先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ刺繍展:先祖の文化を継承--水俣 /熊本

2010-10-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年10月23日 地方版

 アイヌ民族に伝わる独特の文様を描いた刺繍(ししゅう)作品展が、水俣市牧ノ内のもやい館ギャラリーで開かれている。25日まで。入場無料。
 先祖がアイヌという札幌市の計良(けいら)智子さん(63)らの作品。計良さんと交流のある水俣市のNPO法人水俣病協働センターが招いた。タペストリーやバッグなど約100点を展示。模様には魔よけの意味が込められているという。明治政府の同化政策でアイヌの刺繍文化はほぼ姿を消したが、計良さんは18年前から復活に取り組んでいる。【西貴晴】
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20101023ddlk43040584000c.html


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【白老】町が札幌駅西口で観光PR

2010-10-23 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 10/23)
 白老町はJR北海道とのタイアップで観光振興を図っている。22、23日にはJR札幌駅西口で観光PRを行った。JRの「日帰りJRでぶらり旅」などで同町がコースになっている「JR商品」が多く、今回は「JRとの連携事業として、道都での観光PRとなった」と言う。
 職員3人が、「しらおい」と書かれた法被を着ての観光PR。「アイヌ文化と名物白老バーガー」「白老町癒やしの森 森を歩いて健康改善」「ウヨロ川サケウオッチング」のほか、同町の観光ガイドなどのチラシを配布した。チラシの袋の中には、同町名物の「若草まんじゅう」も入っており、ビジネスマンや買い物客、観光客らが「あら珍しい」「白老牛はおいしいよね」などと言いながら、チラシを受け取っていた。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10102302.html


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水彩画家は97歳―室蘭の石田さん、さらなる意欲燃やす

2010-10-23 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年10月23日(土)朝刊】
 室蘭市中島町の老人ホーム「チエロ」で暮らす石田きよさん(97)は80歳から水彩画を始め、現在も「絵を描いている時は時間を忘れます」と衰えない創作意欲を画用紙に向けている。
 かつて高校の英語教師だった石田さん。退職後も母子福祉のボランティア活動に打ち込んでいたため「趣味を楽しむ余裕はなかった」と振り返る。福祉センターで行われていた市民講座に参加したのが“80の手習い”のきっかけとなった。
 写真を見ながら、構図を決め緻密(ちみつ)に表現する石田さん。最新作は、若者がサーフィンで遊ぶ海岸の風景を描いた。「制作には半年ぐらい掛かった。海岸を歩く人の足の筋肉などを描くのが難しかった」と楽しげに説明する。
 最近は、絵の具を出すなど準備をするだけで疲れてしまい、あまり描く時間がとれないのが不満。「絵を描くのが生きがいになっています」と若々しい笑顔を見せ、「今度はアイヌの祈りをテーマにした作品に取り組みたい」と、さらなる意欲を燃やしている。
(佐藤重理)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/10/23/20101023m_03.html


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白老でアイヌ伝統漁法のサケ捕獲を子供たちが体験

2010-10-23 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年10月23日(土)朝刊】
アイヌの伝統的サケ漁などを体験する「川のイオル体験交流事業」(同事業推進協議会主催)が21日、白老・ウヨロ川上流の河川敷で行われ、萩野小の3年生約30人が、かぎ付きの長さ2メートルほどの棒でサケを捕獲した。
 かつてそ上するサケで川面がびっしりになったという漁場・カッケンハッタリが会場。川原石を積んで囲った「サケ池」で、子供たちは白老モシリのおじさんたちに手を貸してもらいながら、1メートル近くもあるサケを捕獲、岸に揚げた。
 しらおいイオル事務所・チキサニの能登千織さんは「生き物を神様のところに返す。これがアイヌ民族のやり方なんです」と子供たちに語りかけた。狩り小屋(クチャ)作りにも挑戦、昼食はアイヌ民族の伝統食を味わった。
 26日には緑丘小4年生50人が同事業を体験する。
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/10/23/20101023m_08.html


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「文化遺産」10万点を寄贈

2010-10-23 | アイヌ民族関連
(読売新聞 2010年10月23日 )
石巻の経済人・毛利総七郎所蔵コレクション
石巻市の経済人・毛利総七郎氏(1888~1975)が集めた考古学資料や古い生活用具など10万点を超す所蔵品が市に贈られることになり、22日、市石巻文化センターで寄贈式が行われた。
 「毛利コレクション」と呼ばれる貴重な資料群で、孫の毛利伸さん(75)から市に収蔵台帳が贈られた。
 総七郎氏は、幼少時に始めた切手やマッチのラベル収集がきっかけで、七十数年間に多岐にわたる様々な資料を集めた。灯火具、喫煙用具といった生活用具や、刀剣類、アイヌ関係の衣服・食器、考古学資料、古文書などだ。中でも同市の沼津貝塚や南境貝塚から出土した遺物は2万点に及び、東北大に移管した約500点が重要文化財に指定されている。市によると、寄贈品の財産的価値の算出は難しいが、「億は超えるだろう」という。
市はこれまで、毛利コレクションを展示する博物館構想を何度か打ち出してきたが、財政事情もあって実現できずにいた。2012年度に同センター内に毛利コレクション専用の常設展示室を設けることにし、それに向けて伸さんが寄贈を申し出た。
 伸さんは「祖父は『郷土のものは郷土に保存してこそ真の意義がある』と話していた。文化遺産として生かして欲しい」と語り、亀山紘市長も「市民の宝として広く活用したい」と述べた。展示室は来年度に改修工事に入り、12年春にオープンする予定だ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20101023-OYT8T00175.htm

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学校と私:阿寒で郷土力はぐくんだ=鶴雅グループ社長・大西雅之さん

2010-10-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年10月23日 東京朝刊
小学6年の時、北海道阿寒町(現在は釧路市と合併)から札幌市に転校し、その後、東京の大学に進学しました。私の原点は阿寒湖畔で学んだ少年期だと思います。
 通っていた町立阿寒湖小は、児童数が1学年20人前後の小さな学校。一つの教室をカーテンで仕切り、2学年が分かれて授業をします。カーテン越しに隣の先生の声が聞こえてくるのどかな学校でした。当時の先生は威厳があり怖かった。ひとりが悪いことをすると「連帯責任だ」と、みんながたたかれた記憶があります。学校が終われば、近くの森に作った「秘密基地」で遊び、休みの日はボーイスカウトで野外活動に一生懸命でした。
 印象に残る先生は3、4年の担任、吉田隆先生です。手が届きそうな満天の星空に輝く天の川を眺めながら、吉田先生から「この星のどこかに生命が存在するかもしれない。地球なんてちっぽけな存在。ささいなことに悩んだり、苦しんだりするな」と聞かされました。その影響もあり、中学校で天文クラブに入りました。親から高価な天体望遠鏡を買ってもらい、親友と2人で未明の星空をながめ、ジャコビニ流星群を見たりベネット彗星(すいせい)を探したものです。
 阿寒湖畔の自宅近くにアイヌコタン(集落)がありました。同級生にアイヌの子が4人おり、一緒によく遊びました。アイヌへの差別や偏見が残っていた時代でしたが、私にとって自然な存在でした。両親が体調を崩し、家業の旅館を手伝うため、30代で阿寒に戻りました。その時聞いたエカシ(長老)の話が印象的でした。「アイヌには時計がない。好きな子ができたら、満月の晩に会おうと約束する。でも、その日がよく分からないから何日も待ってようやく会える」。時間に追われた生活とは無縁のアイヌの世界観に触れ、豊かな阿寒の自然の中にいると、環境を傷める人間の愚かさを感じました。
 ホテル経営、地域づくりには郷土力が必要です。地域の宝物を見つけ、個性を磨き、他にない本物を提供する。そう信じて仕事をしていますが、それには小学生での体験や阿寒の土地柄があると思います。【聞き手・千々部一好】
==============
 ■人物略歴
 ◇おおにし・まさゆき
 1955年北海道釧路市生まれ。東京大卒。北海道で七つのホテルなどを経営。「鄙(ひな)の座」(阿寒温泉)はJTBの08年全国最優秀旅館に。観光庁の観光カリスマ百選の一人。
http://mainichi.jp/life/edu/news/20101023ddm013070147000c.html

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雑記帳:「毛利コレクション展」宮城県石巻市で開幕

2010-10-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年10月22日 19時43分(最終更新 10月22日 19時57分)
国際的な民俗資料コレクターで元宮城県石巻市議、故毛利総七郎氏(1888~1975年)が約70年間集めた収集品を一般公開する「毛利コレクション展」が22日、市文化センターで開幕した。
 収集品は、子どものころ集めた切手やマッチ箱に始まり、昔の貨幣、刀剣類、アイヌ民族の食器、浮世絵など多岐にわたり、重要文化財指定も多い。莫大(ばくだい)な私財を投じて貝塚の発掘もした。
 開幕前の式典で、孫の伸さん(75)が所蔵品約10万3000点の目録を市に贈呈。市は常設展示室を設ける計画だ。先人に敬意を表して、亀山紘市長は「市民の宝」と大絶賛していた。【石川忠雄】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101023k0000m040043000c.html


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【白老】小学生がアイヌ漁法を体験

2010-10-23 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 10/22)
 木製のもりでサケを捕るアイヌ民族伝統の「マレク漁」の体験学習が21日、白老町のウヨロ川上流で開かれた。萩野小学校3年生30人が参加し、先人と自然とのかかわりに理解を深めた。
 イオル(アイヌ民族の伝統的生活空間)再生事業の一つとして、道から特別採捕の許可を得て実施した。地元アイヌの人々などで構成する白老イオル体験交流事業推進協議会の主催だ。
 棒の先端にC型の金具が付いた漁具がマレク。浅瀬を泳ぐサケを狙い、よく突き刺す漁法だ。意外に重くて子どもたちは大苦戦。それでも、大人に手助けされて、サケが金具に引っ掛かると、「すごい、すごい」と歓声が上がった。
 このほか、サケの霊を神に送り届ける祭具「イナウ」で魚の頭をたたく儀礼を体験、乾燥したサケの皮で作った靴「チェプケリ」にも触れ、アイヌ民族の宗教観や食べ物を無駄無く利用する文化も学んだ。
 荒井千草さん(9)は「生きているサケを見るのは初めて。触ったり、捕まえたりすることができて勉強になった」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10102202.html

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いのちのしずく

2010-10-23 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年10月22日)

■いのちのしずく “コタンの赤ひげ”高橋房次物語
 川嶋 康男《著 》
■「町医者」の無私の生き様
 大正から昭和30年代までのおよそ40年間、白老町でアイヌ民族をはじめとする地域住民の医療に身をささげ、「コタンのシュバイツァー」とも呼ばれた医師、高橋房次(ふさじ)。本書は、小学高学年くらいから読める房次の伝記だ。
 栃木県に生まれた房次は、1922(大正11)年に白老病院の初代院長となり、まだアイヌ民族への差別が色濃く残っていた時代に、アイヌの人々も和人も分け隔てなく献身的な治療を行った。
 貧しい人々には治療代や往診料を請求せず、患者たちは代わりに野菜や魚を持ってきた。依頼があれば夜中でも大吹雪の中でも馬そりに乗って往診に出かけた。病気だけでなく生活上の困り事の相談にも乗り、「院長さん」と慕われた。一方で、第1号の名誉町民に決まっても「自分には似合わない」と受け取りを拒むなど、栄誉や富には全く関心を持たず、質素な暮らしを続けた。
 ノンフィクションとしては登場人物の言葉やエピソードの典拠がやや不明確で物足りない部分もあるが、房次の「無私」の精神と生き様がよく伝わる作品だ。写真家の掛川源一郎による房次の写真も織り込まれ「町医者房次」の人柄がにじみ出ている。
(農文協・1380円)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000861010220001

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登別の知里幸恵記念館 開館1カ月、来館者数は順調

2010-10-23 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 10/22 14:29)
 【登別】9月19日にオープンした登別市登別本町の「知里幸恵 銀のしずく記念館」の来館者が、開館1カ月で900人を超え、同館は「順調なスタート」と手応えを感じている。
 同館によると、無料開放した開館日と翌日の2日間で約400人が来館し、その後は今月21日までに個人客408人、団体客約150人が訪れた。平日でも1日平均5、6人の来館があり、横山むつみ館長は「来館者がゼロの日はまだない。まずまずの船出になった」と話す。
 同館はアイヌ文化の伝承に情熱を注いだ幸恵の日記や手紙など約70点を展示。開館を契機に、学校の総合的な学習の時間を使って幸恵を深く知ろうと考える地元の子供もおり、21日には登別中1年の生徒2人が訪れた。
 館内見学後、佐藤萌花(もえか)さん(13)は「差別に負けず、アイヌ神謡集をまとめた姿に感動した」。坪島永宝(なほ)さん(13)も「自分と同じ年齢のころに立派な文章や手紙を書いていてすごい」と話し、幸恵の生き方に魅せられた様子。横山館長は「若い人が関心を持ってくれるのがうれしい」と話し、地元の子供の来館増に期待を寄せている。(井上雄一)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/256555.html

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ひと:舘野泉さん 左手で弾き続けるピアニスト

2010-10-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年10月22日 0時08分
左手で紡ぐ。自然と共生する先住民族の精神世界を敬う豊かで繊細な旋律。演奏生活50周年を記念し、22日の札幌を皮切りに福岡(26日)、東京(11月10日)、大阪(11年2月6日)を巡る公演で新曲「アイヌ断章」を初披露する。「銀の滴降る降るまわりに--」の詞で知られる「アイヌ神謡集」(知里幸恵著)などをモチーフにしている。
 父はチェリスト、母はピアニストの音楽一家。母が北海道室蘭市で育ったこともあり、少年時代から「北の大地に異なる民族がいるのか」と興味を持った。「私が暮らすフィンランドにも少数民族がいる。国の同化政策による受難の歴史を生き抜いた先住民の心に思いをはせながら演奏したい」
 東京芸術大を卒業した60年にデビュー。北欧の大自然にあこがれ4年後、拠点をフィンランドに移した。
 02年。年始めのリサイタル直後、脳出血で倒れ、右半身不随に。「ピアニストは手職人。片手だろうが両手だろうが問題ではない」。2年半後、左手のピアニストとして本格的に復帰した。
 演奏会で弾く曲作りは作曲家の間宮芳生さんや林光さんらに依頼。「アイヌ断章」は芸大時代からの友人、末吉保雄さんが「50周年のお祝いに」と寄せたピアノやフルートなどの四重奏曲だ。
 この間、自分以外に事故や病気で手に障害を負ったピアニストがいると知った。「そうした人々のためにも『左手のピアノ』を新しいジャンルとして確立したい」。新たな音楽の世界を追求する。【明珍美紀】
 【略歴】舘野泉(たての・いずみ)さん 演奏生活50年、左手で弾き続けるピアニスト。妻マリアさんとヘルシンキ在住。長男ヤンネさんはバイオリニスト。東京公演は東京オペラシティで。75歳。
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http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20101022k0000m070108000c.html

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