(北海道新聞 09/09 13:57)
【登別】アイヌ神謡集の著者、知里幸恵(1903~22年)の生涯を一人芝居「神々の謡(うた)」で演じる東京の舞台女優、舞香(まいか)さん(28)の市内中学生を対象にした公演が8日、一般公演を前に、登別中を皮切りに始まった。
「知里幸恵 銀のしずく記念館」が19日、市内登別本町に開館するのを記念した公演の一環。中学校での公演は、登別出身の幸恵の生き方を地元の子どもたちに知ってもらおうと、舞香さんや実行委が企画した。通常2時間20分の上演時間を、約1時間半に短縮して披露した。
舞香さんは、口調や表情を巧みに変えながら、同級生や近所の住民ら20人の役を1人でこなした。幸恵がアイヌ民族に対する差別に苦しみながら、民族の文化に誇りを持ち、その言葉や歌を残そうと困難を乗り越えていく姿を熱演した。
芝居を見学した同中3年の林倉奈津さんは「最後まで見入ってしまうほど迫力があった」と話した。
9、10両日は西陵、幌別両中で上演する。一般公演は11日午後6時から、登別市民会館で行う。入場料千円。一般公演の問い合わせは、登別市教委(電)0143・88・1129へ。
*差別や民族、重いテーマ アイヌ民族関係者の激励背に
【登別】知里幸恵の生涯を一人芝居で演じる舞香さんに、幸恵の故郷で公演することへの思いや、芝居に込めた願いなどを聞いた。(聞き手 井上雄一)
--念願だった登別公演が始まりました。
「昨年11月に声を掛けてもらった登別公演が実現して感激しています。幸恵さんの故郷で演じているということで、舞台での感情の高ぶりが、いつもと違いました。普段は攻撃的な場面で高ぶることが多いですが、今日は幸恵さんが後世に伝えたかったことをセリフで話す時に気持ちがググッと盛り上がりました」
--「神々の謡」を作る時に、どんな苦労がありましたか。
「脚本を書いている時に壁に直面しました。差別や民族といったテーマの重さに戸惑い、和人である自分が、差別を受けていたアイヌ民族側から見た芝居を本当にやっていいのかと悩みました。脚本が完成せず、都内での初公演も半年近く延期しました」
--どうやって壁を乗り越えたのですか。
「道東でシカ狩りに同行し、捕まえたシカの肉をその場で食べました。その時のシカの姿が美しく、アイヌの人たちが大切にした、命をいただくという意味が分かった気がしました。また、道内外のアイヌ民族関係者の人に励ましの声を掛けてもらい、自分が演じてもいいんだと思えるようになりました」
--一人芝居を通し、知里幸恵の何を伝えたいと考えていますか。
「19歳の若さで亡くなりましたが、(アイヌの言葉や歌を残す)という自分の使命を見つけ、その使命をやり遂げた幸せな人でもあります。幸恵さんの苦悩や孤独も含めて芝居で表現し、登別にそんな人がいたことを、見てくれる人の心に小さなとげとして残すことができればと思います」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/250258.html
【登別】アイヌ神謡集の著者、知里幸恵(1903~22年)の生涯を一人芝居「神々の謡(うた)」で演じる東京の舞台女優、舞香(まいか)さん(28)の市内中学生を対象にした公演が8日、一般公演を前に、登別中を皮切りに始まった。
「知里幸恵 銀のしずく記念館」が19日、市内登別本町に開館するのを記念した公演の一環。中学校での公演は、登別出身の幸恵の生き方を地元の子どもたちに知ってもらおうと、舞香さんや実行委が企画した。通常2時間20分の上演時間を、約1時間半に短縮して披露した。
舞香さんは、口調や表情を巧みに変えながら、同級生や近所の住民ら20人の役を1人でこなした。幸恵がアイヌ民族に対する差別に苦しみながら、民族の文化に誇りを持ち、その言葉や歌を残そうと困難を乗り越えていく姿を熱演した。
芝居を見学した同中3年の林倉奈津さんは「最後まで見入ってしまうほど迫力があった」と話した。
9、10両日は西陵、幌別両中で上演する。一般公演は11日午後6時から、登別市民会館で行う。入場料千円。一般公演の問い合わせは、登別市教委(電)0143・88・1129へ。
*差別や民族、重いテーマ アイヌ民族関係者の激励背に
【登別】知里幸恵の生涯を一人芝居で演じる舞香さんに、幸恵の故郷で公演することへの思いや、芝居に込めた願いなどを聞いた。(聞き手 井上雄一)
--念願だった登別公演が始まりました。
「昨年11月に声を掛けてもらった登別公演が実現して感激しています。幸恵さんの故郷で演じているということで、舞台での感情の高ぶりが、いつもと違いました。普段は攻撃的な場面で高ぶることが多いですが、今日は幸恵さんが後世に伝えたかったことをセリフで話す時に気持ちがググッと盛り上がりました」
--「神々の謡」を作る時に、どんな苦労がありましたか。
「脚本を書いている時に壁に直面しました。差別や民族といったテーマの重さに戸惑い、和人である自分が、差別を受けていたアイヌ民族側から見た芝居を本当にやっていいのかと悩みました。脚本が完成せず、都内での初公演も半年近く延期しました」
--どうやって壁を乗り越えたのですか。
「道東でシカ狩りに同行し、捕まえたシカの肉をその場で食べました。その時のシカの姿が美しく、アイヌの人たちが大切にした、命をいただくという意味が分かった気がしました。また、道内外のアイヌ民族関係者の人に励ましの声を掛けてもらい、自分が演じてもいいんだと思えるようになりました」
--一人芝居を通し、知里幸恵の何を伝えたいと考えていますか。
「19歳の若さで亡くなりましたが、(アイヌの言葉や歌を残す)という自分の使命を見つけ、その使命をやり遂げた幸せな人でもあります。幸恵さんの苦悩や孤独も含めて芝居で表現し、登別にそんな人がいたことを、見てくれる人の心に小さなとげとして残すことができればと思います」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/250258.html