある。

研究に限らず、今グリーンランドや北極圏がニュースになる際、「植民地主義的な考え方や主張」を、私たちも無意識に取り込んでいないかは、注意する必要がある。

「私たちは売り物ではない」と、グリーンランドの政治家、アヤ・ケムニッツさんは言った。「私たち」は「人」を表す。でも、防衛や鉱物など、トランプ大統領の影響を受けて、不動産的な視点でこの話題を考えていないか、時に立ち止まって考える必要がある。

「植民地的な視点」は、気づかぬうちに私たちの思考に入り込むものだから。常に自省することが、今後の北極圏に対する正しい理解につながる。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/39f2b95bbc94aed8198cf495506b038a806a38bb


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財務副大臣:300万戸の住宅が国家経済成長の鍵となる

2025-02-10 | 先住民族関連

 

VOI 07 Februari 2025, 14:46 

ジャカルタ - スアハシル・ナザラ財務副大臣は、住宅部門が地元の原材料と先住民族のインドネシア人労働者を使用しているため、住宅部門は世界的な課題の中でインドネシア経済を動かすことができると述べた。これは、2025年2月5日(水)に開催されたBTN Prioritas Economic Outlook and Chinese New Year 2025イベント「The Year of Wooden Swake, Wisdom and balance in the Midst of the Global Economic Dynamics」で伝えられました。

「住宅部門は、農村部と都市部で年間300万戸の住宅を満たすという任務を遂行する300万戸の住宅プログラムに記載されているように、プラボウォ・スビアント大統領とジブラン・ラカブミング・ラカ副大統領の政府が実施する重要な議題の1つです」とスアハシル・ナザラ財務副大臣は述べています。

ニクソンは、この経済見通しイベントを通じて、絶えず変化し困難な世界経済のダイナミクスの中でBTNプリオリタスの顧客が正しい決定を下すのを支援するというBTNの取り組みの一形態であると続けました。

https://voi.id/ja/news/458044


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中国国民党「ドラマが気に入らない」で予算カット? 歴史に忠実な内容でも、制作側の反中姿勢が許せない

2025-02-10 | 先住民族関連

 

東洋経済 2025/02/09 13:30

ネットフリックスが1991年のドラマ『東京ラブストーリー』を2025年1月13日に世界公開し、台湾でも実際に見ていた現在の中高年がかつての青春を取り戻しているかのように視聴している。

ドラマが地上波テレビで放送された当時、筆者は台湾にいたが、こちらが日本人とわかるとすぐに小田和正さんが歌う主題歌の『ラブ・ストーリーは突然に』を翻訳してくれとよく頼まれていた。日本語の意味はわからなくても音だけで歌詞を覚えてしまい、30年たった今でもカラオケで歌う人は少なくない。

『東京ラブストーリー』再放映に熱狂

現在では中高年になったこの世代は、かつて日本統治時代を経験した「元日本人」から見れば孫の代に当たる。子どものころから生の日本語や日本文化に接して生まれ育ったわけではない。

しかも1949年から1987年まで続いた戒厳令下での反共産党と中国語による中国主体の教育で日本的な要素はいっさい消され、一見すると日本とは疎遠の世代と思われがちだ。

しかし、『東京ラブストーリー』に代表される日本のドラマや漫画・アニメなどのソフトコンテンツを青春時代に目いっぱい浴びたことで、祖父母と変わらないほどの日本への愛着や親しみが生まれていった。

2020年に亡くなった志村けんさんの訃報をたいへん悼んだのはこの世代であり、台湾が依然として親日感情に満ちているのはこういった事情がある。

ちなみに最初に『東京ラブストーリー』が放送された時期には、浅野温子さんと武田鉄矢さん主演の『101回目のプロポーズ』も公開され、チャゲ&飛鳥さんが歌う『SAY YES』も日本では一世を風靡した。しかし、台湾では『ラブストーリーは突然に』の人気には及ばなかったと感じる。

台湾の人が親日であることは、歴史認識にも顕著に現れている。戒厳令下での中国主体の教育を受けつつも、日本を身近に感じられたことで中国のような極端な反日色には染まらなかったと言える。

たとえ日本にそれほど親しみを感じない人であっても、是々非々で冷静に向き合い、台湾人としての複雑な歴史を受け入れている。

中高年世代は現在の台湾主体の教育をほとんど受けていない。にもかかわらず、中国や日本、さらにはオランダやスペインなど、さまざまな国が統治してきた歴史を冷静に見ることができるのは、日本からの情報を受け入れる過程で培った感覚なのではないだろうか。

しかし、そういったテレビドラマも深くかかわって、台湾の国家予算が大幅に削減されるという事態が起きている。台湾の国会に当たる立法院で予算の大幅削減が吹き荒れ、将来的にこの親日的な雰囲気を揺るがしかねない状況にあると言われているのだった。

公共放送の予算も大きく削られ…

2025年1月21日に可決された新年度予算では、立法院での第1党で最大野党の中国国民党(国民党)が主導し、従来額から大幅な減額と凍結を行った。もともと行政院(内閣に相当)が提出した予算は3兆1325億元(約14兆7561億円)だったが、2076億元(約9779億円)が削除され、最終的に2兆9248億元(約13兆7777億円)となった。

一方、立法院での同意を得られたら執行可能な予算は1607億元(約7570億円)があり、現状では凍結、つまり保留扱いとなっている。

卓栄泰・行政院長(首相に相当)は、1月21日の予算の「二読」通過後(三読すると成立)に3回目の記者会見を開催。削減された重要な予算について言及した。その中には、政府が台湾電力に向けた1000億元(約4710億円)の補助金や、各部門の海外出張費の5億元(約23億円)、国内出張費6億元(約28億円)が含まれている。

また凍結された予算には、台湾国防の切り札と期待されている国産潜水艦の後続量産経費50%、内政部(内務省に相当)の業務費30%などが含まれ、予算の削減や凍結が業務費や広報費に過度に集中、政務の遂行や政策の推進に影響を与える恐れがあると指摘した。

広報費の予算で注目したいは、台湾の公共放送である公共電視台(公視)の予算カットだ。情報が出た当初は反対の声は業界関係者中心だったが、その削減理由が徐々に明らかになると、親日的な中高年世代も大いに憤慨する状況になった。

国民党がかたくなに公視の予算をカットしたのは、2024年に台湾人日本兵を題材としたドラマ『聴海湧』(邦題:波の音色)を制作放送して、これが成功したためだと言われている。では、それはどんなドラマだったのか。

全5話から成り、第2次世界大戦下で旧日本軍に従軍して南洋に渡り、捕虜監視員となった3人の台湾人の姿を描く。3人は捕虜収容所での虐殺事件に巻き込まれ、日本の敗戦とともに連合国側から戦犯として裁かれることになる。

台湾人、日本人、戦犯を裁くオーストラリア人、中華民国の外交官、さらにボルネオの先住民族まで登場し、収容所のセットだけでも破格の1000万台湾元(約4900万円)を投じて台湾に建設した。スポンサーにおもねることなく、利益も追求する必要がない公共放送だからできたとも言われている力作だ。

台湾人日本兵の隠れた史実を描写

テレビドラマが得意とする人間描写に、本格映画さながらの撮影現場。さらに作り手が徹底的にこだわって緻密な調査を経てていねいに描写している。実際に欧州最大のドラマ祭「Series Mania」でもInternational Panorama部門にアジア作品としては唯一ノミネートされ、台湾史上初の快挙を成し遂げた。台湾の内外で賞賛を浴びた史実ベースのドラマだ。

ドラマの作品として以上にこれが台湾人に衝撃を与えたのは、捕虜となった台湾人が戦犯として扱われた事実、いわば忘れられた歴史を改めて現代人に思い起こさせたことだ。

現在の多くの台湾人は、自分たちの祖先がかつて「日本人」だったことや、敗戦を味わったものの戦勝国の国民にもなった複雑な歴史を熟知している。しかし、かつての戒厳令下では、日本人として戦ったときの話は日常的に話すことがはばかれ、時代とともに詳細は人々の記憶から薄れていった。

現在の台湾人中高年やそれ以下の世代は、歴史の大枠として台湾の複雑な歴史を理解できても、まさか戦争犯罪人として扱われ、失意のうちに亡くなった人がいることにまで思いがなかなか及ばない。今回のドラマで驚いたと同時に日本との絆にも思いをはせた人がいたと言われている。

しかし、内容のポイントは台湾人の複雑な歴史、忘れつつあった歴史の一部を描いたもので、制作側からすればことさら日本や戦勝国側を持ち上げることはない。

一方で、公視のドラマはこれまでも内外で評価が高く、ネットフリックスで世界配信され、日本のテレビ局とも共同制作している。

例えば2018年に放映された『子供はあなたの所有物じゃない』はネットフリックスで話題となり、和訳書が出版されるほど注目された。

また作家の吉田修一さんの原作で、台湾新幹線を題材にした『路(ルウ)』をNHKと共同で制作、2020年に放映された『路~台湾エクスプレス~』は日台双方で公開されてもいる。日本人にとって公視は、実は馴染みの存在だったと言えなくもない。

戒厳令の時代が絡む台湾のテレビ事情

実は、戒厳令下の台湾ではメディアは当局の検閲を受けてきた歴史を持つ。そのような中で、出版物やラジオ局、ケーブルテレビチャンネルなどは言論弾圧をかわす役割を担ってきた。今日の台湾でケーブルテレビ大国ともいえるほど普及したのは、そういった抑圧の歴史が背景にある。

しかしそれらは裏を返せば「主張する」メディアだと言えなくもない。スポンサーや協力団体が背後にいる以上、どうしても主張や経済利益などを考えなければならないが、時の政権やスポンサーに過度に干渉されないメディアを確保するにはどうしたらよいか。台湾が出した1つの解が、NHKやイギリスBBCのような公共放送であり、公視がそのような役割を担ってきたのだ。

公視は作り手にとって比較的自由な制作環境を与えた一方、視聴率などで低迷。たびたび社会から指摘を受けることがあった。さらに財源を政府の交付金と自主財源に頼り、制作規模や企画によっては予算不足に陥ることもあり、予算カットでは格好のターゲットにされてきた。

しかし今回の公視の問題では、表向きはコストパフォーマンスの問題だが、裏では予算カットに主導的な役割を果たしたとされる立法委員の個人的な感情によるものとの情報が飛び交っている。それは『聴海湧』が思いのほか高い評価を得て成功し、それは戦勝国である「中華民国」としての史観では受け入れられないとみなされたためだ。

立法委員は『聴海湧』が成功したことで、台湾と中国との関係がますます冷え込むことに激怒し、それ以降、公視をつぶすか、あるいはコントロール下に置くか、虎視眈々と狙っていたとさえ言われている。

先述の通り、公視は公平性をできるだけ担保しようとする公共放送であるから、意図的に何かの思想信条に偏ることはない。しかし史実を忠実に描き、一般の台湾人や社会に向けて丁寧に伝えようとすれば、当然ながら、日本との関係はより強まり、戒厳令下で伝えてきた中華民国的史観と中国との絆はどんどん細っていく矛盾が生じてしまうのだった。

与党「政府をマヒさせる嫌がらせ」

また、公視の予算問題は単にイデオロギーの問題にとどまらない。先にも触れたが、抑圧の歴史を持つ台湾人がいかに言論や表現の自由を確保するかに発展しているのだ。

国民党など野党側は、政府の予算を監督するのは立法委員の大切な仕事と主張。一方、与党の民主進歩党(民進党)は「政府をマヒさせる嫌がらせだ」と強く対抗している。

今回の大幅な予算削除と凍結で、とくに国防に関わる部分の削減で、アメリカのトランプ政権に「台湾が中国側に傾いている」との印象を与えかねないと警告する有識者もいるという。

台湾が日米中とどのような距離感を保とうとするのか、目が離せない状況にある。

著者:高橋 正成

https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-856531.html?page=1


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アメリカン・プライミーバル:Netflix のミニシリーズは西部に関する神話を覆し、現代への警告を発しているかもしれない

2025-02-10 | 先住民族関連

 

ファーストオンライン 9 年 2025 月 6 日、午後 38 時 XNUMX 分 | di ステファノ・ルコーニ 

Netflixのミニシリーズ「American Primeval」は、西部のロマンチックな神話を解体し、モルモン教徒、ネイティブアメリカン、開拓者の間の暴力、宗派主義、権力闘争の生々しい姿を描き、アメリカ人の想像力を形作ってきたイデオロギーに挑戦している。

多面的なアメリカ人作家は、現代のアメリカ社会における銃器の普及を非難するために出版された最新のエッセイ(イタリア語訳『血の暴力国家』、2024年)の中で、 Paul Cairns オースター 彼は、同胞が現在なぜ ピストル e ライフル に基づいて、 米国 歴史的には、特に 18 世紀から 19 世紀にかけて、白人入植者や開拓者が先住民の土地を奪うためにアメリカ先住民に対して行った暴力に基づいていました。テレビミニシリーズ アメリカの原始時代、6つのエピソードが利用可能 Netflix 昨年9月XNUMX日以来、オースターの非難の典型例を提供し、かつては「死刑制度」と定義されていたであろう、露骨で残忍な暴力の連続エピソードを上演することで、犠牲者と死刑執行人のイメージをさらに複雑にしている。 アメリカのワイルドウェスト.

フィクションと現実の間

語られる主な物語は純粋なフィクションです。主人公の冒険は完全に創作であり、 サラ・ホロウェイ、別名ロウェル、逃亡中 息子デビン ユタ州から クルックス プッシュ フィラデルフィアで犯した殺人事件の容疑で彼女を探している賞金稼ぎから逃げるため。しかし、登場人物が動く文脈は現実のものである。いわゆる ユタ戦争1857年1858月からXNUMX年XNUMX月にかけて起こった、アメリカ連邦軍、の先住民族 シオシオーニ、 ノーブー軍団 – 末日聖徒イエス・キリスト教会の領土民兵(そのメンバーは一般にモルモン教徒として知られている)とその同盟者 パイユート、もう一つの先住民族。 

歴史的背景

考案者 ヨセフ Smith 1830年にイリノイ州、ミズーリ州、オハイオ州に広まった 聖イエス・キリスト教会 近年、彼は一夫多妻制と原始共産主義的な社会観を受け入れたために迫害を受けていた。 1844年にイリノイ州カーセージでスミスがリンチされた後、新しいモルモン教の指導者は ブリガム·ヤング、彼の信奉者たちに避難した メキシコグレートソルトレイクの地域では、他の入植地からの距離がモルモン教徒に完全な自由の中で信仰を実践する可能性を保証していたはずです。しかし、この地域は1846年から1848年にかけてメキシコと戦った戦争の終わりにアメリカに征服され、1850年にユタ準州として行政的に組織されました。 モルモン教徒 こうして彼らは、1844年に逃亡を余儀なくされたのと同じ国の統治下に置かれることとなった。彼らは米国政府の権威を認めず、ユタ州を自治神政国家に変える提案さえした。彼らはそれを デゼレト。アメリカ合衆国大統領 James ブキャナン1857年に就任したジョージ2.500世は、モルモン教徒が任命した知事ヤングを解任し、その地域の連邦政府の支配を取り戻すために、ユタにXNUMX人の軍隊を派遣した。その結果は、今日で言うところの低強度紛争となり、激しい戦闘はなく、妥協で終わった。 反乱軍に対する大統領恩赦モルモン教徒がユタ州に対する連邦の管轄権を受け入れ、ヤングからブキャナンが任命した知事に権力を移譲したこと、 アルフレッド カミングしかし、ヤングは教会の会長のままであり、領土の政治に影響を与え続けた。

マウンテンメドウズ虐殺

ユタ戦争で最も血なまぐさい出来事の一つはマウンテンメドウズ虐殺。ここで、ノーブー軍団の一隊がパイユート族の一団と共同で、アーカンソー州からカリフォルニア州へ向かっていた女性や子供を含む少なくとも 120 人の開拓者を虐殺しました。おそらく、開拓者の存在が、モルモン教会を一掃しようと決意した連邦軍の到着の前兆であると解釈されたためでしょう。 American Primeval は、物語上の理由からいくつかの許可を取りながら、この出来事を再現しています。の パイオニア 彼らは激しく戦った 抵抗 そして7年11月1857日からXNUMX日までのXNUMX日間、彼らは防衛に努めたが、結局圧倒された。しかし、フィクションでは、彼らは驚かされ、すべてが数分のうちに起こります。民兵はXNUMX歳未満の子供XNUMX人を助け、彼らは後にモルモン教徒の家族に養子として引き取られた。一方、『アメリカン・プライミーバル』では、サラ・ホロウェイとその息子に加えて、数人の女性が一時的に救われ、パイユート族への報酬として与えられ、その後、XNUMX人を除いてシオシオニ族の集団によって殺害される。特に、テレビのミニシリーズでは、ヤング知事を虐殺の神託者として描き、彼が虐殺に直接関与したという仮説を無批判に支持している。これは歴史学的には議論の余地のある論文です。実際、いくつかの研究では、 虐殺の責任 の自主的な決定に ノーブー軍団の地方指揮官 そして、ヤングは部下たちに、開拓者たちに危害を加えずに通過させるよう命じたが、その指示書は原本では発見されなかったものの、ユタ州には電信線がなかったため、馬に乗った使者によって運ばれたため、受取人に届くのが遅すぎたと彼らは主張している。 

ヤングの姿

より一般的には、アメリカン・プライミーバルは ヤング の装いで カリスマ的な宗教指導者、また熱狂的で、妥協を許さず、マキャベリストでもあり、扇動的な説教をし、神が教会に与えた摂理的な使命を遂行する上での良心の呵責が全くないことを明らかにしている。一方で、 証人を殺す 彼は虐殺の責任をモルモン教徒に負わせるつもりなので、モルモン教徒ではない。また、この命令は、虐殺はノーブー軍団のメンバーによる犯行であると指揮官が結論付けた連邦軍の分遣隊の殲滅も命じた。しかしながら、この二度目の虐殺も、シオシオーニ収容所の破壊と同様、脚本の想像の産物であり、どちらの事件も実際には起こらなかった。一方、ヤングは多額の費用を支払っている。 購入 そして、 炎 前哨基地、 フォート ブリッワイオミング州にあるこの基地は、アメリカ軍がモルモン教徒の領土に侵入するための橋頭保として利用できる可能性がある。ここでも、特に重要ではないものの、歴史の歪曲が数多くあります。たとえば、ブリッジャー砦は、マウンテンメドウズ虐殺の後ではなく、1855年にモルモン教徒によって購入されました。そうだった 金ドルで支払われる テレビのヤングが持参した、紙幣が詰まった2つのサドルバッグではない。試み ジム・ブリッジャーを起訴前哨基地の所有者である ネイティブアメリカンに銃と酒を売ったヤングのブリッジャー砦占領戦略の一部であるこの作戦は、1853年ではなく1857年に遡る。 

国境沿いの疎外された人々の声

であること フィクション テレビ 末日聖徒イエス・キリスト教会、アメリカ原始教会に対して特に共感を抱いていない 省略 不思議なことに、ユタ州では奴隷制度はまだ合法だった 南北戦争(1861-65)の前夜。このミニシリーズは、アメリカの開拓地の複雑さについて、より微妙な視点を提供することを目指しており、西部を舞台にした物語では一般的に無視されてきた女性の経験に重点を置き、 女性たち これは男性の残忍さ(最も象徴的な人物に限定すると、サラ・ホロウェイは暴力的な男を殺害した後に西部に逃げ、ユタに到着すると、彼女とその共犯者を強姦した別の男を躊躇なく虐殺する)、および先住民族の残忍さとは対照的であり、先住民族は平和に暮らすことを望んでいるが、モルモン教徒と開拓者が目指す土地に定住したという事実だけで、自分たちの生存が危険にさらされていることを強調している。若い原住民の性格 二つの月は、強姦未遂から逃れた後、元の部族を離れてホロウェイとデヴィンに加わり、賞金稼ぎの一人を殺害することで自由への欲求を強める。これは、ミニシリーズの意図を統合したものである。 女性と先住民の抵抗の声を届けるこの脚本の目的は、少女の舌が切り取られているために口がきけないという非常に効果的な物語の仕掛けによって強化されている。その代わりに、 なし rappresentazione の アフリカ系アメリカ人 ユタ戦争が戦われていたころ、もう少し東のカンザス準州では、奴隷制度廃止論者と奴隷所有者の間で南北戦争の前兆となる、より血なまぐさい武力紛争が起こっていたが、モルモン教徒によって奴隷制が維持されていた。

西部劇の枠を超えて

自尊心のある西洋のフィクション作品と同様に、『アメリカン・プライミーバル』は 個人主義の祝福 歴史家が指摘したように フレデリック・ジャクソン・ターナー 19 世紀末にはすでに、誰もが自力で生き延びなければならない環境が辺境地帯の生活の特徴となっていました。しかし、このミニシリーズは刺激的でもある 反射 西洋のジャンルの通常の内容から派生したものを超えたもの。そこには ノーブー軍団 ユタ州を統治するこの教会は、 警戒心 アメリカの歴史に点在するこの現象は、近年、民間人による民兵組織の結成によって再び現れた。 アリゾナ・ミニッツメン と カリフォルニアメキシコからの不法移民の流入を防ぐため、南部国境を警備することを目的としている。マウンテン・メドウズ虐殺の責任をシオシオニ一家に負わせようと全力を尽くしているヤング知事は、今日のフェイクニュース拡散者の19世紀の先駆者である。連邦政府に対するモルモン教徒の武装抵抗は、自分たちの「アメリカンドリーム」を追求することに熱心な少数派が、ワシントンの権力者に対して示す敵意を思い起こさせる。彼らは、権力者が陰謀を企てる準備ができていると考えている。 陰謀 血で窒息する 異議の形態特に非順応主義が宗教的原理の表現である場合はそうである。この場合も、19 世紀に限った現象ではありません。これは、例えば、 ダビディアン1993年にXNUMX日間、数マイル離れた牧場に立てこもったアドベンチストのグループ。 ウェーコテキサス州では、 正しい 積み上げる 兵器 個人防衛のため、 連邦捜査局 一つに退化した 激突 この火災で警官4人とカルト信者80人以上が死亡した。

西部再訪

『アメリカン・プライミーバル』は、西部を、少しの機知と決意があれば誰にでもチャンスが訪れる場所と解釈するロマンチックな解釈を解体し、 残酷な現実 それはいかなる形の理想主義にも余地を残さず、一見高貴な モルモンの価値観 で 宗派主義 不寛容な e 殺人的な。特に、このミニシリーズは「明白な運命」という概念を批判している。実際、ユタ州で相互作用する各派閥によるこの原則の実践方法の対照的な弁証法 ― 新エルサレムを建設したいというモルモン教徒の願望、世俗的で共和制の制度を広めようとする連邦政府の意図、ブリッジャー砦の影で行われている商業取引に象徴される新興資本主義の精神の広がり ― は、死と破壊しか生み出さない。

現時点での警告でしょうか?

アメリカの原始時代は 2023年XNUMX月に撮影政治的復活から比較的遠い時代に、 ドナルド トランプ 翌年20月にホワイトハウスで行われた。しかし、この歌がテレビ画面に映し出されたのは全くの偶然であり、トランプ大統領が昨年XNUMX月XNUMX日の第XNUMX回就任演説で述べた開拓者への賛美、開拓精神、そして「明白な運命」とほぼ同時に放送された。たとえ制作側がこの目標を自ら設定できなかったとしても、 西洋に関連する神話を解体する これは、第47代大統領が有権者に約束した「黄金時代」の確立の背後に何が潜んでいるかを示す、意図しない比喩的な警告として機能しているようだ。

https://www.firstonline.info/ja/Netflixのミニシリーズ「アメリカン・プリミバル」は、西洋に関するいくつかの神話を否定し、現代への警告を発しているかもしれない%E3%80%82/


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未知の古代文化の中心地か、ベネズエラの秘境で発見された岩絵群

2025-02-10 | 先住民族関連

 

ナショナル ジオグラフィック日本版2/9(日)18:00

未知の古代文化の中心地か、ベネズエラの秘境で発見された岩絵群

 ベネズエラの広大なカナイマ国立公園の中には、岩絵が描かれた遺跡群がある。そこに描かれた星々や木の葉の絵を調査した考古学者たちは、この岩絵遺跡群が未知の古代文化の中心地だったとみている。

 岩絵遺跡群があるのは、総面積約3万平方キロメートルにおよぶカナイマ国立公園の中でも特に近づくのが難しい地域。最初に岩絵が見つかったのは2009年だった。以来、米マノア財団からの資金提供の下、首都カラカスにあるシモン・ボリバル大学のホセ・ミゲル・ペレス・ゴメス氏を団長とした調査団は20もの先史時代の岩絵遺跡を発見してきた。

 2023年11月にはそれまでの成果を学術誌「Rock Art Research: The Journal of the Australian Rock Art Research Association」に発表している。

 カナイマ国立公園には密林と草原地帯が広がる。その数百メートル上にはテーブルマウンテン(風雨によって台地が削られ硬い地盤だけが卓状に残った山)が連なり、「エンジェルフォール」がある。ここで暮らす先住民のペモン族が「ケレパクパイ・メル(最も深い地にある滝)」と呼ぶ世界最大の落差を誇る滝だ。このように、カナイマはアクセスが極めて困難で、人類未踏の地も多い。

 しかし、人工衛星のセンサーなどを使って遠隔地から対象物を調べるリモートセンシング技術や、VR(仮想現実)技術などのおかげで、考古学者たちは実際にその場にいるように調査ができ、新たな岩絵の発見につながった。

知られざる文化の痕跡か

 岩絵は天然顔料であるレッド・オーカーで描かれたピクトグラムや、岩面に彫刻されたペトログリフからなる。岩絵があるのは孤立した岩壁や断崖で、急流の中の岩に描かれていることもある。

 肉眼では確認が難しいため、様式や色彩などを詳しく調べるにはまず岩絵を広範囲にわたって撮影し、「DStretch」という技術を使ってデジタルで高画質化する必要があった。

 年代測定はまだ行われていないが、ベネズエラにある他の同様の岩絵は、南米におけるアルカイック期(紀元前1万年から紀元前3000年)の初期に描かれている。

 また、調査された岩絵遺跡群は、これまでブラジル、ギアナ地方、コロンビアで発見された、より時代が下がった岩絵と様式的に強いつながりがある。そのことはカナイマがこれまで知られていなかった文化の中心地であることを示していると、調査団の考古学者たちは言う。

「あらゆることが、新しい未知の文化であることを示唆しています」と、団長のペレス・ゴメス氏はナショナル ジオグラフィックに語る。

抽象的なモチーフの意味

 カナイマ渓谷の中ほどの高台に立つ「ウプイグマ岩陰」は孤立した露頭(岩石が露出した部分)で、今回発見された岩絵遺跡群の中心的な存在だ。狩りをして暮らしていた岩絵の描き手がこの場所を選んだのは、獲物を狙うのに理想的な場所だったからだろうと、ペレス・ゴメス氏は言う。

 岩絵は点と線で描かれたシンプルなものから星のような図形まであり、こうした文様は20もの岩絵遺跡群で繰り返し描かれている。生き物や木の葉などを円と直線で表現したものもある。

「こうしたモチーフの意味を読み解くのは簡単ではありません」とペレス・ゴメス氏は言う。しかし調査団は、何らかの儀式的な営みに関係しているのではないかと指摘する。

 抽象的なモチーフが繰り返されていることは、描き手が意識の変容した状態で視界に入ってくるものを描いていたことを強く示唆している。幾何学的な模様や浮遊物のような形状が描かれているのは、幻覚剤の影響によって引き起こされた内視現象(眼球内のものが見える現象)によるものだろうと考えらえる。

「岩絵は超自然界とつながる手段でした」と、ペレス・ゴメス氏は言う。「そして先住民にとって岩壁は何百年、何千年もの間、祖先と交流する教会のような存在だったと思います」

 2024年6月にイタリアのヴァルカモニカで開かれた学術会議で、ペレス・ゴメス氏は今回の発見を報告し、描き手が環境の美しさに影響を受けたのだろうと言っている。

一帯の文化的な原点か

 地形的に立ち入りが困難なことから歴史的な調査がほとんど行われてこなかったなか、ペレス・ゴメス氏を団長とする調査団の15年に及ぶ調査によって、岩絵が描かれた理由やその方法、周辺地域における岩絵の重要性について理解は深まった。

 カナイマの岩絵で描かれた幾何学模様は、ベネズエラで発見された他の岩絵ではより複雑化している。つまりカナイマの岩絵は、それ自体が新たに発見された様式であることに加え、地域一帯で見られる岩絵の基礎となった文化的な原点と言える可能性が高い。

 これらの岩絵から、狩猟採集民だったアルカイック期の先住民がどう暮らし、どう行動してきたかが分かるだろうと調査団は考えている。また岩絵の周辺から見つかった土器や道具は、岩絵の年代を特定する上でヒントとなるだろうと期待を寄せている。

 調査団は今後、専門家の協力を得て岩絵の年代測定と、遺跡群の記録を進めていく予定だ。

 同時に、地域のペモン族にも協力を呼びかけている。彼らの中には岩絵について知っている者もいるが、世代を超えて受け継がれなかったため知識の多くは失われてしまった。ペレス・ゴメス氏は、地元コミュニティーとの共同プロジェクトも考えており、カナイマの宝を展示するための博物館の設立を視野に入れている。

【この記事の写真をもっと見る】ギャラリー:未知の古代文化の中心地か、ベネズエラの秘境の岩絵群 写真あと2点

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/natgeo/world/natgeo-0000BwSU


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インドの科学的成功は世界的に輝いています:連合大臣

2025-02-10 | 先住民族関連

 

CREDO- 2月 9, 2025 Michiko Nakamura

ニューデリー、2月9日(SocialNews.xyz)Jitendra Singh連合大臣は、日曜日、インドの科学的進歩はワクチンの発展やチャンドラヤーンの成功などの成果で世界的に認識されていると述べました。

大臣は、宇宙セクターやバイオテクノロジーの宇宙およびBIRACと同様に、この事務所が新しい科学的イニシアチブとパートナーシップを特定するためのプラットフォームとして機能しなければならないことを促しました。

彼はまた、それを学習とアイデアの交換のための非常に必要なセンターと呼び、科学における変革時代のためのナレンドラ・モディ首相のリーダーシップを歓迎しました。

彼は、首相は科学者を支援するだけでなく、より良い結果を得るために民間部門と協力するために必要なリソースと機会を受け取ることを保証すると述べた。

過去10年を振り返って、大臣は、インドは常に偉大な科学的才能を持っているが、過去に強い政治的コミットメントを欠いていたと指摘した。

「今、モディ首相のリーダーシップの下で、科学技術は国家的優先事項になっています」と彼は言いました。

彼は、インドのヘルスケアにおける進歩について話し、かつては治療的な医療で見落とされていた国が予防医療を主導していると述べています。

大臣はさらに、パンデミック中に発生した世界初のDNAワクチン、子宮頸がんの最初の先住民族HPVワクチン、およびセクターの後半に始まったにもかかわらず宇宙技術の急速な進歩など、インドの重要な成果について言及しました。

彼はまた、2070年までの純ゼロ排出の目標を含む、世界の気候目標に対するインドのコミットメントを繰り返しました。

大臣は、インドの古代の知恵を文書化する伝統的な知識デジタルライブラリ(TKDL)について話しました。

「オディシャのコナーク寺院は、その強力な建築と、パンデミック中のホメオパシーや自然療法を含む伝統医学に対する世界的な関心の高まりにより、2000年に大規模なサイクロンを生き延びました」と大臣は言いました。

大臣はまた、医薬品におけるインドの最新のブレークスルー、つまり先住民族の抗生物質であるナフィトロマイシンの発展を発表しました。

出典:IANS

https://credo.asia/ニュース/インドの科学的成功は世界的に輝いています:連/71454/


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Aero India 2025:IAF、陸軍の首長は一緒にテジャスで出撃します

2025-02-10 | 先住民族関連

 

CREDO- 2月 9, 2025  Michiko Nakamura 

投稿者:Gopi
2025年2月9日

ベンガルール、2月9日(SocialNews.xyz)インド空軍のチーフ、航空長官AP Singhおよび陸軍長、Upendra Dwivedi将軍は、ベンガルールのエアロインディアの初めに先立ち、日曜日にテハス戦闘機で一緒に選別を引き受けました。

インド空軍と陸軍の首長は、先住民族が建設された軽戦闘機(LCA)テハスで約45分間飛行しました。軍隊の2人の首長が先住民族の航空機で一緒に飛行を引き受けたのはこれが初めてでした。

午後1時30分頃に始まったソーティは、IAFの首長がパイロットの席をとっている間、陸軍長官が彼を副操縦士として同行しました。

これは、ベンガルールで開催されるエアロインディアショーが始まる1日前です。軍隊の2人の首長による共同飛行は、あらゆる不測の事態に対抗するために、治安部隊の統一と堅牢な準備に関する強力なメッセージを送ります。

ベンガルールは、2月10日に開始される予定で、2月14日に締めくくられるエアロインディアショー2025を開催しています。戦闘機はすでにエラハンカ空軍基地からリハーサルフライトを開始しています。スリリングな空中操縦を見越して、何千人もの航空愛好家も街に到着し、すでに興奮に悩まされています。

米国は、エアロインド2025に参加している主要な国の1つです。これは、アジアの最高の航空宇宙および防衛貿易展示会と見なされています。これは、さまざまな高度な航空機を紹介し、米国とインドの間の強力で成長している防衛と航空宇宙のパートナーシップを強化します。

Aero India 2025では、20人以上のアメリカの出展者がインドのカウンターパートに関与し、新しいビジネスチャンスを探求し、航空と防衛の革新的なソリューションを実証します。これらの企業は、無人の航空システム(UAS)、戦闘機、高度なアビオニクス、防衛電子機器の進歩を展示します。

出典:IANS

https://credo.asia/ニュース/aero-india-2025:iaf、陸軍の首長は一緒にテジャスで出撃しま/71252/


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【女性が選ぶ】かっこいいと思う「宮城県の市町村名」ランキング! 2位は「気仙沼市」、1位は?

2025-02-10 | アイヌ民族関連

 

ねとらぼ 2/9(日) 7:00

 宮城県には35市町村(14市10郡20町1村)があり、それぞれに異なる魅力があります。各市町村の名前もどれも個性的で、中にはかっこいいと思う市町村名もあるのではないでしょうか。

【画像:ランキング28位~1位を見る】

 そこでねとらぼでは、アンケートサイト「ボイスノート」の協力のもと、全国の女性を対象に「名前がかっこいい宮城県の市町村は?」というテーマでアンケート調査を実施しました。

 多くの女性から支持を集めたのは、どの市町村名だったのでしょうか。さっそくランキングを見ていきましょう!

●第2位:気仙沼市

 第2位は、得票率9.4%の「気仙沼市」でした。宮城県の北東端に位置する気仙沼市(けせんぬまし)は、豊かな自然環境に恵まれた港町です。世界三大漁場に数えられる「三陸沖」に面していて、さまざまな魚が水揚げされるため、いつでも旬の魚を楽しめるところも魅力。世界有数のフカヒレの産地としても知られています。

 地名の気仙沼の由来に、アイヌ語で「最南端の港」や「静かな海」などを意味する「ケセモイ」「ケセムイ」から来ている説をはじめ、諸説あるようです。

●第1位:蔵王町

 第1位は、得票率12.1%の「蔵王町」でした。宮城県の南西部に位置する蔵王町(ざおうまち)は、町域の約60%を山林や原野が占める、豊かな自然に恵まれたエリアです。エメラルドグリーンが特徴的な火口湖「御釜」や、限られた地域でしか見られない「樹氷」など、世界有数の美しい観光スポットが点在。長い歴史を誇る「遠刈田温泉」は、仙台駅からのアクセスも良好なため、町の観光拠点にもなっています。

 地名の蔵王は、その名の通り、蔵王連峰の一部を有していることに由来しています。蔵王連峰の雄大なイメージや、漢字の組み合わせから感じられる力強さなども支持を集めたのではないでしょうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fcd8d5b32f48a03a3880a47575a78ecbf002826b


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