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松前高の生徒2人が「夷酋列像」の謎追い仏へ

2010-09-03 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 09/02 14:19

【松前】松前高校は30日から11日間の日程で、松前ゆかりの名画「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」の原画があるフランス・ブザンソン市に生徒2人を初めて派遣する。石塚耕一校長は「幻の名画と呼ばれた夷酋列像が松前で描かれ、今はフランスに存在することを知り、生まれ育ったまちに誇りを持ってほしい」と話している。
 同校では本年度から地域文化や産業を学ぶ「松前学」、書道教育、国際教育の三つを教育の柱に掲げ、ブザンソン市との交流を計画。希望した生徒8人の中から3年の堀翔平君と2年の三浦賢也君が選ばれた。石塚校長と英語担当の教諭も同行する。
 4人はパリ経由で10月3日、スイス国境に近い仏東部のブザンソン入り。ブザンソン美術館で、松前藩家老の蠣崎(かきざき)波響がアイヌ171件民族の指導者を描いた名画「夷酋列像」の原画11枚を見学する。芸術教育に力を入れているルイ・パスツール高で授業にも参加、書道などの日本文化を紹介する。
 派遣には町などの補助を受け、帰国後は校内外で報告会を開く。
 生徒2人は、夷酋列像が描かれた歴史的経緯や、フランス語を勉強中。堀君は「夷酋列像がなぜフランスに渡ったのか聞いてみたい」と意気込む。三浦君は「外国の人たちと接することでコミュニケーションの幅を広げたい」と意欲をみせている。(大城道雄)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki2/249179.html

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佐賀藩、幕末北海道絵図に書き込み見つかる

2010-09-03 | アイヌ民族関連
(佐賀新聞 2010年09月02日更新)

 旧佐賀藩主鍋島家の資料「鍋島文庫」(鍋島報效(ほうこう)会所蔵)のうち、江戸末期の北方探検家松浦武四郎(1818~88年)が1854(嘉永7)年に作製した樺太(からふと)や北海道を描いた地図に、先に測量や探検を行っていた伊能忠敬や間宮林蔵の実測データを佐賀藩が書き込んでいたことが分かった。同じ地図は全国に7点伝わるが、伊能らの実測値を記入した地図はなく、幕末期に佐賀藩が北方に強い関心を寄せていたことを示す資料として注目される。
 「伊能図」研究の第一人者の渡辺一郎・伊能忠敬研究会名誉代表が一日、鍋島報效会・徴古館で調査した。
 地図は松浦武四郎作製「蝦夷地(えぞち)之図」(270センチ×365センチ)で、上部に大きく樺太を、下部に北海道などを描写。余白部に「松前」など数十地点を挙げ、緯度経度を表にして記述している。
 渡辺名誉代表はほかに6点現存する嘉永7年製の地図と同一と確認。緯度経度を書き込んだ例はほかになく、「佐賀藩が入手し、描かれた地形が不正確だったため、実測データを書き込んだのでは」と推測した。
 この地図のほか、伊能作とされてきた別の「蝦夷地之図」と、松浦が1859(安政6)年に作製していた「東西蝦夷山川地理取調図」も調査。両者がともに「東西蝦夷山川地理取調図」であることが分かった。また、この「蝦夷地之図」には釧路地方に「御国御支配」と朱書きするなどの記載があり、1869(明治2)年に佐賀藩が釧路地方統治を決めたころの書き込みと推測された。徴古館は「北海道開拓への意気込みが感じられる」とあらためて評価した。
 佐賀藩は幕府の北海道調査に島義勇を派遣するなど、アイヌの人々が暮らし「蝦夷地」と呼ばれていた北海道開拓に意欲を示していた。明治維新では10代藩主鍋島直正が北海道開拓使の初代長官となったほか、新政府が有力藩に「分割支配」を認めると、釧路地方を統治。1871(明治4)年の「廃藩置県」まで、現地で基盤整備を進めた。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1718016.article.html

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