グローバル・ボイス日本語 (ブログ)-2015/07/12 18:27 GMT
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/2b/e4d8afc903082cdd316eac08ffba61a0_s.jpg)
元国会議員のシャンタ・チャウダリさんが、テレビ局「ニュース24」のトーク番組「タフ・トーク」で、ネパール人ジャーナリストのディル・ブサン・パタック氏からインタビューを受けている動画のスクリーンショット。
まるでインド映画でも見ているかのような話だ。奴隷だった少女が、貧困と闘い、ネパールの国会(訳注:制憲議会と呼ばれる立法機関)議員になり、賞を受けるような本を書き、癌(がん)のため闘病し、そして、コミュニティーの誇りとなるのだ。
シャンタ・チャウダリさんは8才のとき両親に75ドル(訳注:約9,000円)で売られ、ネパールのある家庭で、1日19時間にわたり料理と掃除をすることになった。
不屈の精神を持つ女性、シャンタ・チャウダリさんが、再びニュースになった。チャウダリさんは、高等教育を受けることを目標に、地元の中学校に2年生として入学したのだ。チャウダリさんの息子は中学3年生、娘は中学1年生として、ネパールの首都カトマンズの寄宿学校で勉強しているが、チャウダリさんは自分の村にある国立校を選んだ。
活動家であり、統一共産党のリーダーでもあるチャウダリさん。彼女はカムラリから身を起こして、国民的英雄になった。
カムラリ
カムラリとは、ネパール西部の裕福な家庭で奴隷として働かされる、先住民族タルー族出身の幼い少女たちのことだ。
ネパールで奴隷制度は禁止されたにも関わらず、今でもカムラリの少女たちは、休むことなく働き、苦難に満ちた生活を送り、身体的および性的な虐待を耐え忍ぶことを強制される。そのうえ、時には不可解な状況の中、殺害されることもある。
カムラリに支払われる労働の対価は、きわめて少額か、もしくは無給だ。ある推定によれば、いまだカムラリとして働かされている少女の数は、カトマンズを含んだネパール各地で数千人に上る。
ネパール政府は2013年、カムラリという制度を違法としたが、しかし違法となった後も人々はカムラリを家に置き続けた。
下の動画は、奴隷から解放された3人の少女のストーリーだ。彼女たちは今、活動家として、いまだ継続しているカムラリ制度を終わらせようとしている。
他のカムラリの少女たちと同様に、チャウダリさんも男たちからの性的暴行の脅威にさらされていた。自分を守るためには、結婚するしかなかった。
読む価値のある物語
著書『カムラリから制憲議会議員へ向けて(原題:Kamlari Dekhi Sabhasadsamma)』は、カムラリとして差別と搾取を受けていたチャウダリさんが、やがてコミュニティーを啓発するような人物になるまで、かつて奴隷だった少女たちにとってはお手本とすべき存在になるまでを描いた、心に強く響く物語である。
すべてを暴露したこの本の中で、チャウダリさんは今でも彼女の脳裏を離れない出来事について語っている。
•チャウダリさんの少女時代は、8才の時から合計7軒の家でカムラリとして働いて終わった。
•どの主人も、たいていチャウダリさんを酷使した。たとえ雨が降っていようとも、チャウダリさんは植物に水やりをすべきだと考える主人がほとんどだった。「カムラリを休ませるべきではない。休まず働かせるべきだ」。これは主人たちの頭の中に深く染み込んだ考え方だった。
•チャウダリさんの義理の姉は、カムラリとして働いていた家の男たちの一人に性的暴行を受け妊娠した。チャウダリさんは、この義理の姉に代わってその家で働かなくてはいけなかった。カムラリが、病気や他のどんな理由でも、働けなくなった場合には誰か他のカムラリを送るのが慣習だった。
•ある家では、主人の娘がチャウダリさんにつばを吐きかけ、彼女に暴力を振るっていた。その娘は、チャウダリさんのことを「タルーニ」と呼んで、侮辱した(訳注:「タルーニ」は「タルー族の女」の意。カースト上位の者が、軽蔑の意を込めて、タルー族の女性を名前で呼ぶ代わりにこう呼んだ)。その娘は、タルーニになら、何をしてもいいと思っているかのようだった。娘の母親と祖母もまたチャウダリさんのことを嫌悪しており、ほんの一瞬たりともチャウダリさんが仕事の手を休めることに我慢がならないようだった。
•奇妙な決まりがあった。カムラリは虐待を甘んじて受けなければいけなかったが、不満を口にすることは許されなかった。米をもみ殻からより分ける作業をしている時や、飼料の草を運んでいる時。または市場で買い物をしている時や、食器を洗っている時。いかなる時も、チャウダリさんを虐待しようと機会を狙う者はいた。しかし、チャウダリさんはそれをうまくかいくぐり、そのことを誇りに思っている。
•国会議員だった頃、チャウダリさんは自分の村からその地方の中心地、ゴーラヒの街へと車を運転していた。その途中で、かつて自分がカムラリとして働いていた家の主人がバスを待っているのが目に入った。チャウダリさんは車に乗るよう勧めたが、彼はチャウダリさんを見てその変わりように驚いた。チャウダリさんが、かつて自分の家で働いていたカムラリと同一人物だとは受け入れがたいようだった。
大学生のシュリープリヤ・パウデルさんは、シャンタ・チャウダリさんの自伝を読んだ感想を自身のブログに投稿した。
いろんな人から、あまり恵まれない人たちの生活について学びなさいと言われる。今の自分の人生にもっと感謝できるようになるからって。なんだか自分勝手な理由に思えるけど、今回は素直に従ってみることにした。それで作ったのが以下のリスト。チャウダリさんの本を元にして、ほとんどの人が普段は気にも留めてないけど、本当は感謝すべきことを書き出してみたもの。ひょっとしたら、より良い生き方を考える時、このリストがいい参考になるかもしれない。
1. 頭上に雨漏りしない屋根があること。
2. 薬が手に入ること。たとえそれが、単なる鎮痛剤だったとしても。
3. 国家において、法律が成立しただけではなく、きちんと施行されていること。
4. 新聞やラジオ、テレビから情報が得られるので、他の人にバカにされなくて済むこと。
5. 5日間連続で食事抜きにならないこと。
6. 1日12時間労働の年収が、わずか7ドル(訳注:約870円)ではなく、それ以上もらえること。
7. 自分の子供が泣いた時、抱きしめてキスできる自由があること。
8. 自分の子供がお腹を空かせている時、なにか食べさせてあげる自由があること。
9. 昨晩、空腹のまま寝なくてもよかったということ。
10. 生まれてから、自分の家の半径50キロメートルより遠くに行ったことがあるということ。
[中略]
13. 一言の口答えも許されない人から、性的暴行を受けたことがないこと。
14.日当が、80セント(訳注:約100円)よりも多いこと。
[中略]
18. 服があること。また、二組以上の服を持っているということ。
19. 字が読めること。
20. 自分の子供たちに新しい服を一組買うのに、7〜8年も待ったことがないし、これからも待たなくてすみそうなこと。
もう一度言うけど、一人の人間が別の人間に何をしてあげるべきなのか、分かっているふりをするつもりはない。でも、できる限り寛大でいようとするのはいい考えじゃないかと思う。このリストを見ても、まだ自分の持っている富や特権について考え方が変わらなかった人。その人たちにも、考えを変えてくれる他の何かがきっとあると思う。
カムラリと自身のコミュニティーの権利を守るために闘うほか、チャウダリさんはこの4年間、癌(がん)とも闘ってきた。
シャンタ・チャウダリさんの、個人として、また政治家としての闘争は、私たちに偉大なインスピレーションを与えてくれる! 彼女が勇敢に癌(がん)と闘っている姿もすばらしい。
中学校に入学することで、チャウダリさんは差別と搾取に対し、再び闘いを挑んでいるのだ。
http://jp.globalvoicesonline.org/2015/07/12/37325/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/2b/e4d8afc903082cdd316eac08ffba61a0_s.jpg)
元国会議員のシャンタ・チャウダリさんが、テレビ局「ニュース24」のトーク番組「タフ・トーク」で、ネパール人ジャーナリストのディル・ブサン・パタック氏からインタビューを受けている動画のスクリーンショット。
まるでインド映画でも見ているかのような話だ。奴隷だった少女が、貧困と闘い、ネパールの国会(訳注:制憲議会と呼ばれる立法機関)議員になり、賞を受けるような本を書き、癌(がん)のため闘病し、そして、コミュニティーの誇りとなるのだ。
シャンタ・チャウダリさんは8才のとき両親に75ドル(訳注:約9,000円)で売られ、ネパールのある家庭で、1日19時間にわたり料理と掃除をすることになった。
不屈の精神を持つ女性、シャンタ・チャウダリさんが、再びニュースになった。チャウダリさんは、高等教育を受けることを目標に、地元の中学校に2年生として入学したのだ。チャウダリさんの息子は中学3年生、娘は中学1年生として、ネパールの首都カトマンズの寄宿学校で勉強しているが、チャウダリさんは自分の村にある国立校を選んだ。
活動家であり、統一共産党のリーダーでもあるチャウダリさん。彼女はカムラリから身を起こして、国民的英雄になった。
カムラリ
カムラリとは、ネパール西部の裕福な家庭で奴隷として働かされる、先住民族タルー族出身の幼い少女たちのことだ。
ネパールで奴隷制度は禁止されたにも関わらず、今でもカムラリの少女たちは、休むことなく働き、苦難に満ちた生活を送り、身体的および性的な虐待を耐え忍ぶことを強制される。そのうえ、時には不可解な状況の中、殺害されることもある。
カムラリに支払われる労働の対価は、きわめて少額か、もしくは無給だ。ある推定によれば、いまだカムラリとして働かされている少女の数は、カトマンズを含んだネパール各地で数千人に上る。
ネパール政府は2013年、カムラリという制度を違法としたが、しかし違法となった後も人々はカムラリを家に置き続けた。
下の動画は、奴隷から解放された3人の少女のストーリーだ。彼女たちは今、活動家として、いまだ継続しているカムラリ制度を終わらせようとしている。
他のカムラリの少女たちと同様に、チャウダリさんも男たちからの性的暴行の脅威にさらされていた。自分を守るためには、結婚するしかなかった。
読む価値のある物語
著書『カムラリから制憲議会議員へ向けて(原題:Kamlari Dekhi Sabhasadsamma)』は、カムラリとして差別と搾取を受けていたチャウダリさんが、やがてコミュニティーを啓発するような人物になるまで、かつて奴隷だった少女たちにとってはお手本とすべき存在になるまでを描いた、心に強く響く物語である。
すべてを暴露したこの本の中で、チャウダリさんは今でも彼女の脳裏を離れない出来事について語っている。
•チャウダリさんの少女時代は、8才の時から合計7軒の家でカムラリとして働いて終わった。
•どの主人も、たいていチャウダリさんを酷使した。たとえ雨が降っていようとも、チャウダリさんは植物に水やりをすべきだと考える主人がほとんどだった。「カムラリを休ませるべきではない。休まず働かせるべきだ」。これは主人たちの頭の中に深く染み込んだ考え方だった。
•チャウダリさんの義理の姉は、カムラリとして働いていた家の男たちの一人に性的暴行を受け妊娠した。チャウダリさんは、この義理の姉に代わってその家で働かなくてはいけなかった。カムラリが、病気や他のどんな理由でも、働けなくなった場合には誰か他のカムラリを送るのが慣習だった。
•ある家では、主人の娘がチャウダリさんにつばを吐きかけ、彼女に暴力を振るっていた。その娘は、チャウダリさんのことを「タルーニ」と呼んで、侮辱した(訳注:「タルーニ」は「タルー族の女」の意。カースト上位の者が、軽蔑の意を込めて、タルー族の女性を名前で呼ぶ代わりにこう呼んだ)。その娘は、タルーニになら、何をしてもいいと思っているかのようだった。娘の母親と祖母もまたチャウダリさんのことを嫌悪しており、ほんの一瞬たりともチャウダリさんが仕事の手を休めることに我慢がならないようだった。
•奇妙な決まりがあった。カムラリは虐待を甘んじて受けなければいけなかったが、不満を口にすることは許されなかった。米をもみ殻からより分ける作業をしている時や、飼料の草を運んでいる時。または市場で買い物をしている時や、食器を洗っている時。いかなる時も、チャウダリさんを虐待しようと機会を狙う者はいた。しかし、チャウダリさんはそれをうまくかいくぐり、そのことを誇りに思っている。
•国会議員だった頃、チャウダリさんは自分の村からその地方の中心地、ゴーラヒの街へと車を運転していた。その途中で、かつて自分がカムラリとして働いていた家の主人がバスを待っているのが目に入った。チャウダリさんは車に乗るよう勧めたが、彼はチャウダリさんを見てその変わりように驚いた。チャウダリさんが、かつて自分の家で働いていたカムラリと同一人物だとは受け入れがたいようだった。
大学生のシュリープリヤ・パウデルさんは、シャンタ・チャウダリさんの自伝を読んだ感想を自身のブログに投稿した。
いろんな人から、あまり恵まれない人たちの生活について学びなさいと言われる。今の自分の人生にもっと感謝できるようになるからって。なんだか自分勝手な理由に思えるけど、今回は素直に従ってみることにした。それで作ったのが以下のリスト。チャウダリさんの本を元にして、ほとんどの人が普段は気にも留めてないけど、本当は感謝すべきことを書き出してみたもの。ひょっとしたら、より良い生き方を考える時、このリストがいい参考になるかもしれない。
1. 頭上に雨漏りしない屋根があること。
2. 薬が手に入ること。たとえそれが、単なる鎮痛剤だったとしても。
3. 国家において、法律が成立しただけではなく、きちんと施行されていること。
4. 新聞やラジオ、テレビから情報が得られるので、他の人にバカにされなくて済むこと。
5. 5日間連続で食事抜きにならないこと。
6. 1日12時間労働の年収が、わずか7ドル(訳注:約870円)ではなく、それ以上もらえること。
7. 自分の子供が泣いた時、抱きしめてキスできる自由があること。
8. 自分の子供がお腹を空かせている時、なにか食べさせてあげる自由があること。
9. 昨晩、空腹のまま寝なくてもよかったということ。
10. 生まれてから、自分の家の半径50キロメートルより遠くに行ったことがあるということ。
[中略]
13. 一言の口答えも許されない人から、性的暴行を受けたことがないこと。
14.日当が、80セント(訳注:約100円)よりも多いこと。
[中略]
18. 服があること。また、二組以上の服を持っているということ。
19. 字が読めること。
20. 自分の子供たちに新しい服を一組買うのに、7〜8年も待ったことがないし、これからも待たなくてすみそうなこと。
もう一度言うけど、一人の人間が別の人間に何をしてあげるべきなのか、分かっているふりをするつもりはない。でも、できる限り寛大でいようとするのはいい考えじゃないかと思う。このリストを見ても、まだ自分の持っている富や特権について考え方が変わらなかった人。その人たちにも、考えを変えてくれる他の何かがきっとあると思う。
カムラリと自身のコミュニティーの権利を守るために闘うほか、チャウダリさんはこの4年間、癌(がん)とも闘ってきた。
シャンタ・チャウダリさんの、個人として、また政治家としての闘争は、私たちに偉大なインスピレーションを与えてくれる! 彼女が勇敢に癌(がん)と闘っている姿もすばらしい。
中学校に入学することで、チャウダリさんは差別と搾取に対し、再び闘いを挑んでいるのだ。
http://jp.globalvoicesonline.org/2015/07/12/37325/