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コンサート:台湾先住民族の歌声、横浜などで 26日からアイヌなどと共演 /神奈川

2015-07-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年07月22日 地方版
 台湾の先住民族の歌い手が、アイヌや沖縄の伝統音楽と共演するコンサート「原初の唱和」が26〜29日、横浜市や東京都内で開かれる。
 台湾には全人口の約2%にあたる50万人あまりの先住民族が暮らし、独自の文化を守り続けている。コンサートの出演者は、台湾のタロコ族の現代芸術家、東冬(トントン)・侯温(ホウウェン)さん。日本でのコンサートは今年1月に続き2回目となる。
 東冬さんは台湾の大学で先住民の伝統文化を教えており、今回の公演では、教え子である先住民族出身の若者たちと約10人の歌舞グループを結成し、タロコ族の集落で受け継がれた歌や踊りを披露する。日本からはアイヌや沖縄などの音楽グループが参加。実行委員会のメンバーは「豊かな倍音が特徴の東冬さんの歌声を、多くの人に聞いてほしい」と話していた。
 料金は前売り2500円(小中生1500円)。当日はいずれも400円増し。
 26日午後6時、横浜市港北区新横浜2のスペース・オルタ▽27日午後7時、荒川区荒川7、ムーブ町屋▽29日午後7時、大田区池上2、池上実相寺。問い合わせは実行委(090・8087・7843)。「原初の唱和」の公式フェイスブックでも公演情報を紹介している。【河津啓介】
http://mainichi.jp/feature/news/20150722ddlk14040230000c.html

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白老・元陣屋資料館で高橋房次氏の功績振り返る

2015-07-23 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年7月22日(水)朝刊】
 白老で37年間医療活動に従事、「コタンのシュバイツアー」として慕われた高橋房次氏(1882~1960年)の功績を振り返る展示会(白老町教育委員会主催)が、仙台藩白老元陣屋資料館で開かれている。アイヌ民族への献身的な医療に取り組んだ高橋氏の遺品など約140点が並ぶ。8月16日まで開催。
 アイヌ民族の人口変動について分析を試みた自著「北海道アイヌと其人口に関して」、千島に渡った際の調査報告書「千島アイヌ論」、「北海道小学新聞」に寄稿した「アイヌ物語 ふんべ山」など。週刊朝日(1960年7月刊行)は「コタンの父逝く すべてを捨てた奉仕の生涯」、週刊サンケイ(1959年12月刊行)は「アイヌの誇る日本一の医師 北海道のシュバイツアー、高橋さん」の見出しをつけて紹介している。
 このほか冬の往診時に愛用したタヌキの襟巻き、足袋、紋付きの羽織、名誉町民の章記とメダル、町葬参列者への礼状、父親に宛てた書簡、家族に送った年賀状、墨で書かれた俳句など。写真は診療活動の様子や雪の中をつえをついて往診に向かう姿、診療の合間にお酒を傾ける様子、町葬などを収めている。
 高橋氏は1922年(大正11年)、40歳のとき道庁立白老病院の初代院長に赴任、「新白老町史」は「赴任後直ちにアイヌの人々の診療に必要な基礎的調査を進めるため、各家庭を訪問し、健康状態を調べた」と伝えている。また「地域医療ことにアイヌの人々のため献身した」とも記している。37年(昭和12年)同病院を引き継ぎ、高橋医院として開院、55年白老町名誉町民。60年78歳で死去、町葬には千人余が参列した。亡くなる前年まで医療活動に従事したと伝えられている。2009年(平成21年)高砂町の病院跡地にアイヌ記念公園が整備され、胸像が移設された。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/07/22/20150722m_08.html

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アイヌ民族遺骨問題 先住民族の権利を議論 北海道新ひだか町で研究者ら出前講座

2015-07-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/22 09:26
遺骨は集約せずコタンに返すべきだと述べる差間会長
 【新ひだか】全国の大学に保管されているアイヌ民族の遺骨のうち、遺族などへの返還のめどが立たないものを白老町に整備予定の慰霊施設に集約する計画を国が進めている。この問題を、先住民族の権利の観点から考えるとどうなのか。道内の研究者や弁護士が「出前講座」を開いて議論を深めようと動いている。
 北大に保管されている遺骨の返還に取り組む北大開示文書研究会と、アイヌ民族の権利回復を目指す少数民族懇談会(札幌・清水裕二会長)は18日、町内のピュアプラザで、出前講座「アイヌの遺骨はアイヌのもとへin新ひだか」を開いた。道内外から約50人が集まり、耳を傾けた。
 遺骨は1930年代を中心に、北海道大学などが研究を目的として、墓地を発掘するなどして収集した。文部科学省の調査によると、現在、全国12大学に1600柱以上が保管されている。
 政府は身元不明などで遺族らへの返還のめどがたたない遺骨は、2020年に白老町のポロト湖畔に開設されるアイヌ文化の復興拠点「民族共生の象徴となる空間」(象徴空間)の慰霊施設に収める方針。
 閣議決定した象徴空間の基本方針は、遺骨の集約について「象徴空間の一般公開に先立ち、関係者の理解及び協力のもと、できる限り早期に行うものとする」と定めている。具体的な返還方法などは、政府のアイヌ政策推進会議作業部会(部会長・常本照樹北大教授)で現在、話し合われている。
 同講座は、アイヌ民族研究者の植木哲也・苫小牧駒沢大教授、アイヌ遺骨返還訴訟弁護団長を務める市川守弘弁護士、浦幌アイヌ協会の差間正樹会長ら4人が講師を務めた。
 植木教授は、戦後も北大などが旧静内町で遺骨を大量発掘した実態を文献などを基に説明。「研究者は、集約した遺骨の遺伝子調査によって民族の起源を明らかにしようとした」と述べた上で、遺骨研究はアイヌ民族の権利回復にはつながらないとの見方を示した。
 市川弁護士は「遺骨がなければ慰霊はできず、集約は信教の自由に反する。アイヌ民族は慰霊や遺骨の管理をコタン(集落)単位で行っていた。遺骨はもともとあった場所に埋葬するべきだ」と主張した。
 会場からは「遺骨をコタンに戻した後、どのように慰霊したらいいのか」などの声も出た。
 同講座は、昨年7月に紋別市で初開催し、十勝管内浦幌町、東京に次ぎ、新ひだか町は4会場目。同町は、渡島管内八雲町と並び発掘された遺骨数が多いとされる。(敦沢政俊、能正明)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doto/1-0159436.html

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